今年は外出して、季節感を味わうことも少ないままに、一年が終わろうとしている。
日本という国は四季とそれに伴うイベントを味わいながら、一年が終わるようになってるようだ。
私はタクシー業界の人間ゆえに、忘年会絡みの送迎が無いまま、新年を迎えることは異様である。
仕事量も大幅に減り、この調子が続けばお手上げとなり、家(教会)のローンも滞ることとなる。
誰が悪いわけでもない。
♫仕方がないんだ みきのため
と星影のワルツでも歌い、割り切るしかない....
少し早いかも知れないが、先に元旦祭祭文を書いてみました。
皆様、お世話になりました。
元旦祭 祭文
天理教 飾家分教会
これの名称の理をお許し下さり、お導き下さいます親神天理王命の御前に天理教飾家分教会長 小田久一 元旦の慶びを愼んで申し上げます。
親神様のお働きのまにまにめでたく新年を迎えさせていただきました。
顧みますれば昨年はコロナ禍の影響を受け、おぢばへの参拝は自由に出来ぬようになり、地方の教会もその影響は出て参りました。
また、遡れば、かんろだいの倒壊、真柱様の御身上からおさづけの理の拝戴は延期となり、大きなふしが続く中、それぞれの信仰を問われ、己を振り返る旬をお与えいただきました。
おやさまのひながたは、良き日ばかりではなく、無理解と迫害の中をたんのうの心で、勇んでお通り下されふしから芽が出ることをお示し下さいました。
新年の仕切りに合わせ、心の向きをおやさまの教えと重なりますよう、事改めまして、只今よりおつとめを陽気に勇んでつとさせていただきます。
共すれば、煩いから感染しないことに思いを寄せ、苦しんでいる方々を遠ざけることもあったかと思いますが、先ずはお道の者は、皆様の安全を祈り続けることが、我が身へのたすかりとなって返って来る。
まさに人をたすけて我が身たすかるという教えを噛み締めねばなりません。
届かぬ私達ではございますが、この勇み心をお受け取り下さり、新年の誓いとさせていただき、一同と共に謹んお願いを申し上げます。