前回の記事で、母親が経管栄養(鼻からチューブで栄養を流す方法)で、延命治療をしていることを書きましたが、一昨日の夜、病院から電話があり、栄養も倍に増やしたが、吸収出来てないと。今後、どうされますか言う電話でした。

自分も、あれからずっと、母にとって、とても辛い事をさせてしまっていると悩んでいたこと、
早く楽にさせてあげた方がいいのではないかと悩んでいたと、先生に伝えました。

延命治療をやめるには、サインをしないといけないので、明日、来てくださいと言われました。

兄に電話をかけ、次の日、兄と病院へ行くことにしました。

明日が、母親に会える最後の日かも知れないと思うと、胸が張り裂けそうでした。そして、涙が溢れてきます。

短い時間の中で、ちゃんと感謝の言葉が言えるように、こころの中で何回も練習しました。

病院に着いて、先生が来られる前に、廊下からベッドに横たわる母親の姿が見えました。

全く動かない母親は、もう意識がないのかと思いました。

先生が来られて、母に会わせてくださいました。

先生が母を呼び覚ましました。
母は、目を開け、私は、〇〇よ、わかる?
というと、私の目をじっと見てうなづきました。

私は、ポロポロ泣きながら、きつかったね、よく頑張ったねって、母のおでこを撫でました。

「お母さん、産んでくれてありがとう」って、伝えました。

そして、先生のお話を聞く為に、別室に行きました。

今日は、昨日よりもいいけれど、やはり、もう老衰なので、点滴でどこまで持つかということでした。

お話が終わって、もう一度、母親に会わせてくださいました。

これが、最後かと思うと、涙が止まりませんでした。

寝ていたのか、目を瞑っていたので、兄が、もう寝てるからと、諦めようとしたのですが、先生が、母親を起こして下さいました。

私は泣きながら、もう一度、母親にありがとうを伝えました。

母は認知症を患っているにもかかわらず、私の目をちゃんと見て、涙をながしながら、母も、ありがとうと私に言ってくれました。

私は、ありがとう、産んでくれてありがとう、お母さん、大好きと、泣きながら言いました。

大好きなんて、今まで一度も言ったことありませんでした。言うのが恥ずかしくて。

でも、ちゃんと伝えないと後悔すると思ったから。

母は、小さい声で、もう帰るんね?と言いました。

施設に面会に行った時、いつも帰り際に言っていた言葉でした。

うん、もう帰るよ。ゆっくり休んでねと、水分でパンパンになった手をさすり、おでこをさすりました。

そして、バイバイと手を振り、病室をあとにしました。

辛いです。悲しいです。
まだ、生きているのに、話せるのに、コロナのせいでもう、会うことが出来ない。

生きてるのに、お別れを言わなきゃいけない。

あとは、ゆっくりゆっくり、母は死に向かいます。

側にいてあげたくても出来ません。

祈ることしか出来ません。

でも、私は、ちゃんとありがとうが伝えられただけでも、幸せなのかも知れません。

今日、朝の情報番組で、東京の方でしょうか、街角で、マスクを外している人が増えていると映像が流れました。

今、飲みに行った帰りで、その流れで外していると。
コロナ慣れしてきて、気が緩んでいると語る若者。

見ていて、怒りを覚えました。

もしも、私のような人と同じ状況なら、飲みになんて行かないはずですし、マスクをつけるはずです。

1日も早く、コロナが収束して欲しいと願うはずです。

医師会の方が、テレビで一生懸命、伝えています。医療従事者は限界だと、助けてくださいと。

前回も書きましたが、みんなが意識を変えないと、いつまで経っても、コロナは収まりません。

早く、終わって欲しいです。

悲しい思いをして欲しくないです。

一日も早く、コロナが収束することを願っています。