目覚めると車は快適に南下していた。漢代の烽火台跡が所々にあり、強い日射しを受けて影をなし、黒がかって見える。殆ど上部は崩れている。砂礫地の中で大道草を食ったので、エチナの町を出て六時間以上も経っていた。

  目覚めたのがラッキーでしばらくすると、右側の遥か遠方に、黒々と横たわる大城壁が私の目に飛び込んできた。私は「大湾城に違いない。!」と思い、馬さんに車を止めてもらった。この車は四輪駆動ではなく、緊急時の装備もないので、道のない砂漠は走れない。私と王氏は車を降り、運転で走りっぱなしの馬さんに少し休んで貰おうと、私達だけで大湾城目指して歩き始めた。

   

      大砂漠の遥かな先に大湾城が見えた。(望遠レンズで撮影)

   大湾城へと続く砂漠は皺だらけ、でこぼこだらけの悪路だった(望遠で撮影)

 

照り付ける太陽と地面からの反射熱は凄まじく、まさに炎熱地獄だ。空気が燃えるように熱く、あちこちに蜃気楼が現れている。二人共Tシャツ一枚なので汗が直ぐに蒸発し、体の水分がどんどん失われて喉が渇く。そんな場所でも地表の所々に、貧弱な草が必死に生きていた。私達もこの草に負けないよう頑張ろうとか言って歩いた。大砂漠に道はない。地面はデコボコだらけでゴビ灘そのものだ。

  数百メートル程歩いたところで、王氏が突然「僕はやめる、死んじゃうよ!」と言って引き返してしまった。「なんてこった。ここまできたのに!」私は憤慨した。だが心細さを押して前進した。地表は魔女の肌のように皺だらけだ。数メートル歩くだけでもヨロヨロして、体力がどんどん消耗する。だんだん頭がボーっとして気分が悪くなってきた。ふと、熱射病では…と不安が頭をよぎる。自分では二キロも歩いたと思ったが、私は心細さが増してくるのを止められなかった。(後で分った事だが私が引き返した所は凡そ一キロのところだったようだ。)あえぎはじめた私はその場に座り、大湾城の写真を数枚撮って、それ以上進むのを断念し、来た道を戻った。こんな荒れ地は遺跡の調査隊ぐらいしか入って行けないだろう。

「写真」

  この恐るべき体験は、井上靖の西域小説『漆胡樽』(しっこそん)の一場面を思い起こさせた。「長く匈奴の捕虜になっていた漢人の男が、自分の脱出の道案内の道具として、愛情もないのに匈奴の部落長(おさ)の妻と情交を通じて逃亡する。二人は不眠不休で祁連山の峡谷を歩き続け、砂漠に出ると、男は女を馬体に縛りつけ、ひたすら漢土を目指した。男の背後で揺られる女に男は何度か「大丈夫か?」と声をかけると女は「はい」と答えた。数日が過ぎ、女の疲労は極限に達していた。四度目の「大丈夫か?」の問いに女は微かに「はい」と言ったように男は思った。五日目、追っ手を振り切ったと判断した男は、馬上の女の縄を解くと、その身体は鈍い音をたてて、地上に落ちた。女はすでに言葉を発する事は出来なかった。男は口移しで女に水を含ませたが、女は一口飲んで静かに息絶えた。男はその時初めて偽りのない、真実の愛情を感じた。男は女をその場に棄て、再び漢土を目指したが、十日目に包み込む灼熱の砂漠の中で、男も力尽きたのである。」

  私は自分が立っているこの場所こそが「漆胡樽」の舞台に相応しいと思った。祁連山脈に近く、漢の支配する長城や大湾城は目前だ。この物語のその後、倒れていた漢人の男を、漢軍騎馬隊の一支隊に発見されるのだが、それが大湾城の国境警備隊だとすれ物語にピッタリだ。とりとめもなく物語と自らを重ねてセンチメンタルな気分に浸りながら、半ばあえぐように、車を降りた場所に戻って来ると、通りに面して大きな数棟の建物があった。その駐車場に私達の車が止めてあり、入り口の門の右側の建物内から声がした。

  少しふらつきながら建物の中を覗くと、王氏と馬さんが数人の筋骨逞しい若者と談笑していた。テーブルが並んでいたので食堂のようだ。みんなニコニコして私を迎えてくれたが、王氏に「サムライでも怖くなって引き返してきたの!」とからかわれたので、私は「この卑怯者めが、敵前逃亡じゃねーかよ!」と罵った。しばらくボーっとした頭だったが「ここはどこじゃ?」と私が尋ねると、「人民解放軍宿舎です」と返事が返ってきた。私は仰天!ボーっとした気分はいっぺんに吹き飛び「オレ、日本人だ、危なくないの!」と王氏に聞くと、「公安(警察)と違って兵隊だから問題ない」と言った。私は少しホッとして大湾城の話を訊いた。王氏も兵隊たちもこの炎熱地獄の中で、私が一キロも行ったところから戻り始めたのは分かっていたようであった。兵隊の話では「早朝の涼しい時間帯なら、彼らの足で二時間もあれば大湾城に到達できるが、あなた達の足では三時間又はそれ以上かもしれない。そして午前中に着いても、日が高くなるにつれて、急激に気温も上昇し、地表の熱が上がるため、日が沈む午後九時ころまでは、戻れない」と言う事だった。そして、大湾城は近辺の故城の中でも、とりわけ保存状態がいいこと、東西の門、東北と東南の隅に望楼が聳(そび)えて、城内にも見るべきものが大変多いと教えてくれた。

  私はもう一日延長してでも大湾城に行こうと言ったが、王氏は次の目的地、銀川行のフライトが時間的に無理と言う。残念だがここも断念せざるを得なかった。それから一時間程兵隊たちと歓談し、親切な青年たちに礼を述べて、私達は酒泉に向けて出発した。本当は一週間前の人工衛星の打ち上げの話を聞いてみたかったが、「やぶへび」になってはと思いやめておいた。

  もう夕暮れ時で、辺りは夕映えに包まれていた。地平線上の空の色が茜色から暗紫色へと変じ、夜の帳が(とばり)が下りる。そして、いつとはなしに星が瞬きはじめ、月明りとともに、夜の空を彩っていた。暗闇に目が慣れてくる頃、薄墨色の車外の景観が見えてきた。闇に砂丘が薄っすらと浮かび、幾重にもうねっている。静寂の中、車のエンジン音だけが響いていた。大分涼しくなったので車の窓を開けると、乾いた空気が耳元をよぎった。私が昼とは別の夜の幻想的な砂漠の余情に浸っていると、突然王氏が変てこな「月の砂漠」の鼻歌を歌いだした。私が砂漠へ来る度に歌っていたのを、いつの間にか覚えていたのだ。静かで幸せな気分と少しの未練を残して、車は夜の十一時、酒泉に到着。私と王氏の内蒙古自治区・エチナの旅は終わった。

  その後、大湾城について調べてみると、各々の候官城を束ねる軍事高官の居城という事が分った。城の長さは三百五十メートル、なかなか立派な城のようだ。

  現地の宿で見た大湾城のイラスト、保存状態の良い立派な城である