「希望を持つことを支援する……希望とは小さな積み重ね 回復への道の一歩でもある 医師は希望の1つになることもできる その人の積み重ねる歩みに、何らかの意味を持たせることもできる……」──これは10年近く前に参加した統合失調症を有する人の回復をテーマにした講演を聴いた際、私が書いたメモです。
私は、医療の枠組みの中での患者の「希望」や「人生」という概念に興味を持っています。精神科医として、症状や患者のパーソナリティーだけではなく、「社会の中で暮らす人」としての患者の苦労に目を向け、お節介ではない程度に、その人の願望や、その人にとって「意味のある人生」についても思いをめぐらす存在でありたいと、ひそかに願っています。そう思いつつも、医療における希望や人生は、私の中ではまだ抽象的な概念で、研究対象としては捉えられていませんでした。
今回紹介する論文は、医療の中の希望や人生に向き合っています。
The Perspective of Forensic Inpatients With Psychotic Disorders on Protective Factors Against Risk of Violent Behavior.
Front Psychiatry. 2020;11:575529. doi: 10.3389/fpsyt.2020.575529.
この論文は、国立精神・神経医療研究センター病院精神科の柏木らによる、医療観察法病棟、つまり精神症状ゆえに傷害などの重大な他害行為を行った人に対して、問題行動の再発防止を目的に治療を行う病棟における研究です。
参加者は医療観察法病棟入院中の当事者32人で、75%が男性、平均年齢41歳、大半が統合失調症との診断を受けています。保護要因(将来の暴力行為のリスクを軽減する個人の特性、環境、状況)に焦点を当てた暴力リスクの評価ツールであるSAPROFを用いて、当事者に半構造化面接を実施しました。事前に、治療者にもSAPROFで各当事者を評価してもらい、その結果を当事者の自己評価と比較しています。SAPROFは17の評価項目(内的要因[知能、幼年期の安全な愛着形成、共感性、対処能力、セルフコントロール]、動機付け要因[仕事、余暇活動、金銭管理、治療への動機付け、権威に対する姿勢、人生の目標、服薬]、外的要因[ソーシャルネットワーク、親密な関係、専門的ケア、生活環境、外部からの監督])から成り、各項目について0~2の3段階で評価します。
「現在、暴力的な行動を抑制するのに重要な項目を3つ選択するなら何か?」を問われると、当事者の多くが「人生の目標」を選択した一方、「人生の目標」を挙げる治療者はほとんどおらず、「服薬」との回答が最多で、「生活環境」「専門的ケア」が続きました。さらに、将来の暴力を予防するために重要な項目に関しては、当事者は「仕事」「親密な関係」「人生の目標」を選ぶ傾向にありましたが、治療者が重視しているのは「対処能力」「治療への動機付け」「ソーシャルネットワーク」でした。
これらの結果から、当事者は暴力の抑制・予防に「人生の目標」「仕事」「親密な関係」といった個人的な生活や愛情が重要だと考え、治療者は治療に関する項目に重きを置いていることが示唆されました。当事者と治療者の視点にはギャップがあると言えます。
精神科の一般臨床においても、当事者-治療者間で症状の理解や重視するファクターが異なることが指摘されています。精神科臨床の現場に立つ人間として、残念ながら、この指摘に違和感はなく、「我々治療者は、当事者とは異なる理解をしている可能性があることをわきまえて関わるべき」と考えています。だからこそ、当事者と治療者がともに意見を出し合い、双方向で治療方針を決定するという診療が、精神科一般臨床で重視されつつあります。今回の論文は医療観察法病棟において当事者自身にインタビューしてリスク評価を行い、その有効性を検証したものですが、そのような取り組みがあることを、この論文を介して初めて知りました。「当事者自身がどう考えているか」に焦点を当てていることは、本論文の大きな特徴だと言えます。
本研究の限界としては、著者らも挙げていますが、参加者数が絶対的に少ないこと。また、医療観察法病棟に入院中の当事者へ直接インタビューして、彼らの思いに光を当てた日本で最初の研究である点は評価されるべきである一方、全例が非自発的な入院であり、「できるだけ早く退院したい」と考えている可能性があることから、回答内容の信頼性が高いとは言い難いでしょう。さらに、治療者が研究への参加が望ましくないと判断したケースは研究対象から除外されており、対象者に偏りが生じている恐れもあります。今後、施設数や参加者数を増やした研究を予定しているとのことなので、その結果が待たれるところです。
当事者と治療者の溝を埋めるのは対話と思いやり
医療観察法病棟の研究は、「一般臨床とは縁遠い」と思われた方もいるかもしれません。でも、当事者-治療者間で認識にギャップがあることを踏まえて、その溝を埋めるために対話を通じて歩み寄る。当事者をただの「患者」ではなく、1人の尊厳ある人間として捉え、彼らの「人生」を思いやるというのは、他の領域における疾患や障害を持つ人へのアセスメントにも当てはまる重要な視点ではないでしょうか。
ちなみに、医療観察法の正式名称は「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」で、日本初の司法精神医療に関する法律です。心神喪失または心神耗弱の状態で、重大な他害行為(殺人、放火、強盗、強制性交など、強制わいせつ、傷害)を行った人に対して、エビデンスに基づく精神科治療で病状を改善させ、他害行為の再発防止を図り、最終的には社会復帰を目指します。この法律に基づく治療の場となるのが医療観察法病棟です。
医療観察法病棟は全国に33カ所が設置されていて、私が以前勤務していた東京都立松沢病院(東京都世田谷区)にも、その1つがあります。患者1人ごとのスペースが広く取られ、医療スタッフの数が多く、リハビリテーションのプログラムも充実していて、穏やかな雰囲気だと感じていました。私は、医療観察法病棟退院後の当事者が通所するデイケアに勤務し、様々な問題を抱える当事者と接する中で、行ってしまった問題行動や、周囲からの差別・偏見などに苦しみながらも治療に取り組む姿を見てきました。医療の片隅に、そういった当事者たちがいることを読者の皆さまにも知っていただきたい。そんな思いもあり、今回はこの論文を取り上げました。
ーーーーー