【ビデオで見た感想】
まず、「世界一の臆病者」という、キャッチコピーに違和感を感じました。
《彼は臆病者ではない。
人を殺めることが嫌なだけだ。》
こう書くと、全ての人が人を殺めることは嫌だと答えるだろう。
しかし彼は、自分が襲われ、殺られそうになったとしても、人を殺めることをしないと決めているのだ。
殺らなければ、殺られてしまう。
そんな、究極の場面で、選択の余地の無い時でも、彼は人を殺めないと心に誓い、いかなる困難な中でもそれを実行して行くのだ。
それは、簡単なことではない。
自らの命を顧みないで、戦争の中で、人命を救うことは、相手を倒すことより困難なことであると思います。
彼は敵を殺す兵隊ではなく、味方を助ける衛生兵の道を選びました。
ここは、沖縄のノコギリ崖と言われている《ハクソーリッジ》です。
ここを登り、征服しないとアメリカ軍の勝ち目はない。
また、それは日本軍にとっても最大の防戦地区です。
戦闘地は高台にあり、崖から降りねばなりません。
そんな危険な戦闘地で、彼はアメリカ軍の衛生兵として、文字通り、決死の思いで75名ものアメリカ兵を、1人ずつ救出して行きます。
その献身的な姿に同僚達は、今までの彼に対する評価を改め、彼は武器を持たない、戦争で人を殺さない英雄として、国からも勲章をもらいます。
多少映画ですから、脚色はあると思いますが、これらの話は実話に基づいた話です。
表現を変えるなら、可能であるということです。
争わない世界、または、最小限の争いにしていくことは可能であるということです。
敵を殺さない彼に勲章を与えのは、トルーマン大統領であるが、日本に原爆投下を認めたのもトルーマン大統領です。
そう思うと、ハクソーリッジで英雄になった彼の功績を本当に理解したのか、どうかは疑わしい。
本質的な命の尊さを理解したとは思えないのだ。
映画では沖縄戦の一部しか触れられていませんが、私たちがこの映画を観て、誓うべきは《不戦の努力》であると思います。
いかに戦わずして、平和を勝ち取るかが求められています。
自衛隊が武器を持って海外に出て行く、正当防衛の過大解釈に向かう論調よりも、自衛隊の主な任務は、世界の災害を中心とした、救助のスペシャリストであってもらいたい。
自国に武力で侵入して来た狼藉者に対して、追い返す為の道具として、武器を使用する努力を続けてもらいたいものだ。
憲法に自衛隊のことを明記するのは構わない。
ただし、《自国の災害を救う目的として自衛隊は存在し、自国に侵入して来た者に対しては、正当なる防衛をする》とすべきかと思います。
【昭和32年2月 防衛大学第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓辞】
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し、国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。」
本当にそうだと思います。