日本経済の基礎は、明治維新後器械製糸によって横浜から輸出されるようになる生糸によって成立したと言っても過言ではない。それまで各地の山間部で細々と営まれていた養蚕が、福島や群馬、長野で規模が拡大して産業化した。
そうした動きはスイスからフランス、イタリアにかけての山間部て盛んだった養蚕とリヨンやミラノの絹織物が、かいこの疫病によって大打撃を受けることに始まる。
映画「シルク」でも描かれたようにスイスから、良質な生糸に目を付けた商人たちがよい蚕種(かいこの卵)を求めて日本にやってきた。その後、生糸の輸出で潤う日本の商人相手に、スイスの時計商人がやってきた。それがいわゆる商館時計の初めである。
横浜の街には、福島や群馬の町の名が付けられ、各国の商館が建てられ、欧米の商人たちが行き来した。特に上州は、前橋に器械製糸の工場がスイス人によって初めて造られ、その後明治政府によって富岡製糸場が建設された。群馬県令には山口から香取素彦と吉田松蔭の妹ふみ夫妻が派遣され、横浜との間に鉄道が敷設される。福島と群馬の生糸が横浜から世界へ輸出されることで、日本は近代化を進めるのに必要な外貨を獲得した。