幼稚園中退

幼稚園中退

鉛色のモノローグ。

吐き出すほど溜まらない「僕」の独り言。

心の底にたまった、憂鬱、絶望・・・

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YouTubeで、theピーズがカヴァーした「小さな木の実」と言う曲を見つけた。
実は、と言うか、恥ずかしながら、と言うか。
私はこの歌の存在を知らずに生きて来た。
theピーズがカヴァーしていなければ、きっと今もしらなかっただろう。

「小さな木の実」は、NHKの番組「みんなのうた」で放送された楽曲で、ジョルジュ・ビゼーの作曲した歌劇「美しきパースの娘」の中の、「セレナード」を原曲とし、詩人であり作詞家の「海野 洋司」が日本語の詞をつけ、歌手の「大庭 照子」さんが歌った曲らしい。
「パパ」を亡くした少年が、思い出の木の実を握りしめ、「パパ」の言葉を思い出すと言う内容の詞と、秋を思わせるに充分な、物悲しい、寂寥(せきりょう)感に満ちた旋律が、心にしみる。




童謡?唱歌?のカヴァーは、theピーズがごく初期の頃からよくやっていた事で、その選曲の妙には、いつも関心させられる。 
とにかく、気持ちのいい曲を選んで来るのだ。
「クイカイマニマニ」だとか、丘~を越~え~の「ピクニック」だとか。
「チムチムチェリー」「ドナドナ」「チキチキバンバン」などなど、あ、あと童謡ではないけど「恋は水色」なんかも。
もちろんこの、「小さな木の実」も、とても気持ちいい。

やはり、大木温之と言う人は、稀有のメロディメーカーなのだなぁと、改めて感心する。
ご本人ではないので、本当のところどういう尺度?基準?で選んでいるのかはわからないけれど、僕が想像するに、旋律、メロディが一番重要なのではないかと思う。

雑誌か何かのインタビューで読んだ情報だけど、theピーズと言うバンドのアレンジに関しては、お互いそれぞれのパートに対してほとんど口出しせずに、大木温之が提示するメロディに対して、安孫子義一がギターを重ね、佐藤シンイチロウがリズムを刻み、後は手癖でベースラインをのせるんだ、と言うようなことをいっていた。

この最後の部分の、自分の仕事に対する「手癖」って言う言い回しが、大木温之なりtheピーズなりを評して、「グダグダ感がいい」なんて言葉に繋がっていくんだろうけど、そこが大木温之の照れとか、可愛らしさなのは間違いないのにと、僕なんかは思う。
少なくとも僕は、どのアルバムもどの曲もグダグダ感を感じた事はない。

ちょっと話が逸れてしまった。

要は、そのメロディが、大木温之自身の作であろうと、既存のものの中から選んできたものであろうと、出来上がってくるサウンドは、ピーズサウンドとでも言うべき「あの感じ」になるのは、そういう事なんだなぁ、という話。




小さな手の平に一つ・・・。

theピーズを評するにあたって、僕なりの持論が一つだけある。
まぁ、こんな事僕だけが思っていて、誰の共感ももらえないのかも知れないけれど。
彼らの音楽は「映像の喚起力」が、非常に高いのだ。
歌詞で表現される内容、というわけではない。
それは歌詞の意味が理解できるか?という受ける側の能力の問題だけで、そういう事ではない。
彼らが演奏する音楽が、音として入って来た時に、脳の中の記憶や空想の何かに反応して、脳裏に映像が浮かぶのだ。


父の最古の記憶。

安っぽい、正方形のリノリウムを、市松模様に敷き詰めた床には、まるで模様のように、タバコの焦げ跡がついている。
そこかしこに落ちている銀色のパチンコ玉と、煙草の吸い殻。

父の膝の上で、一緒にパチンコ台の盤面を眺める小さな私。
鉄球が当たって、カチカチなるガラス。
玉が吸い込まれると、朱色の羽根が開き、羽根が球を拾うと、また閉じる。

父が買ってくれた、紙コップに入ったコカコーラ。
一口飲んで、炭酸の刺激に顔をしかめると、「からいか?」と尋ねて、笑う父。

昼でも薄暗いアーケード。
ゴツゴツした父親の手、人混み。
魚屋のダミ声。薄汚れたリボンをヒラヒラさせながら回転する、蝿を追う機械。

派手なシャツを着た男に掴みかかる父。
おでこを押さえて泣く僕。
(男の吸っていたタバコの火が、すれ違いざまに、僕のおでこに当たったのだ。)


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ひどく違和感を感じたことが、一つある。

父親を亡くした少年が、思い出の木の実に父の面影を重ねる。という内容の歌詞だが、なぜだか、亡くなったのは少年のような気がするのだ。

原曲にはない繰り返しの部分が、それを強調している気がする。

木の実はささやく パパの言葉

で終わらずに、一番のサビをもう一度繰り返す。

少年は独り 駆けて行く

そして、胸を締めつけられるかのようなギターソロ、次第にスローダウンして、終わり。

特筆すべきは、ドラムのアレンジ。
1番(という言い方しか僕は知らないが、もうちょっとそれらしい言い方があると思う(笑))は、必要最小限のリズムをシンバルで刻むのみに抑え、2番から盛り上がる。
文句無し、パーフェクト。
もともと僕は、1番2番でアレンジが変わるという構成が好きなのもあるが。

大木温之の声質や歌い方、ドラマチックなアレンジ、寂寥感を掻き立てるギターの音色、それらがあいまって、子の、父への思いと言うよりも、父の息子への思いと言うものを強く感じたのだ。

多分それが、違和感に繋がったのだと思う。


調べてみると、あながち間違いでもなかったようだ。
作詞をした海野洋司氏は、長男の誕生を機に、この詞の母体となる「草原の秋」という詩をしたためたらしい。
それは長らく氏の机の抽斗(ひきだし)の中に眠り、この、小さな木の実の作詞の依頼によって、世に送り出された。

子が、父を思ってしたためた詩ではなく、父の、子への思いだったのだ。
込められた思いの方向が、歌詞の内容と真逆になっていることが、違和感につながっていたようだ。

ただ、その違和感は、逆にこの歌の世界観を深め、寂寥感や無常感を強く表現しているようにおもった。