
競馬が一番盛り上がるこの時を記念して、このブログでも
ちょっとダービー企画をやってみようと思います。
いつもGⅠ開催前日にお送りしているものの中にある
「歴代優勝馬の履歴」
これをもう少し頭数を増やして、ダービーを知っていこうという企画です。
今回は1932年の第一回から、1963年の第30回までの馬の中から
これぞという馬を紹介していきたと思います。
1920年代末、東京競馬倶楽部会長・安田伊左衛門氏に生産者からある陳情が持ち込まれた。
「イギリスで行われているダービー競争のような大競争を設けて馬産を活性化させて欲しい」
この声に答えた安田氏は、その頃斜陽化していた馬産を奨励する為に尽力し
1932年に「東京優駿大競争」として、第一回を目黒競馬場で開催しました。
1934年からは目黒から府中に移転した為、以降の開催は府中の現東京競馬場で行われています。
レースの条件は第一回から変わらず
芝2400mの旧4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定として行われています。
さて、今回は昭和7年から17年までの10回の中から
これは知っておきたいという馬をチョイスしてお送りします。
黎明期の優駿を知って、ダービーをより楽しみましょう。
1回(32)ワカタカ(32東京帝室御賞典)まだまだ重賞も少なく、競馬を統括する組織もなく開催は各競馬場ごとに
独自に行われていた時代。3戦目で第一回ダービーを勝った馬です。
翌年斤量68キロというレースを3走して3戦2勝2着1回をしています。
2回(33)カブトヤマ(34福島帝室御賞典、目黒記念)この頃はまだ調教師が現役の騎手としてレースに騎乗できた時代で
大久保房松氏が現役最後まで調教・レース騎乗を行った。ダービー前に大久保氏が風邪をひき
レースに乗れそうになく代打騎乗を他の騎手に頼もうとしたが、オーナーの
「この馬は君にダービーを勝たせる為に預けた。君が乗ってくれないと意味が無いんだよ」と言われ
40度近い熱の中で朦朧とした状態でダービーに騎乗したものの、4馬身差で快勝したと言われる。
種牡馬としてもそこそこ成功した。弟に2年後のダービー馬のガヴァナーが居る。
また彼を記念した「カブトヤマ記念」という重賞が1947~2003年まで計57回行われた。
6回(37)ヒサトモ(牝馬、38東京帝室御賞典秋・横浜農林省賞典)初の牝馬のダービー馬。
牡馬にも勝る活躍を残して38年一杯で引退し繁殖入りしたが子出しが悪く
なんと11年後の49年に15歳で地方競馬に現役復帰。5戦して2勝したが、6戦目の前の調教中に故障し
非業の死を迎え、その亡骸は行方知れずとなってしまった。
8回(39)クモハタ・3戦目でダービーを勝ち、以後そこそこの成績を残して引退。
繁殖入りした当時、まだ海外からの活馬の輸入が困難だった事も手伝って
内国産馬として戦後初のリーディングサイヤーにも輝いた。
産駒にはメイヂヒカリを始め8頭の八大競争勝ち馬と2頭の2歳チャンピオン
計26頭の重賞ウイナーを輩出した。
10回(41)セントライト(41三冠)日本競馬史上初の三冠馬。ダービーは4連闘で出走し前走で61キロも経験したが
2着に8馬身差で大勝。菊花賞で3冠を達成し引退した後は3頭の八大競争ウイナーを出した。
また弟のトサミドリはダービーは7着と敗れたものの皐月・菊花の2冠を制して2~3歳まで大活躍した馬
引退後は常にリーディング上位で頑張り、名種牡馬として名を残しました。
本当だったら30回位まで書きたかったんですが、ちょっと時間切れ。
続きはまた明日に・・・
写真はヒサトモ・・・から6代目の名馬・トウカイテイオー