『カラフル』を読んで

小学生の頃に読んだ『カラフル』と、今読む『カラフル』は、同じ物語なのに、見える景色が少し違った。

昔は、主人公が家族に抱く嫌悪感に、ただ共感していた。

今は少し違う。

笑顔でいる人ほど、何を考えているのかわからない。
本当は嫌いなのかもしれない。
それでも笑っているのかもしれない。

正直に自分の気持ちを打ち明けることは、思っている以上に勇気がいることなのだと思う。

気持ちを伝えたからといって、必ずしも何かが良くなるとは限らない。
むしろ、関係が悪くなることだってある。

だから、お父さんの態度も、昔とは違って見えた。

世の中を渡っていく一人の大人として、感情だけでは動かず、折り合いをつけながら生きていく姿なのかもしれない。

小学生の頃には意味がよくわからなかったP61の文章も、今ではわかる。

「真の体を満足させてやることもあった」

そんなところにも、自分が年齢を重ね、知識や経験が増えたことを感じた。


主人公が羨ましいと思った。

「こうしたい」と思ったことを、そのまま行動に移せる。

母親を傷つけるとわかっていても感情をぶつける。
彼女を追いかける。
先のことを考えず、今したいことをする。
野宿までしてしまう。

それは無鉄砲で、危うくて、時には誰かを傷つける。

それでも、自分の気持ちにブレーキをかけずに動ける。

自分だったらどうだろう。

「こうしたい」と思っても、
「自分にはできない」
「やめておこう」
「きっと無理だ」
そうやって心の中にブレーキをかけてしまう。

その積み重ねが、少しずつ鬱憤になって、コンプレックスになっていくこともあるのかもしれない。

最初の一歩を出すのが遅れる。

すると、次の一歩はもっと出しにくくなる。

最初の一歩が遅れたことなんて、誰も見ていない。
でも、自分だけは知っている。

特に経験がなくて、毎日を生きるだけで精一杯のときほど、
その「一歩の遅れ」は大きく感じられる。


そして、主人公は少しずつ変わっていく。

悲しいことも、嬉しいことも経験して、
人を知って、
自分自身のことも少しずつ知っていく。

純粋で透明だった男の子が、
いろいろな色を身につけていく。

悲しみも、嬉しさも、後悔も、恋も。

全部が混ざって、
透明だった世界が、少しずつカラフルになっていく。

「カラフル」という題名は、
ただ明るく色鮮やかになるという意味ではなくて、

生きていくことで、自分の中にたくさんの色が増えていくことなのかもしれない。


そして、恋についても、今読むと少し違って見えた。

架空の、独りよがりな恋。

誰かに恋をしたり、相手を尊敬したりすると、
どうしても自分に都合のいいように解釈してしまう。

相手を美化して、
自分の中で物語をつくってしまう。

そして、その物語を信じるほど、盲信的になっていく。

「相手が本当はどう思っているのか」より、
「自分がそうであってほしいと思う相手」を見てしまう。

それもまた、人を好きになるということの一面なのかもしれない。

小学生の頃には気づかなかったことが、
今読むといくつも見えてくる。

たぶん私は、この本を「読み直した」のではなく、
自分自身が少し変わったから、違う色の『カラフル』を見たのだと思う。