悪く言うと飽きっぽい。
そう自分の欠点を認識している。
自分の飽きっぽさ、いわば持続力のなさに気がついたのは、小学4年生頃だったか。
割合絵を描く事がうまかった少年時代、授業で写生に行くことが好きだった記憶がある。
描きたい絵の題材が見つかると一心不乱に画用紙に向かっていった。
写生の時間が終わる頃には、ほぼ書き終え、まあまあの出来栄えに結構満足していた。
だが、それからがいけない。
学校に戻り、仕上げる段階、色を塗る頃には飽きているのだ。
適当な色で塗ってしまい、後悔するも後の祭り。
満足していたデッサンから一転、出来上がった絵の惨めさに、なんともいえぬ脱力感が
全身を駆け巡っているのだ。
小学生の頃は、丁度ガンプラのはやりで、友達はプラカラーをきちんとそろえて、
うまく塗っていたものだったが、
自分はといえば、金銭的に余裕がない事もあったが、色を塗らずに
もっぱら組み立てる事に喜びを感じていた。
要するに芸術的な能力、色彩や配色に関する関心や興味が乏しかったんだと思う。
だが、組み立てる事やデッサンする事に力をそそいでしまい、
着色するころには気力がなくなっているのも事実だ。
それはいろいろな事象でみられ、趣味や日常生活、はたまた仕事でも
悪い癖が顔を出す。
まわりを見渡せば、中途半端にやり残したもののオンパレードだ。
そんな欠点を昔は母親、今ではカミサンに指摘される始末。
でも一向に直らないというか直す気はない。
仏教では執着することを戒める。執着は苦を生む。
よって執着しない生き方が良いのだとうそぶいて自己弁護する。
皮肉なことに、PC本体の上に飾っているフィギュアの背後には、
不動明王がにらんでいるのだった。
罰当たりな自分。
温故知新