前回からのつづきです。
住む家も決まったので、教育委員会へ。
当然、全くのアポなしだったのですが、一通り事情を話したところ、
「通うことになる中学校には知的障害クラスは無いけれど、こちらからそちらの教育委員会へ連絡をして情報収集します。引っ越されてきたら、学校から受け取られた書類を直ぐに提出してもらい、新しく知的障害クラスを新設するかどうかの会議を開きますので。まぁ、今も知的障害クラスということなので、新設することに問題は無いと思いますよ。それから、通うことになる中学校と下のお子さんの小学校へは直ぐに連絡しておきます」
もう、当時住んでいた所の教育委員会とは対応の違いにビックリでした。
帰り際に「お待ちしていますよ」という声に感動したものです。
話は逸れますが、当時住んでいた所も、実はヨシが小学2年、マサが年長さんのときに転勤により引っ越したのですが、そんな対応は全くありませんでしたし、名刺を貰うどころか、受付カウンターで塩対応されただけでした。
因みに、当時、既に発達障害の診断はされていたのですが、小さな町だったので支援学級は無かったけれど、でも、手厚い対応をしてくれていましたし、勉強もさほど遅れてもいなかったです。掛け算も7の位と4の位で引っ掛かっていたくらいでした。
結局、ヨシは調度翌年度に新設される支援学級情緒クラスに在籍することになりました。
実はこの時は、それよりも保育所か学童を探していたのですが、市役所の担当部署へ行くと、保育所や学童のリストを渡されて「あとは個人で探して下さい」と、冷たい対応。
結局、あちこち電話して、保育園も学童も途中から入れるところは何処もなく、なんとか近くの学童に翌年度から入れることにりました。(でもこの学童は結果的に大当りで、この学童と、ヨシ5年生、マサ3年生から行き始めた学研教室には大変お世話になりました)
もうその頃には、ヨシよりもマサの幼稚園での問題行動が噴出し、ヨシへの対応が疎かになっていたんですよね。
その後、数年間は私も現実を理解していなかったというか、楽観的な部分もあって後悔しきりなところではあるのですが、学校の酷いやり方にも憤慨する部分も多々ありました。
一番酷かったのはヨシの勉強です。
前の所では、先程書いた通り掛け算も殆ど出来ていたのですが、なんと、そこではまだ掛け算を授業でやっていなかったのです。
逆に有利だと思うじゃないですか?
でも、それが裏目に出ました。
2ヶ月ほどの空白期間中に、かなり忘れてしまうという事態に。
子供チャレンジしてたのに。
前の学校と違い児童数も遥かに多いせいか、先生の個別対応も無く、3年生になり支援学級へ。
そして支援学級の方が勉強は楽ですし、というか、そこの支援学級では親身な教えかたをしていなかったんですよね。
これは気が付くのに1年以上かかったのですが、どうもおかしいと思っていたら、算数はほぼ掛け算ばかりだったのです。
先生に、
「発達障害だから覚える事柄には凸凹があります。何を先に覚えるか予測は不可能なので、色々なことをやらせて見極めてほしい」
と言ったところ、
「掛け算を完全に覚えないと割り算は出来ないので、先には進めません」
という返答。
その後も何度も、その件についてあらゆる場面で訴えましたが、全く聞き入れて貰えなかった。
「ヨシ君には無理です!」
なかば逆ギレのような答えしか返ってこなかった。
支援学級担任を歴任しているベテラン先生なのに、発達障害を理解していない先生でした。
授業参観の風景でも、その事は良く理解できました。
これは学校での勉強は期待できない、塾だ、と思い、近くの公文と学研教室、どちらにするか検討した結果、学研教室に行くことになりました。
公文は、マサと仲の良い近所の悪友(かなりの悪ガキ。団子三兄弟で親は完全に子育て放置状態。いつも団子三兄弟で夜遅くまで遊んでいる。ヨシ、マサと同じ学童に通っている。勝手な解釈ですが恐らくADHDかと)が要るので却下。
他に適当な塾もなく、学研教室しかないということで、「うちの子は発達障害で支援学級に在籍しており、勉強もかなり遅れていますが、発達障害児童でも受け入れてくれる教室は有るでしょうか?」というメールを本部に出したところ、直ぐに返事が来ました。
車で10分ほどの所にある教室の先生が発達障害に理解があるということで、そこに通うことに。
ここの先生には大変お世話になりました。
お陰で、通い始めた5年生の冬の時点で何とか掛け算が出来るレベルだったヨシの学力も、転勤する中1夏頃には5年生レベルまで追い付くことができたのです。
お気づきかと思いますが、ヨシは2年生の夏から5年生の冬まで、掛け算以外の算数は殆ど習っていなかったのです。
家での勉強は、正直、やってる時間はあまり無かったんですよね。
かなり適当な学校だけど、宿題だけは大量に出るんですよ。
しかも最近よくある「親がマルつけする」というシステム。
で、一時期、ヨシが宿題が難しいというので、宿題以外でも何か家でのテキストとかやれば、それをノートに貼って提出しても良いですよ、という話になったのですが、程なく、「先生の出した宿題以外はダメ」と言うことになってしまいました。
そして、大量の宿題のため、子供チャレンジもやってる時間はあまりなく、また、子供たちもなかなかやろうとはしなかったので、ヨシが5年生になる年度で二人とも辞めたのです。
その後は上記のとおり、ヨシは驚くほど学力が向上しました。
(また停滞してますが……)
ていうか、完全に話が逸脱しておりますね。
やっぱ、ダメですね。
あの当時の事を考えると、次から次へと腹立たしい事が蘇ってきて、話が逸脱した挙げ句、文章にも全く纏まりが無いですね。
そんなこんなで、次に、発達相談機関である療育センターへ電話、アポを取ってから向かいました。
つづく。

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住む家も決まったので、教育委員会へ。
当然、全くのアポなしだったのですが、一通り事情を話したところ、
「通うことになる中学校には知的障害クラスは無いけれど、こちらからそちらの教育委員会へ連絡をして情報収集します。引っ越されてきたら、学校から受け取られた書類を直ぐに提出してもらい、新しく知的障害クラスを新設するかどうかの会議を開きますので。まぁ、今も知的障害クラスということなので、新設することに問題は無いと思いますよ。それから、通うことになる中学校と下のお子さんの小学校へは直ぐに連絡しておきます」
もう、当時住んでいた所の教育委員会とは対応の違いにビックリでした。
帰り際に「お待ちしていますよ」という声に感動したものです。
話は逸れますが、当時住んでいた所も、実はヨシが小学2年、マサが年長さんのときに転勤により引っ越したのですが、そんな対応は全くありませんでしたし、名刺を貰うどころか、受付カウンターで塩対応されただけでした。
因みに、当時、既に発達障害の診断はされていたのですが、小さな町だったので支援学級は無かったけれど、でも、手厚い対応をしてくれていましたし、勉強もさほど遅れてもいなかったです。掛け算も7の位と4の位で引っ掛かっていたくらいでした。
結局、ヨシは調度翌年度に新設される支援学級情緒クラスに在籍することになりました。
実はこの時は、それよりも保育所か学童を探していたのですが、市役所の担当部署へ行くと、保育所や学童のリストを渡されて「あとは個人で探して下さい」と、冷たい対応。
結局、あちこち電話して、保育園も学童も途中から入れるところは何処もなく、なんとか近くの学童に翌年度から入れることにりました。(でもこの学童は結果的に大当りで、この学童と、ヨシ5年生、マサ3年生から行き始めた学研教室には大変お世話になりました)
もうその頃には、ヨシよりもマサの幼稚園での問題行動が噴出し、ヨシへの対応が疎かになっていたんですよね。
その後、数年間は私も現実を理解していなかったというか、楽観的な部分もあって後悔しきりなところではあるのですが、学校の酷いやり方にも憤慨する部分も多々ありました。
一番酷かったのはヨシの勉強です。
前の所では、先程書いた通り掛け算も殆ど出来ていたのですが、なんと、そこではまだ掛け算を授業でやっていなかったのです。
逆に有利だと思うじゃないですか?
でも、それが裏目に出ました。
2ヶ月ほどの空白期間中に、かなり忘れてしまうという事態に。
子供チャレンジしてたのに。
前の学校と違い児童数も遥かに多いせいか、先生の個別対応も無く、3年生になり支援学級へ。
そして支援学級の方が勉強は楽ですし、というか、そこの支援学級では親身な教えかたをしていなかったんですよね。
これは気が付くのに1年以上かかったのですが、どうもおかしいと思っていたら、算数はほぼ掛け算ばかりだったのです。
先生に、
「発達障害だから覚える事柄には凸凹があります。何を先に覚えるか予測は不可能なので、色々なことをやらせて見極めてほしい」
と言ったところ、
「掛け算を完全に覚えないと割り算は出来ないので、先には進めません」
という返答。
その後も何度も、その件についてあらゆる場面で訴えましたが、全く聞き入れて貰えなかった。
「ヨシ君には無理です!」
なかば逆ギレのような答えしか返ってこなかった。
支援学級担任を歴任しているベテラン先生なのに、発達障害を理解していない先生でした。
授業参観の風景でも、その事は良く理解できました。
これは学校での勉強は期待できない、塾だ、と思い、近くの公文と学研教室、どちらにするか検討した結果、学研教室に行くことになりました。
公文は、マサと仲の良い近所の悪友(かなりの悪ガキ。団子三兄弟で親は完全に子育て放置状態。いつも団子三兄弟で夜遅くまで遊んでいる。ヨシ、マサと同じ学童に通っている。勝手な解釈ですが恐らくADHDかと)が要るので却下。
他に適当な塾もなく、学研教室しかないということで、「うちの子は発達障害で支援学級に在籍しており、勉強もかなり遅れていますが、発達障害児童でも受け入れてくれる教室は有るでしょうか?」というメールを本部に出したところ、直ぐに返事が来ました。
車で10分ほどの所にある教室の先生が発達障害に理解があるということで、そこに通うことに。
ここの先生には大変お世話になりました。
お陰で、通い始めた5年生の冬の時点で何とか掛け算が出来るレベルだったヨシの学力も、転勤する中1夏頃には5年生レベルまで追い付くことができたのです。
お気づきかと思いますが、ヨシは2年生の夏から5年生の冬まで、掛け算以外の算数は殆ど習っていなかったのです。
家での勉強は、正直、やってる時間はあまり無かったんですよね。
かなり適当な学校だけど、宿題だけは大量に出るんですよ。
しかも最近よくある「親がマルつけする」というシステム。
で、一時期、ヨシが宿題が難しいというので、宿題以外でも何か家でのテキストとかやれば、それをノートに貼って提出しても良いですよ、という話になったのですが、程なく、「先生の出した宿題以外はダメ」と言うことになってしまいました。
そして、大量の宿題のため、子供チャレンジもやってる時間はあまりなく、また、子供たちもなかなかやろうとはしなかったので、ヨシが5年生になる年度で二人とも辞めたのです。
その後は上記のとおり、ヨシは驚くほど学力が向上しました。
(また停滞してますが……)
ていうか、完全に話が逸脱しておりますね。
やっぱ、ダメですね。
あの当時の事を考えると、次から次へと腹立たしい事が蘇ってきて、話が逸脱した挙げ句、文章にも全く纏まりが無いですね。
そんなこんなで、次に、発達相談機関である療育センターへ電話、アポを取ってから向かいました。
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