つれずれなるままに・・・ -245ページ目

眠れない夜は・・・

昨夜は一睡も出来なかった・・。精神病者にとって眠れないことはつきものだと思うカゼが、なら眠れない夜は思い切って寝ないで(頓服をいくら飲んでも眠れないものは眠れないし、我々精神病者に翌日に仕事なんかないし)起きていて有効活用する方が寝れない、寝れないとネガティブに考えるより良い(何日か寝なくても死にやぁしない)のは明らかだろう。で、何をして起きているか?だが、寝ている人(家族、近隣の人達)に迷惑をかけないこと、具体的にいうと読書、消音での音楽鑑賞(部屋の電気消してベッドでしみじみと)、勉強、もしくはオールナイトオナニーショーくらいしかない。で、ここで大事なのは勉強!!学生だったら寝れなければ勉強すればいい訳だ。

自分も学生の時そうしていたが、これがかなりの勉強量になる(勿論、早寝早起きの早朝の勉強がベストだけど、ここでは眠れない人達に限定しての話だから)もんです。まぁ学生の勉強に限らず眠れない夜を楽しんじゃえばいいと思います(これがなかなか難しい、どうしても眠れないと焦ってしまう場合が多い)。他人が寝ている時に起きているというのは中々面白いことだし(僕だけかも)、何か面白い出来事や発見(深夜番組を観まくるとかね)がもしかしたらあるかも知れないし・・。夜の読書は風情があって良いし。眠れないのもある意味ひとつの特権みたいなものかもね・・・。

差別意識・・・

社会には色々な差別があると思う。身体障害者に対する差別、民族差別、そして精神障害者に対する差別。人間には同じ人間として(もっともそういう差別をする人達にはそういう意識など微塵にも無いと思うが) 生まれてきたからには平等に生きていく権利があるはずなのにだ。家の近所にもすごい差別意識を持ったおばさん(その人はいかにもきつそうなおばさんだが)がいてその人にも子供がいるが、その子供が精神障害者になった時(縁起でも無い話だがそういう可能性はゼロじゃない)そのおばさんはどういう態度になるのだろうか?そもそも差別する様な人は自分さえよければいい(自分が差別される側じゃないからいい、もっと言えば自分が差別する側だからいいという。前述のおばさんなんてその典型的な人)という人が多いと思う。それと自分達と違う存在を受け入れられない許容量の狭さ。特に日本という国、日本人にはそういう意識(他人と同じがいいだとか、日本の流行がそれを物語っているのではないだろうか?)が強いと思う。同じ精神障害者でも欧米諸国と日本では全然生き心地が違うんじゃないんだろうか(アメリカなんかはいかに人と違うか、他人にはない長所を伸ばすかに価値を置くからねぇ)?と思い少々羨ましくなる。色々長く書いてしまったが本当に精神障害者にとってこの社会は生き辛い。買い物に行っても、病院に行っても、地域で生活していても四六時中どこへ行っても差別され人間として不当な扱いを受ける。いったい障害者として生まれて来たことに何の罪があるというのだろうかと?僕は悔しくてしょうがない・・・。

雨の日は・・・

今日は朝から雨です。僕は雨の日が大好きです(引きこもりになる前は大嫌いだったけど)。何故かというと外に出なくてもいいという妙な納得感(安心感)を感じ、思い切ってインドアのひきこもり生活を満喫出来るからです(この感覚分かる人には分かると思うけどなぁ)。これが夏の快晴の日なんかは微妙に落ち着かない?というか出れない癖に妙に外に出なくちゃというプレッシャーみたいなものを感じそれが嫌なのです。それとやっぱり雨の日のしっとりとした静かな雰囲気が好きなのです。多分、多くの方は雨の日が大嫌いと思いますが、皆さんも雨の日にしか出来ないことを楽しめるといいですね。雨降って地固まるともいいますから・・・。

二度寝はやはり気持ちいい・・・

 だいたいいつも早朝5時半から6時頃一度目が覚めるのですが、その時どうしてもやらなければいけない雑用をやってからもう一回二度寝して十二時頃からムクムクと起きて活動し始める(といっても仕事していない僕は何もすることなんてないですけど)というのが僕の生活パターンなのですが、やはり二度寝は気持ちいいです。特に冬場なんかの朝寒い時にもう一度寝れるとき(みんな会社行ってんのに)なんかは最高に幸せ(アリとキリギリスではないけど後で後悔するのは自分だけどね)を感じます。

さて、ここで精神障害者の一般人には無いメリットって何かを考えた時、一番のメリットって自由時間が沢山ある(無為に過ごす危険性は十二分)ということが一番大きいのではないかと思う。

これは自分にやりたいことがある人間にとってはたまらない魅力だろう。何せ働かずに(そのかわりやることをやってる充実感みたいなのはないけど)自分の好きなことを好きなだけ出来るのだから・・。何がいいたいのかというと、働けないということは確かに人間としてある種不幸なのかもしれない。お金は無いし、社会からも相手にされない、結婚だって出来ない。でも、そのかわりその代償として一般人が老後からしか味わえないゆったりとした生活(暇が苦手の人にはある種地獄かも)が味わえるのだ。これは世の中見渡しても精神障害者位の特権ともいえるだろう。精神障害者という一般的に観て不幸と思われる人生でも楽しもうと思えば楽しめるもんだ。ちなみに僕は音楽を聴くのが好きで、死ぬまでにひとつでも多くの名曲を知りたいというささやかな目標がある

。忙しいとは心が亡い(その忙しく働いている人達が社会を支えてるので申し訳ないが)と書く位だからゆとりのある人生は幸せだときっと思う。忙しさにかまけてて見えなかった大切な何かがゆったりした生活からはきっと見えて来るだろう。

まぁ、とにかく二度寝は気持ちいい・・・。さてそろそろもう一度寝るかぁ。


人間関係力・・・

 ひきこもりの僕が言うのもなんだけど(いや、むしろひきこもりだからこそ)人間にとって一番大切なのは人間関係力だと思う。

いくらお金を持っていても、勉強が出来ても、何か打ち込めるものがあったとしても所詮人間関係力があってなんぼのものだ。

人間関係を上手く築いてゆける人はどこへ行っても逞しく豊かに(精神的にね)生きて行けるだろう.

友達を作れて、恋人や配偶者を作れて家庭を築いている人は(それなりに大変なこともいっぱいあるだろうが)やっぱりどこか幸せそうだ。僕はどこへ行っても友達はほとんど作れなかったし、生まれてこの方女性というものに縁が無い(手さえ握ったことも無い)。

 よく一般的な同年代の人が友達や恋人と仲良く楽しそうに歩いているのを街で見かけるが、羨ましいなぁとつくずく思う。

僕は子供・学生時代勉強ばかりしていたから比較的勉強は出来たが、ほとんど他人とほとんど関わってこなかった(意識的、無意識的問わず、それにあの頃は一人でもいいやと思い上がっていたのもあるけど)為人間関係力はほとんど無いに等しいまま今に至ってしまった(もっとも唯一の取り柄であった勉強も病気になって手につかなくなり落ちこぼれてしまったが・・・)がこの年になるともう取り返しが付かなくなっている。例え僕が今から他人と関わろうと努力したとしても、同年代の人達(生きていて一番関わるのは勿論同年代だから)は更に人間的に成熟(成長)して行くだろうから(僕が40、50になった時その差は誰の目から観ても歴然としているだろう).

 僕は前にギターを弾いていると書いたが、いくら良い器材でいい音で弾いていてもやっぱりどこか物足りない、バンドでも組みたいが(話は変わるがあるプロギタリストが音楽雑誌で音楽をやっていくには一番人間関係能力が必要とも言っていた)やはり人とのコミュニケーションがものをいう、かの精神病院に入院していてもやっぱり人とのコミュニケーションがその貧しい入院生活を大きく左右する(入院したことのある人なら分かると思うけど、これから入院するかも知れない人は看護士さんは上手く味方につけた方がいいですよ)訳だ。

 十代のひきこもりの人達に今からなら遅くはないから人間関係能力は大事にしたほうがいいですよと偉そうだが言いたい。

あー欲しいなぁ他人とのコミュニケーション能力・・・孤独は楽だけどやっぱり虚しい・・。