昨日は卒業式でした。
特に感動はしなかったけれど、良い卒業式でした。
長かったけどね。
デジタル一眼レフ(55m-300mm)で撮ってたのですが、卒業証書を受けとる一番のシャッターチャンスをミスってしまって大失敗でした。
すまん、息子よ。
体育館での卒業式が終了し、外で6年担任と写真。
その後、急いで正門横の「卒業式」という看板前に移動。
案の定、撮影待ちの行列が出来始めていたけれど、何とか写真撮影に成功し帰宅しました。
あれ!?
支援学級の先生はどこ!?
卒業式にも居なかったよね!?
まっ、良いか(をい)
その後、卒業祝いに“びっくりドンキー”で昼食しましたー
それにしても、“よし”も遂に小学校を卒業かぁ…と思うと感慨深いものがありますね。
前に住んでいたとこで入学し、その頃は今ほど発達障害の事は深刻に考えていなくて。
その時通っていた小学校には支援学級が無かったので、普通学級だったのですが、あの頃はまだそれほど勉強も遅れておらず、行動等も「個性的」の範囲くらいかなとの印象だったのが、徐々に違いが目立ち始め、私の転勤でこの地へ引っ越しし、アドバンテージがあったのに勉強が遅れ始め(前の小学校の方が授業の進み方が遥かに早かったのだが、逆にそれが遅れる原因になったのかもしれない)、3年生から支援学級(新設された情緒学級)に通い出したものの、やたら掛け算ばかりやらされていたりしていました。
四年生になって、先生に色々提案したけれど、「今の“よし”くんには無理です」の一点張りで頑なに学習指導要領の流れでしか教えてもらえず、ますます遅れていく事になり、支援学級の先生には不信感しか無かった。
5年生になり、支援学級の担任が代わり少しずつ授業内容も代わり始めたものの、このままではまずいと感じ、学研教室へ通い始めました。
すると、徐々に理解力が上向き始め、本人のやる気も出始め、これまで国語や算数以外のテストでも散々な点数だったのが、6年生では60点や70点を取り始めました。
(6年で支援学級担任は元に戻りました)
それもこれも小学校の先生のお陰、ではなく、学研教室の先生のお陰です。
何はともあれ、無事卒業。
“よし”、卒業おめでとう!
特に感動はしなかったけれど、良い卒業式でした。
長かったけどね。
デジタル一眼レフ(55m-300mm)で撮ってたのですが、卒業証書を受けとる一番のシャッターチャンスをミスってしまって大失敗でした。
すまん、息子よ。
体育館での卒業式が終了し、外で6年担任と写真。
その後、急いで正門横の「卒業式」という看板前に移動。
案の定、撮影待ちの行列が出来始めていたけれど、何とか写真撮影に成功し帰宅しました。
あれ!?
支援学級の先生はどこ!?
卒業式にも居なかったよね!?
まっ、良いか(をい)
その後、卒業祝いに“びっくりドンキー”で昼食しましたー
それにしても、“よし”も遂に小学校を卒業かぁ…と思うと感慨深いものがありますね。
前に住んでいたとこで入学し、その頃は今ほど発達障害の事は深刻に考えていなくて。
その時通っていた小学校には支援学級が無かったので、普通学級だったのですが、あの頃はまだそれほど勉強も遅れておらず、行動等も「個性的」の範囲くらいかなとの印象だったのが、徐々に違いが目立ち始め、私の転勤でこの地へ引っ越しし、アドバンテージがあったのに勉強が遅れ始め(前の小学校の方が授業の進み方が遥かに早かったのだが、逆にそれが遅れる原因になったのかもしれない)、3年生から支援学級(新設された情緒学級)に通い出したものの、やたら掛け算ばかりやらされていたりしていました。
四年生になって、先生に色々提案したけれど、「今の“よし”くんには無理です」の一点張りで頑なに学習指導要領の流れでしか教えてもらえず、ますます遅れていく事になり、支援学級の先生には不信感しか無かった。
5年生になり、支援学級の担任が代わり少しずつ授業内容も代わり始めたものの、このままではまずいと感じ、学研教室へ通い始めました。
すると、徐々に理解力が上向き始め、本人のやる気も出始め、これまで国語や算数以外のテストでも散々な点数だったのが、6年生では60点や70点を取り始めました。
(6年で支援学級担任は元に戻りました)
それもこれも小学校の先生のお陰、ではなく、学研教室の先生のお陰です。
何はともあれ、無事卒業。
“よし”、卒業おめでとう!