戦時中に小学生だった人
その人から毎晩
寝物語に
空襲の模様を 聞いた
みんな東京大空襲の話をするけれど
北九州も製鉄の町
激しい空襲が あったんだよ
何度もね
警戒警報の鳴る中
弟妹手を繋ぎ 逃げた
防空壕は風向きで 死者が出た
煙にまかれ中の人は 全員死んだ
防空壕から出たら
牛がお腹をパンパンに膨らませて
道に横たわって死んでいた
小学校の校庭に穴が掘られ
亡くなった人が集められ並べられ
穴に 放り込まれ埋められた
それを小学生の子供は見ていた
戦争で学校も何もない勉強も何もない
竹槍を校庭で練習する
機銃掃射が目の前寸前を 土煙を上げ
打ち込まれた
弟が間一髪 土管の中に逃げ込んで
助かった
自分も後 数センチズレていたら…
私自身も今こうしてブログなんて 書いてないだろう
この世に 存在しないのだから
こんな話を直接聞けば
戦争は 本当にいけない
人の死なんて運1つだ
とそう 思える
心の底から 思える
1番語らなきゃいけない 戦争に行った人が
口をつぐむのは
あまりに酷いことを体験したから
戦争の恐怖や汚さ醜さ命の脆さ
全て体験して
口にできないのだ 心が傷付きすぎて
なぜ 自分だけ生きている?
なぜ 自分は生き残った?
戦後 兵士を見てきた精神科医がいた
聞き取りをしたカルテの記録が残っていた
あまりにも残酷な目に遭うと
人は心に鍵をかける
封印してしまう
逆に国内で戦災に遭った人 疎開した人
その人達の方が
まだ 語るべきものが
語ることが できる気がする
被災者 と言う視点に立って
話せるから
友達が行方不明になって
あの子はどうなったろうか
昔語りをしながら アノヒトは
いつも言っていた
トラコーマだったから明るいところには
でられないんだよねえ 見えないんだよ
空襲で分からなくなったけど
あの子もその子も どうしているんだろうか
生きていたらいいけど…
どんな気持ちで
その言葉を口にしたのか
食べるものは
芋の茎 水の中に入れて湯がいて食べた
道にある草が食べ物
戦後の復興の時代 その前に闇市の時代
食堂をやってた家に役人が来て
闇市で食材を仕入れてないか
見張られてたんだろう
にらみを利かせて
1日中 店のテーブルを陣取り
客を無言で脅かして…
戦時中だけじゃない
戦後の生活も 困難なのだよ?
醜く酷い事が起こるのは
戦争が終わっても 続くんだよ
命からがら生き延びても
戦後に繋がらない命もある
飢えで 妹を失った
戦後のこと
戦争中じゃない
戦後のこと
東京大空襲では
空襲そのものの酷さは語られるけど
その後の話は聞こえてこない
誰もが必死に生きることにしがみついてた時代があって
それを越えて高度成長時代がある
その高度成長も 結局は他国の戦争のお陰なんだけど
誰もそのことに触れようとしない
つなげて考えようとしない
…ただ 景気が良かった
映画「3丁目の夕陽」みたいに人々が温かかったと
実際はもっとドロドロしたものや
悲しいことを大人は背負っていたはずなんだ
子供だって教科書が塗りつぶされる
そんな経験をして
今まで習って教わって信じてきたことが
全く別の物にひっくり返る
大人も子供も
その時代に生きてきた人達は
心の闇を 抱えることになった
そして今がある
それが
戦争。