昨日の夕方から、兵庫県丹波市の柏原日赤病院までお送りするご予約がありました。
タクシーの仕事としてはかなりロングです。

{289DF67E-741B-401F-8E24-273368499BBA}



観光気分となり、あらかじめ、近くに何か面白いものはないかな?と探してましたら、ほん近くに《田捨女さん》の誕生地があることが分かりました。

{C0D27412-9DB3-4DE5-8A1C-294B4F6EE402}

住所兵庫県丹波市柏原町柏原229

田捨女は1634年、丹波国氷上郡柏原藩(現在の兵庫県丹波市柏原地域、当時の藩主は織田信勝)に、柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した。

6歳のとき

雪の朝 
        二の字二の字の 
                              下駄の跡

という俳句を詠み、周囲にその才を認められる。 

{CB31E710-998D-4A6D-87F2-1F9B5524B847}

後に北村季吟に師事。
1674年(延宝2年)夫が死去したため髪を下ろし妙融と号した。
この頃にはすでに貞門女流六歌仙の1人として著名であった。

その後子供らの独立を見届けた後、京都で俳諧・仏道などの修行を重ねた後、1688年(元禄元年)《播磨国の天徳山龍門寺の傍らに「不徹庵」という庵を構え、貞閑と改名。》その地で後進の指導に当たった。

《1698年に死去し龍門寺に葬られた。龍門寺には現在も捨女の墓がある。》

{3D37A517-946F-4B19-9AE3-F9A0B2A7691C}

{AF681A7A-A6D5-467D-A77E-1DBB5B8BA331}

※龍門寺は現在の姫路市内の網干地区にあります。

ここまで、画像はネットより拝借。
今回撮影したのはこちら。

{93322801-50E3-42DF-9088-DAEF9ABB5BB8}

{D65FB89E-17B7-4D99-842E-0D2174BF6E0D}

{52A8D75E-5DBC-457E-A556-9A8837431FEB}

{D83F941E-4133-4015-B0E9-5031D814B846}

{DAC2DAFF-488A-4AB7-9053-70808684D2D3}


追記

全く繋がりのない話ですが、姫路から丹波に行く途中に、西脇市内の黒田庄の町を通ります。
この黒田庄は、黒田官兵衛の出身地ではないかとと話もあります。

{02BA158B-CBBD-42FF-A0B6-A2EC604AED75}

{6EE356F1-6772-48D1-AE3F-AC7EC0A9AE86}

{53A868FA-209A-4834-8FD1-056F16F70863}
地元ではかなりの本気モードです。

黒田官兵衛 生誕地 出身地

http://www.tosikun.com/kuroda/kanbee135.html




「そうかも知れんなあ」と思いますのは、姫市内の御着の地に黒田官兵衛の祖父と母の墓があり、
{33A56208-F642-448B-AA84-FA108B131403}

{5EE15216-3DF7-4EAE-9E6A-69418DC623F4}

黒田官兵衛の父のお墓は姫路市内の南、妻鹿にあります。
{4E35144C-30D9-432C-A554-A9EFB627F4A4}

{09976429-C672-4D7A-B424-7C8803EEBF82}
  

お墓の納まり方としては、少し不自然なんですね。
夫婦ではなく、祖父と母の墓が御着にあり、父は妻鹿にあるのでしょうか?
一つの場所なら理解も出来ますが.....

御着にある祖父と母のお墓は、本当の夫婦であり、官兵衛が義父の元に養子に入ったのなら、妻鹿の地に義父の墓があるというなら、何となく、理解出来ますね。
  

因みにこの日妻鹿は「黒田節のモデルとなった母里太兵衛の出身地です。

{75E6ED7D-E8A8-4FEF-AD66-2C211DB20DE8}