玄奘は高昌国の人々と涙の別れの後、アイデン湖の北方を経てトクスン城に向かったといわれる。私と王君もその道を辿る事にした。トルファン市内から高昌故城へ向かう道の途中から右に曲がると、アイデン湖に通じる道はあった。

 

  アイデン湖に通じる道               その道のあちこちに塩溜まりがあった。

 

道の周囲は耕作地のようで、貧弱な作物が疎に生えていたが、間もなく本格的な砂漠の姿になった。一条の悪路を、車は舗装が陥没した穴を避けながら、右に左にハンドルを切って走った。やがて洗濯板のような道になり、車はドシンドシンと悲鳴をあげ始めた。車が壊れたらどうしょう。私が「こんな所で車が故障でもしたら、水もなくなり、孤立無援でミイラになっちゃうな~」と呟いても心細いのか運転手も王君も沈黙したままだ。「玄奘法師の道」は恐るべし!だ。

これは遺跡ではない。土地の水が涸れて打ち捨てられた村だ

 

運転手が話はじめた。この地は水脈が枯れ耕作地は塩害で壊滅、住民は部落を棄ててどこかへ行ってしまった。水を求める砂漠の民の過酷な痕跡である。その一つのゴーストタウンに車を止めて入った。歩く足元は霜を踏んでる感じで、土と塩が混ざり、結晶となってサクサクと音を立てた。部落の中を貫いている小さな川は、水ではなく表面は真っ白な塩だったが固くなっている表面を棒で突くと、内部はシャーベット状だった。辺りは砂ぼこりにまみれた灰色のレンガの家が立ち並び、家の中には何も残されいなかったが、そこに風が吹きよせ砂塵が舞う様子は、無常観が漂っていた。見捨てられた部落を後に、車は再びガタンゴトンと悲鳴をあげながら走った。暫くしてアイデン湖に接した漁村に着いた。勿論ここも荒れ果てた廃村で、黒くくすんだ廃屋が静まり返って並んだいた。だがその眼下には全くの別世界が広がっていた。

  遥か地平線まで広がる塩の砂漠

 

地球じゃないどこかの星にでも来たような真っ白な塩の大地が地平線の彼方まだつづいている。その広大さに驚き、その白さを遮るものもなく白く、日本で見る雪原のような温もりや、情緒が感じられない。全く起伏もない静止した塩の原が広がり、生命の痕跡もない無機的な光景に、親しみを感じないと思いながらも、私はこの広大なスケートリンクの上を歩いてみたくなった。だが恐るべき事に十数米も歩いただろうか、真っ白な塩の表面が破れ、ズブズブっとシャーベット状の中に、両足共吸い込まれてしまった。万事急須だ「タスケテクレー!」とは言わなかったが、慌てた私はシャーベットのなかからズボッズボッと足を引抜きながら岸辺に戻ったが後の祭りだ、洗い流す水がない。両足共水分を抜き取られたように皺々になってしまった。

    

 

トルファンに戻るまでまだ時間があった、傷は痛むが玄奘法師に思いを馳せ、裸足でアイデン湖の縁を歩き回った。数隻の朽ち果てた船が湖岸にあった。その昔、漁業を糧に人々の営みがあった事を物語っていた。玄奘が高昌国を経った時、国王麴文泰は、高僧達と各々馬に乗り、満々と水を湛えた湖岸まで、玄奘を見送ってから、城へ帰った。これ以上果たし得ない丁重なものであったという。私達は陽はまだ高かったが、日が沈む前にトルファンに戻れるよう帰路についた。遥か天山山脈方角の空が茜色に染まる頃トルファンに入った。