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前回の続きです。

12回(43)クリフジ(牝馬、43オークス・菊花、44横浜記念)史上2頭目の牝馬によるダービー馬であり最後の牝馬ウイナー。
       ダービーを3戦3勝で制覇し世代トップに。秋は当時阪神で秋に行われていたオークス、そして菊花を制覇し
       牡馬2冠と牝馬1冠を制した事から「変則3冠馬」と呼ばれる事もある。
       母として54年2冠牝馬のヤマイチ、クモハタ記念のイチジョウ、金杯のホマレモンと3頭の重賞ウイナーを出して活躍した。

1944年・45年ともに第二次世界大戦激化の為に開催なし。

15回(48)ミハルオー(49天皇賞春)2歳函館でデビューし、皐月の前走まで7戦全勝。勿論皐月では1番人気となるが3着。
       その後一走して1着しダービーでリベンジに成功。3ヵ月後の9月札幌から復帰するが調子が戻らず
       秋シーズンは大凡走を続け、かつ菊花には調整間に合わず回避した。
       翌49年は初戦を3着し復調の気配を見せ、折り返しの天皇賞春を制覇。そこから4連勝し引退。
18回(51)トキノミノル(50朝日盃、51皐月)7月函館でデビューし皐月まで9戦全勝。ダービーも勝って2冠達成。
       オーナーが大映映画・大映毎日オリオンズ社長の永田雅一と有名人だったのも手伝って人気となり
       その勝ちっぷりから3冠も期待されたが、ダービーから17日後に破傷風にて急死。
       後にモチーフとして描かれた小説「幻の馬」がヒットし、大映で映画化し大ヒットした。
       ダービー馬の中で唯一改名経験があり、デビュー戦の頃は「パーフェクト」という名前だったが
       デビュー戦の強さからちゃんとした名前を付ける事にしたそうだ。
23回(56)ハクチカラ(56カブトヤマ記念、目黒記念(春・秋)東京盃、日本経済賞、毎日王冠、59ワシントンバースデイハンデ)
5連勝で挑んだ朝日盃で2着、皐月でも1番人気になったが12着と大敗。平場オープン1着を挟んでのダービーで
       見事優勝。秋はセントライト4、平場オープン1から菊花に挑んだが5着、中2週でカブトヤマ記念を勝ち第一回有馬は5着。
       翌57年は春の天皇賞は出走せず重賞勝ちを重ね、秋は毎日王冠1・オールカマー2・平場オープン1・目黒記念秋1
       そして天皇賞秋・有馬と連勝してその実力を見せ付けた。秋天を勝ってしまった為に天皇賞には出走出来無くなり
       目標は海外へ。7月に初戦を走り翌年の7月まで1年で17戦し、アメリカ唯一の国際招待競争だった
       ワシントンバースデイハンデを勝ち、日本馬初の海外重賞制覇を飾って引退。
       種牡馬として日本ではさしたる活躍はなかったが、インドに輸出され当地でリーディングを獲得する活躍を見せ
       トーカイドーエクスプレスというインドの歴史的名馬を輩出したりした。
27回(60)コダマ(59阪神3歳S、60スプリングS・皐月、61大阪杯・スワンS、62宝塚)ダービーまで7戦全勝で2冠を達成。
      秋は阪神大賞典3着から菊花を目指したものの、距離長く5着に破れ三冠ならず。
      61年は大阪杯・スワンSと連勝し期待されたが天皇賞直前で取消の憂き目に合い、1年の休養の後
      62年4月の平場オープン2着で復帰し、その後平場オープン2連勝を挙げ宝塚記念で3連勝を飾ったが
      またも故障し引退。
      父として69年桜花賞のヒデコトブキや重賞4勝のファインローズなどを輩出した。
      後年シンザンの強さを表現する時に「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは髭も剃れる鉈の切れ味がある」と
      引き合いに出されたのが有名。
30回(63)メイズイ(63スプリングS・皐月・クモハタ記念、64スワンS)デビュー戦で10馬身差の逃切圧勝、続く2戦も3・4馬身差と強さを見せ
       1戦2着を挟んでスプリングS・皐月・ダービーを4・2・7差で快勝を続けた快足馬。
       コダマ以上に三冠を期待され菊花当日はアドバルーンも用意されたが、レースでは暴走し6着に敗退。
       翌年は小さなところで勝ちは拾うが大きい所で一歩足りず、65年1月の正月競馬で平場オープンを勝って引退。



写真はシンザン以前で戦後最も2冠に近かったと言われたメイズイのダービー時