地湾城を見終えて車が再び舗装道路に出るためには、砂礫地の悪路を五~六キロ北へ戻らねばならない。面倒だからこのまま南に進もう、どこか舗装道路に出る道があるだろう、と判断したのが大きな間違いだった。

 車は酒泉に向かう鉄道に沿って南下した。その鉄道の東側に並行して舗装道路が通っているので線路を横断するだけだが、線路は地面より四~五十センチ程高くて乗り越えられない。砂漠の中にきっと横断道路があるに違いない。だが、行けども行けどもそんな道はない。

砂漠の中を一直線に抜いていく鉄路、左側にポールが続いている所が酒泉への舗装路

 

  エチナ河の川床の僅かな水の流れの中で、網を投げて魚を獲っている男達がいた。運転手の馬さんが、彼らに道を聞きにいき戻ってきた。私達が最初に入って来たところ以外、横断する道は無いとの事だった。

 

乾季のエチナ河は誠に貧弱な流れであったが、そこで魚を獲っている男たちがいた。

 

  私達はガッカリしたが、戻る気にもならない。意を決して線路に砂が吹き溜まっている場所を見つけ、板切れや小石を集めて三人で踏んずけて突き固め、無謀にも線路を乗り越える算段をした。

  まず車を後ろに下げ、それから突き固めた傾斜部に向かって車を全速力で突進する。何が何でも車を線路上に押し上げようと、私と王氏は渾身の力を振り絞って車を押した。だが敷き詰めた小石はバラバラと飛び散ってタイヤは砂にめり込み、板は砕け飛んだ。そしてエンジンはキンキンと音を掻き立て、タイヤはズルズルと砂の中に沈み込んでは止まる。それを何度も繰り返すのだが、その度にタイヤは煙を上げて空回りをし、車はどんどん砂に沈み、前にも後にも進まない。あがけばあがくほど事態は悪くなり、遂に車体の腹は砂にへばりついてしまった。絶体絶命、Oh My God! こんな時に列車が来たら、この世の終わりだ。私のように神仏無縁な者でも、神様仏様……と念じずにはいられない。私達は素手でタイヤの周りの砂を掻き取り始めた。幸い前輪は枕木部分の固い所にかかり、車の後方に傾斜になっている。車体の下の砂を取り除き、砂漠のあちこちから大きめの石を拾ってきてタイヤの通る轍(わだち)部分に敷いた。その上に暑さのため無用になった私達のジーパンや厚手の衣類を被せる。車のギアをニュートラルにし、三人がかりで後方へ渾身の力で押すと、タイヤはゆっくりと回転した。少しずつ車を動かし、その都度石で固めて布を被せ、後輪がようやく固い地面に辿り着くと車は嘘のように楽に動いた。

  ヤッター!神様の思し召しだ。トラブルを克服できた安堵感と疲労で、私はその場に座り込んでしまった。そしてこの嬉しさは言葉では表せない。私達は物も言えぬくらい疲れ切っていたが、いつまでも安閑としてはいられなかった。少しだけ休んで、来た道を北へ戻ることにした。

  来る時は目を輝かせて見た故城も烽火台も、帰路の目印とはなったが、私の中では新鮮味を失い、虚ろなかげろうのように揺れていた。周囲はどこを見ても砂の世界だ。こうなると砂漠が恨めしい。

 

凡そ三キロ程の間隔で見ることができる朽果てた烽火台跡

 

 

この辺りの砂漠は小石を敷きつけたように延々と地平線迄続いている。

 

砂の中を一条に伸びる悪路を、ガタンガタンと振動しながら車は走った。砂地獄から二時間もかかり、やっと酒泉行きの舗装道路に出た。長時間ドッシン・ドシンと叩きつけられてきた身体に、舗装道路の滑るような快適さが心地よい。王氏も私も力尽きて、全身綿のように疲れて眠ってしまった。運転手の馬さんには申し訳ないと思ったが睡魔には勝てなかった。