法隆寺 五重の塔( 発見 免震構造 )
千三百年前に、ここまで考えられていたとは思ってもいませんでした。脱帽です。
もし現代の建築家がこの事を知らないと仮定した場合、五重の塔を設計したらどの様な設計図を引くのか興味がありますね。
もし現代の建築家がこの事を知らないと仮定した場合、五重の塔を設計したらどの様な設計図を引くのか興味がありますね。
トニー・ジャー / アクション俳優
凄いアクションです。アクション俳優はジャッキーチェン、ジェット・リーも凄いと思いましたがトニージャーも注目。今まで知らなかっただけでちょっと前のですが。最初の動画、彼の五つのマニフェストを忘れずにご覧下さい。死ぬかと思った、は笑います。
日本の近代工学の源、小栗上野介
当時の欧米諸国は有色人種(アジア人)は黄色いサル程度にしか考えていなかったでしょう。しかし日本だけは違っていたのです。世界で最初に先物取引をしたのも日本人です。当然交換レートの考え方を知らないはずはありません。
彼が捕まった時は、農業をしており、戦いにも参加していません。
新政府も同じ日本の事を考えていたにも拘わらずなぜ彼だけが斬首されたかは、新政府を自分たちの都合の良いようにしたいと考えた心の狭い維新派の一部の人間が、彼のような優秀な人間は邪魔と考えたのでしょう。確か彼のことはドラマ化されたと思います。
明治45年(1912年)7月、東郷平八郎は自宅に小栗貞雄(婿養子)と息子の又一を招き、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」と礼を述べた後、仁義禮智信としたためた書を又一に贈っている wikipediaより引用
彼の数代前の勘定奉行、川路聖謨(としあきら)もロシア使節プチャーチンと堂々とした議論を展開して日露和親条約を締結させています。日米修好通商条約にもかかわっています。
吉村昭 著 落日の宴
引退後は、中風による半身不随や弟の井上清直の死など不幸が続いた。慶応4年(1868年)、割腹の上ピストルで喉を撃ち抜いて自殺した。山田風太郎はその著「人間臨終図鑑」において次のような言葉を記す。 「彼(注:川路)は要職を歴任したとはいうものの、別に閣老に列したわけでもなく、かつ生涯柔軟諧謔の性格を失わなかったのに、みごとに幕府と武士道に殉じたのである。徳川武士の最後の花ともいうべき凄絶な死に方であった。」wikipediaより引用
最後だとわかっていたなら
9.11テロで亡くなったレスキュー隊(当時29歳)が生前に書き残した文章だそうです。合掌
ニュースでは悲しい事件が毎日のように報道されています。それ故彼の文章にはとても考えさせられます。
頭では理解していても、実感としてなかなか感じ、実践する事が出来ません。今日を生きると言う事の難しさをつくづくと思い知らされます。
ニュースでは悲しい事件が毎日のように報道されています。それ故彼の文章にはとても考えさせられます。
頭では理解していても、実感としてなかなか感じ、実践する事が出来ません。今日を生きると言う事の難しさをつくづくと思い知らされます。