先日の紀元節奉祝式典における百地章先生の講演要旨を掲げます。
女性天皇、女性宮家がなぜダメか。ご譲位特例法の付帯決議で、皇位の安定的継承に関する論議が明記された。皇室の伝統は男系継承で一貫しており、現行憲法が規定した「世襲」の意義について歴代内閣は男系と解釈してきた。
皇統は男系による万世一系であるが直系ではなく傍系継承によって維持されてきた。
歴史上、皇統断絶の危機は四回あった。
① 第25代武烈天皇から26代継体天皇のとき10親等(200年)離れている。
② 第48代称徳天皇から49代光仁天皇のとき8親等(130年)離れている。
③ 第101代称光天皇から102代後花園天皇のとき 8親等(100年)離れている。
④ 第118代後桃園天皇から119代光格天皇のとき 7親等(70年)離れている。
→下リンク図参照
① は大友金村が福井で見つけ出した応神天皇の五世孫が天皇になったが、武烈天皇の妹と結婚した。
② は道鏡に誑かされた称徳天皇(女帝)によって天武系の血が絶え、天智天皇の孫である光仁天皇が継がれた。
③ は北朝第三代崇光天皇の子を初代とする伏見宮家から
④ は閑院宮家から迎えられた。このときも光格天皇は後桃園天皇の内親王と結婚された。
そもそも宮家とは男系の皇位継承資格者を確保するためのものであり、女性宮家など歴史上存在しない。
鎌倉時代に始まり室町時代に確立した「世襲親王家」は、血は離れても代々天皇の養子となり親王に任ぜられた。すなわち①伏見宮家②桂宮家③有栖川宮家④閑院宮家である。①と④は上述した皇統断絶の危機に際して重要な役割を果たした。
女性宮家は一代宮家なので親子で別姓になる。当然その子も皇族にということになれば女系が誕生する。イギリスもヨーク朝からチューダー朝、スチュアート朝と変わったのは男系が絶えたからである。女系の誕生は王朝の断絶であり、井上毅がいうように易姓革命である。
女性天皇はこれまで8方いらしたが、男子がいないときの非常措置であり、生涯独身である。「愛子天皇」がもし結婚され、その御子が天皇になれば女系になる。
戦後臣籍降下した11宮家の内、4宮家に20代以下の未婚男性が8~10名(賀陽家2名、久邇家1名、東久邇家4~6名、竹田家1名)おられる。東久邇家は上皇様との血縁も深い。
→下リンク図参照
昭和天皇は11宮家の臣籍降下に反対されていたが、GHQによる財産への課税や収入の禁止などによってやむなく降下された。しかしいまも旧皇族とは菊栄親睦会などでの交流が続けられている。旧宮家の若い男性のなかにはいざというときの決意を固めていらっしゃる方もおられる。
歴史的には宇多天皇や醍醐天皇など、臣籍に降られた天皇はいるが、民間人が皇族になった前例はない。女性天皇・女系宮家論は、旧宮家隠しである。
現在27ある王朝のうち、我が皇室はデンマークや英国の王朝よりはるかに歴史が長く、唯一「エンペラー」と称されている。