美味しいものを食べて、「あ〜美味しかった、幸せだなぁ」って、思ったり
家族や友人と楽しい時間を過ごしている時に、「楽しい♪幸せ♪」って感じたり
自分の趣味や好きな事をやってる時に幸せを感じたり
愛する人と一緒にいる時に、「幸せ💕」って思ったり
幸せを感じる瞬間って、色々あると思うのですが、本当に心から、魂が、幸せと感じる瞬間、または感じた瞬間、私は、涙が溢れてきて泣いてしまいます。
私は、この記事を書いている直前に、それを感じたので、忘れないようにブログにしたためようと思います。
最近、スマホの調子が悪いので、データがパンパンなんだろうと、写真を整理してて、ずーっと遡って写真を見ていたら、かつて、姑が住んでいた家の写真が出てきたのです。
元夫の実家です。
姑は、数年前、癌で亡くなりました。
最期を家族みんなで看取りました。
姑には、最後まで隠していましたが、私達夫婦は、その時既に離婚の話し合いも済ませ、別々に住んでいました。
そんな状態の中での、姑の最期でした。
火葬が終わり、姑の遺骨を抱え、その帰りに姑の家に家族で行きました。
家に帰りたがっていた姑の思いを叶えてあげようと考えたからです。
姑が入院する前のそのままの状態だったので、
いつも姑が座っていたコタツのテーブルの上にお骨を置き、「婆ちゃん!帰ってきたよ」って、みんなで泣いたのを覚えています。
それから、2年か3年くらい経った頃か、娘と姑の家の近くのお花屋さんに行く事があって、道に迷って姑が住んでいた家の近くに出てしまい、そういえば、あの家は、今、どうなっているのだろうと気になり、行ってみました。
もう誰も住んでいない家は、雑草がぼうぼうと生え、とても悲しい気持ちになりながらも、外観の写真を写し、息子達にも送りました。
息子達も、「何か、切なくなるね」と言っていました。
その写真が、スマホの写真のデータを整理している時に出てきたのです。
その写真を見るなり、姑の家の縁側で、サッシのドアを開けて、駐車場にテーブルを置き、家族みんなで焼肉をしている場面が浮かんで見えました。
経済的に厳しい生活の中、私達が遊びに行った時は、お肉や海老や野菜も沢山用意してくれました。
それらを焼きながら、ワイワイ楽しくしている光景が、頭の中に映し出されて、涙が止まらなくなりました。
私達夫婦の離婚は、仕方のない事で、別々の道を歩く選択をしたことには後悔はありません。
二人の波動が違ってくると、夫婦に限らず、離れて行くものです。
この涙は、後悔の涙ではありません。
あの、焼肉をみんなで食べている時間が、
後になって振り返ると、どんなに幸せな時間だったか。
その時は、きっと、「美味しい、お腹いっぱい、幸せ!」という程度の幸せだったと思うのですが、
姑もこの世にいなくなり、家庭も壊れてしまい
(壊れたという言い方は好きではありませんが)、子供達も独立し、それぞれのパートナーと暮らし、決してあの時に戻る事はない今だから感じる幸せなのだと思います。
私も今は、新しいパートナーと暮らしています。籍は入れていませんが、愛犬と3人(2人と1匹)で仲良く幸せに暮らしています。
けれど、この日々の暮らしの中で、「ああ、幸せ!」と、涙が溢れてしまうかと言えば、そうはなりません。
それはなぜかと言うと、人は、後からしあわせに気づく生き物だからだと思います。
人や、時間や、お金、生活を無くした後で、あの時は幸せだったと気づく生き物だと思うのです。
今のこの生活も、もっと歳をとって、例えばパートナーが先にこの世を去って、(ワンコは当然、もっと前に)自分一人になった時、
「あの頃は幸せだった」と、きっと、さっき泣いたように号泣するでしょう。
「今を大切に生きよう」っていう言葉の意味は、そう言う事なんだろうと思います。
ずっと時が経って、振り返った時に、
「幸せだった」と、涙する時間を沢山作る為ために、今、この瞬間を一生懸命生きて、自分と周りの人を大切にして、今ある幸せに感謝して生きていかなければいけないなあと思うのです。
辛いこともあります。嫌なことも悲しいこともあります。
けれど、もっと大きくとらえるならば、
自分の人生を全うして、向こうの世界に還る時、地球での3次元の世界の人生は、沢山の学びが出来たと、きっと涙を流しながら還ることでしょう。
(スピリチャルや、霊的な事に関心のない方は、何のこっちゃって思うかもしれませんが)
今は認知症になり、亡き父の事も忘れてしまった93歳の母ですが、認知症になる前に、
「お父さんといた時が一番幸せだった」と言っていました。
私が子供の頃、いつも父親の愚痴を聞かされていましたが、そんな母でも、一人になり、病院に入院したり、施設に入ったりするようになって、初めて父といた時が一番幸せだったと気づいたようです。
「幸せは後から気づくもの」
この事をいつも意識して、これからの毎日を過ごしていきたいと思います。
長くなりましたが、読んで頂いて、有難うございました
m(__)m
家族や友人と楽しい時間を過ごしている時に、「楽しい♪幸せ♪」って感じたり
自分の趣味や好きな事をやってる時に幸せを感じたり
愛する人と一緒にいる時に、「幸せ💕」って思ったり
幸せを感じる瞬間って、色々あると思うのですが、本当に心から、魂が、幸せと感じる瞬間、または感じた瞬間、私は、涙が溢れてきて泣いてしまいます。
私は、この記事を書いている直前に、それを感じたので、忘れないようにブログにしたためようと思います。
最近、スマホの調子が悪いので、データがパンパンなんだろうと、写真を整理してて、ずーっと遡って写真を見ていたら、かつて、姑が住んでいた家の写真が出てきたのです。
元夫の実家です。
姑は、数年前、癌で亡くなりました。
最期を家族みんなで看取りました。
姑には、最後まで隠していましたが、私達夫婦は、その時既に離婚の話し合いも済ませ、別々に住んでいました。
そんな状態の中での、姑の最期でした。
火葬が終わり、姑の遺骨を抱え、その帰りに姑の家に家族で行きました。
家に帰りたがっていた姑の思いを叶えてあげようと考えたからです。
姑が入院する前のそのままの状態だったので、
いつも姑が座っていたコタツのテーブルの上にお骨を置き、「婆ちゃん!帰ってきたよ」って、みんなで泣いたのを覚えています。
それから、2年か3年くらい経った頃か、娘と姑の家の近くのお花屋さんに行く事があって、道に迷って姑が住んでいた家の近くに出てしまい、そういえば、あの家は、今、どうなっているのだろうと気になり、行ってみました。
もう誰も住んでいない家は、雑草がぼうぼうと生え、とても悲しい気持ちになりながらも、外観の写真を写し、息子達にも送りました。
息子達も、「何か、切なくなるね」と言っていました。
その写真が、スマホの写真のデータを整理している時に出てきたのです。
その写真を見るなり、姑の家の縁側で、サッシのドアを開けて、駐車場にテーブルを置き、家族みんなで焼肉をしている場面が浮かんで見えました。
経済的に厳しい生活の中、私達が遊びに行った時は、お肉や海老や野菜も沢山用意してくれました。
それらを焼きながら、ワイワイ楽しくしている光景が、頭の中に映し出されて、涙が止まらなくなりました。
私達夫婦の離婚は、仕方のない事で、別々の道を歩く選択をしたことには後悔はありません。
二人の波動が違ってくると、夫婦に限らず、離れて行くものです。
この涙は、後悔の涙ではありません。
あの、焼肉をみんなで食べている時間が、
後になって振り返ると、どんなに幸せな時間だったか。
その時は、きっと、「美味しい、お腹いっぱい、幸せ!」という程度の幸せだったと思うのですが、
姑もこの世にいなくなり、家庭も壊れてしまい
(壊れたという言い方は好きではありませんが)、子供達も独立し、それぞれのパートナーと暮らし、決してあの時に戻る事はない今だから感じる幸せなのだと思います。
私も今は、新しいパートナーと暮らしています。籍は入れていませんが、愛犬と3人(2人と1匹)で仲良く幸せに暮らしています。
けれど、この日々の暮らしの中で、「ああ、幸せ!」と、涙が溢れてしまうかと言えば、そうはなりません。
それはなぜかと言うと、人は、後からしあわせに気づく生き物だからだと思います。
人や、時間や、お金、生活を無くした後で、あの時は幸せだったと気づく生き物だと思うのです。
今のこの生活も、もっと歳をとって、例えばパートナーが先にこの世を去って、(ワンコは当然、もっと前に)自分一人になった時、
「あの頃は幸せだった」と、きっと、さっき泣いたように号泣するでしょう。
「今を大切に生きよう」っていう言葉の意味は、そう言う事なんだろうと思います。
ずっと時が経って、振り返った時に、
「幸せだった」と、涙する時間を沢山作る為ために、今、この瞬間を一生懸命生きて、自分と周りの人を大切にして、今ある幸せに感謝して生きていかなければいけないなあと思うのです。
辛いこともあります。嫌なことも悲しいこともあります。
けれど、もっと大きくとらえるならば、
自分の人生を全うして、向こうの世界に還る時、地球での3次元の世界の人生は、沢山の学びが出来たと、きっと涙を流しながら還ることでしょう。
(スピリチャルや、霊的な事に関心のない方は、何のこっちゃって思うかもしれませんが)
今は認知症になり、亡き父の事も忘れてしまった93歳の母ですが、認知症になる前に、
「お父さんといた時が一番幸せだった」と言っていました。
私が子供の頃、いつも父親の愚痴を聞かされていましたが、そんな母でも、一人になり、病院に入院したり、施設に入ったりするようになって、初めて父といた時が一番幸せだったと気づいたようです。
「幸せは後から気づくもの」
この事をいつも意識して、これからの毎日を過ごしていきたいと思います。
長くなりましたが、読んで頂いて、有難うございました
m(__)m