砂漠の真ん中を貫く舗装された軍用道路を、私達の車は酒泉に向かって南下していた。酒泉衛星発射センターを通過する際「今度こそ公安警察に捕まるかも知れない」と漫然と考えていると、右側遠方に台形のガッシリとした故城が目に入った。

  「馬さん、あそこに行ける?」 「うん、大丈夫!」とやり取りをしながら、舗装道路を外れ、そろばん玉のような小石を敷き詰めた砂礫地に入って行った。激しい振動が続いた後、目的地に到着。そして、故城の前に立った。『地湾城故址』と書かれた立派な石碑が建てられていたが、何者かによって、碑はハンマーのようなもので叩かれ、傷だらけで書かれた文字は判読できなかった。『□□□□人民政府□』と、□の部分は鋭利なタガネのようなもので削り取られている。内蒙古自治区は民族紛争もなく比較的治安も問題ないと聞いていたが、チベットやウイグルと同じような民族問題が潜在しているのだろうか、そんな思いを感じた。

  地湾城は西側にアーチ形の門があり、ほぼ正方形に分厚い壁で囲まれ、非常に堅固に造られている。城全体の北東に位置するところは肩水侯官の居城と思われ、大方城よりは規模が大きい。外郭の壁は薄い版築で、兵舎と思はれる部屋もあった。形式は大方城とほぼ同じだった。故城の西側にはエチナ河が流れていたがこの時期のせいで、見た目には誠に貧弱な流れであった。

僅かな流れのエチナ河の遥か前方に小さく見える地湾城