幼き頃、レタスの事を『草!』と呼んでいた娘が今日で10歳。

ふと、鏡を見ると、娘が生まれる前の年に買った

ヒスのシャツを羽織っている自分がいる。

買ってから着ない夏はない、というくらい着ている。

自慢じゃないが、私は特に服と下着はとても大切にしている。

そんな自分を誇らしく感じながら、10年の月日の流れを感慨深く思い

「コーディネートはこーでねーと!」と私は大和田獏風に言った。

その言い方は恐ろしく大和田獏似ではないのだが。








平成9年8月6日の夕方、サティにて陣痛らしきものを感じる。

それから私と出産の戦いは静かに口火を切った。

平成9年8月7日の午前中に私は入院した。

その日に産めば「987じゃん!」と特別にいい数字ではないのだが

その日に産まれる事が何となく嬉しかった。

しかし、そうは問屋が卸さない。

夜になっても陣痛の間隔にバラつきがあり産まれる気配がない。

しかし、一応、生まれて初めてのいちじく浣腸だけは済ました。


その浣腸、私の力不足のせいで我慢できず、


フライングで不発にて終わったのが今でも悔やまれる。

日は明けて8月8日

「子宮口が広がってきてるし、そろそろ」みたいな感じもありながら

「まだまだかなぁ・・・。」そんな感じで時計の針は23時をまわり、

相変わらずの微弱陣痛だ。

陣痛が始まり48時間が経とうとしている。

胃の中は空っぽで睡眠もとれておらずうつろな状態で

「昨日産んでれば平成9年8月7日生まれで「987」だったんですよね 」

そう助産婦さんに私は言った。

助産婦さんは 、

「今日だっていい日じゃない!8月8日で末広がりよ!」

よく考えると本当に987という数字は本当にくだらなく思えてきた。

「そうですね!今日産みたいけど・・・今日もあと少しで終わり・・・」

産卵中のカメの涙のように私の頬に涙がつたう。

もう、まじ、誕生日とかどうでもいいから産みてぇっ!

生まれないんだったら飛び降りたい!

と、私は疲労困憊が故に、出産前に白旗を振りそうになったのだ。



助産婦さんは先生を呼び出し

「先生、今日産んだら8月8日だから今日産んじゃいましょうよ」

などと相談している。

出産ってそんなもんかよ・・・・・。

先生は内診をしてフンフンフン、と頷いて

「じゃ、乗りますねー」

そう言って、私に乗った。

私の前には先生のお尻だ。

そして「いきますよー」と言って私のお腹を押した。

そう、私は自力ではなく先生の「押し」によって

いや、娘は母の力ではなく先生の「押し」によって

平成9年8月8日23時52分にこの世に押し出されたのである。

嗚呼、負けた、負けた、出産に負けた。 浣腸にも負けた。




出産から現在に至るまで不甲斐ない母で御座います。