私は彫刻を趣味にしています。老境に達し神妙にも今までの人生を悔い改め、仏様や観音様を彫って静かに暮らそうと企てたわけです。

ある時、私の彫った観音様を見た友人が手を合わせて拝むと、かえって心乱されると言います。「何故?」と訊いたところ、「なまめかしく迷いが生じる」とのこと。私はその言葉に感心し、豊かな表現力が身についたものだと自画自賛したものです。そこですっかり自信家になった私は、あまり幸せな生涯でなかった愛犬の老死を悼み、犬を彫ることにしました。そんな時、制作中の私の所に友人が訪ねてきました。「何!馬彫ってるの?」。その言葉に私は一瞬、体に雷鳴が走り寸前(すんで)のところで、彫刻刀で指を切断しそうになりました。 しかし、憤慨の極みから次第に心を落ち着かせてみると、確かに私の愛犬はハスキー犬で顔が長く馬と言われれば、そうとも見えました。馬と見極める彼の観察眼のほうが正しいと思ったのです。以来気弱な私はすっかり自信を失くし、しばらくは小さなお地蔵さんなどを彫っていました。ある日、ほったらかしにされてみすぼらしい顔の半づくりの馬を眺めていた時、ふとなぜだか「三蔵法師と馬」のことが頭に浮かびました。馬と人物の組み合わせでミジュクモノには難しそうに思えましたが、彫ってみようと思い立ちました。そして三蔵法師伝などの本を探しているうちに、若く知的で逞しい三蔵法師画像に出会ったのです。でも私の思い描く三蔵法師は、それと少し異なるものでした。私は、「想像を絶する苦難の旅」とよく表現される法師の旅……、ゴビ砂漠の中で水を失い死の淵を彷徨っていた時、連れてきた荷馬に命を救われるという故事から、愛馬と苦悶する法師を「像」として描けたらと考えたのです。

 

私は五十数年前、まだ一般の旅行者が海外に出ることが稀だった頃、乾呻一擲、一人で世界一周放浪の旅に出ました。インド、パキスタンの酷暑の地を経てその後のアフガニスタン、イランの砂漠越えは厳しく辛いものでした。やっとの思いでトルコのアズルムに着いた途端、病気で死にそこなったのですが、ドイツ人の青年に助けられました。ヨーロッパで二ヵ月休養し、再び中東各地の砂漠を踏破しました。私は玄奘三蔵のように求法という高邁な理念もなく、それどころか勉学を途中で放棄してしまうような実にいい加減な人間だったので法師とは比ぶべくもないのですが、「未知との対峙」という意味で、恐れ、迷い、怯え、苦しみ、そして喜びを共有しているような気がするのです。

 

とりわけ西域(シルクロード)は夢や冒険、歴史的ドラマが詰め込まれています。「月の砂漠」「隊商」「キャラバン」「バザール」「遊牧民」などの言葉を聞いただけで未知なるものへの憧憬に胸が高鳴るのです。というわけで、過去の経験から三蔵法師の足跡を訪ね、彫刻に生かそうということになりました。思えば、初めて旅に出た頃の私は当然ながら若く元気でした。今ではメタボでハラはビア樽のごとく膨張し、ゴム人形のように人の形だけで筋力はほぼゼロ。歩行するにも車椅子に羨望の眼差しを向ける。そんな人間になってしまい単独行は、自身がお陀仏になりかねません。そこで、サポートしてくれる有能な人材を求めました。私がへたばっても一日中私を担いで歩ける剛力の持主、カラスだろうが猿だろうがベラベラ喋れるバイリンガル、打ち出の小槌ならぬケータイをポンと叩けば紙切れを紙幣に替えられる、魔法を使える男……今孫悟空のような男です。私が白羽の矢を立てたのは、王華崗氏。彼は、大学卒業後、中国の貿易会社へ勤務したのですが、間もなく何を間違えたか小さな私の会社へ移ってきて、現在中国工場の総経理(社長)をしております。すでに会社でのキャリアは二十五年。中国の歴史に精通し、書道や漢詩もよくするなかなかのクセモノ。かくして私と王華崗の野次喜多道中もどきの私的西遊記が

始まることになりました。