まもなく4月ですね。就職氷河期を乗り切って無事内定を勝ち取った新入社員の皆様,おめでとうございます。

 ところで,朝早くから夜遅くまで缶詰にされたり,事務職なのになぜか河口湖を一周ランニングさせられたりといった厳しい新人研修の話を,毎年のように耳にしますよね。辛いだけでたいして意味がなさそうな研修が待っていると考えると憂鬱だ,という方も多いのではないでしょうか。

 でもご安心下さい。辛いだけで意味がないように見える研修にも,本当は意味があるのです。というより,辛ければ辛いほど,そして意味がなさそうに見えれば見えるほど,その研修はある意味では効果的であると,社会心理学の古典的な理論である「認知的不協和理論」は予測しています。


 まず「認知的不協和理論」とはなにか,喫煙者が煙草は体に悪いと教えられた,という状況を例にとって考えてみましょう。喫煙者にとって,”自分が煙草を吸う”という要素と,”煙草は体に悪い”という要素は,”不協和”な関係にあります。不協和とは,一方を受け入れるとと他方を受け入れることが困難になるような関係を指します (ただし,この例でも分かる通り,論理的な”矛盾”ほど強い意味を表しているとは限りません)。
 不協和な関係にある要素が存在するとき,人はそのせいで生じる不快感を低減させようとして,認知的要素の一部に修正を加える,とするのが「認知的不協和理論」です。例えば,不協和な要素の一方を否定してみたり (”煙草の健康への害は証明されていない”と言い張る) ,新しい要素を付け加えてみたり (”煙草を吸うと頭がすっきりするんだ!”と主張する) ,あるいはもっと建設的に,煙草をやめてみたりします。


 さて新人研修に話を戻しましょう。楽しくていかにも役に立ちそうな新人研修を受けた場合,そこには不協和は生じません。
 一方,辛くて,おまけに意味もなさそうな新人研修を受けた場合,”何の変哲もない会社に入ったこと”と”そのために辛くて無駄な研修を耐えたこと”の間には,不協和が生じます。そのために生じる不快感を減少させようとして,不協和な要素の修正が行われるのです。例えば,”この会社は,辛く無駄な研修に耐えてでも入る価値がある特別な会社なんだ!”と思いこんだりするんですね。
 実際,集団に加入するために支払ったコスト (金銭だけでなく,心身の苦痛なども含む) が高ければ高いほど,その集団への満足度は高くなるということが実験や調査で示されています。世界各地に残る,大人と認められるための厳しい通過儀礼だとか,体育会系のサークルに多い新入生へのしごきだとかも,同じような効果をもたらすと考えられます。
 ですので,辛いだけで無駄に見える研修にも,ちゃんと効果があるのです。経営者にとっては,新入社員の会社への忠誠心を養ってもっと働かせるための大事な機会なんですね。…やっぱり新入社員には嬉しくないかも。ぬか喜びさせてすみません。まあ、いやいや会社に勤めることになるよりは、素晴らしい会社だと思い込んで勤めることになる方が幸せかもしれないと思って我慢しましょう。


 とはいえ,皆さんの上司が,新入社員の忠誠心を吸い上げるために故意に辛くて無駄な研修を企画しているのかどうかは微妙なところです。というのは,この場合,”研修は辛かったけど,意味があったからこそ耐えたのだ”と考えることによっても,不協和は解消できるからです。そして,今年の研修を企画する上司の皆さんも,何年も前には,同じように新人研修を受けているのです。だとすると,皆さんの上司は,自分たちが受けた研修には本当に意味があると思いこんで,善意で同じような企画を立ててくださっているのかもしれません。そして今年の新入社員の皆さんも,数年後には,客観的に見ればバカバカしいような研修を,善意で後輩達に押しつけているかもしれません。

 これと似た現象は,社会の随所で見ることができます。小学校中学校で教師の理不尽な締め付けにあった人が,数年後には”あの理不尽な目に耐えたのは,自分を成長させるものだったからに違いない”と思うようになり,教師による虐待にあえぐ子ども達に向かって”最近の子どもはだらしないなあ,俺たちの頃なんて体罰なんて日常茶飯事だったよ,子供はそうやって一人前にしてもらうもんなんだ”なんていううっとうしい説教をするようになっていたりします。金銭的なコストや苦痛を経た後には,それに関わるものの評価が甘くなりがちであることには,十分に注意しましょう。


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があるのだけどやや古くなりつつある気もする…

もっとも古典的で代表的な研究は
Festinger, L. & Carlsmith, J. M. (1959) Cognitive Consequences of Forced Compliance. Journal of Abnormal and Social Psychology, 58, 203-210.→pdf
資格試験や院試にも頻出だよ!