自己否定のひと健全な人は苦しみや悲しみをしょってないと感じるんだろうか突っかかってくる人は妬みやそねみから発言すると考えるんだろうか主観と客観考えるけどやっぱり客観『的』ではあるとしても完全なる客観はないんだろうなと思う客観はある!と言われてもそれはそのひとのひとつの見方に過ぎないそんな気がするそれはそのひとの主観主観に基づいて見えてしまうから健全な人の痛みに気付かない。なのかな