どうも、シルベストル・マトリョーシカです。
ネット黎明期に、個人のいわゆる「日記」ってのが流行(?)した時代がありました。若い方は知らないかもしれませんね。僕の世代はちょうどファミコンから家庭用コンピューターに触れ始め、成人する頃には一太郎と花子が台頭していた時代でございます。今はオフィスとアドビの時代。一太郎花子の当時の勢いを知らない方は、クインシー・ジョーンズの凄さを知らない方と同じくらい増えているのだと思います。プログラマーという職業が爆発的に増えた世代。個人が世界に向けて(いるつもりで)サイト作りを頑張っていた世代です。
僕の親世代となりますと、子供時代にカラーテレビの登場に興奮したくらいの世代になるんでしょうか。うちの父がガキの頃には、まだ街ん中で馬車が走っていたといいます。それから8mmカメラ、VHS、そしてカセットテープ、レコーダーが次々に登場。昔、父に訊ねたことがあります。「馬車が走っていた時代から今のデジタル時代まで生きていて、この時代の変遷をどう感じているの?」と。
返答は至って淡白で、「自然と変わっていったから何も感じないよ。当たり前に受け止めてきた」といった具合。
僕の場合もそうで、まさかデジタルで真空管の音を再現するプラグインが登場するなんて思ってもいませんでしたし、増してスマホね。タッチパネルでガジェットを操作して、必要なときには撮影をし、録音し、メモし、編集まで手元一つの端末でするなんて、こりゃガキの頃の自分が見たら腰を抜かすようなテクノロジーだなあなんて思うんです。アプリで当たり前のように機能変革。リバーブかけるために数万の投資をしていた昔がばかばかしく思えます。当たり前に受け止めてきましたが。
僕もいつかは普通のサラリーマンになって、アナログに働いているんだろうなぁという漠然としたビジョンも昔はありました。こんなに社会が変わるとは思っていませんでしたから。しかしいつの間にかクライアントとクラウドでデータを共有し、デジタルベースで仕事をするようになっていた。会社に就職しなくても個人で稼げる時代になっていた。僕なんて所詮社会不適合者でしょうから、計算機科学の発展に救われたところがあると思います。
時代の移り変わりって、人生にダイレクトに影響するもんだと思うんですよね。
そこでふと思うのが、「どうしていまだこうして、過疎化しているブログを書き続けるのか」ということ。
物書きというと、過去作を紙媒体でアピールするのが当たり前の時代がありましたが、今はそうではありません。オウンドメディアで情報発信するにあたり、個人ブログやSNSアカウントの情報を求められる時代です。言うまでもなく、僕はこのブログを商材として活用したことはありません。こんなしょうもない文章をダラダラ綴っているブログに、商業的価値なんてありませんから。当然カードにはならないわけです。
それでも当初は、ブログを書く理由というのは明確にありました。
一番は、ストレス解消です。
やっぱり「書く行為」というのが好きなのですよ。増して仕事で文章を書いていると、時折目的意識のない駄文を連ねたくなることがよくあります。それを担うのがブログ。そんなわけで、かれこれ二十年近く、最初は日記というものから始まって、いつしかブログに移行し、こんな調子でやってきました。
最初の紙媒体とのご縁もすごく印象的です。出版社から本の出版を打診された時。
当時僕は物書きのひよっこで、いきなり出版社のよく分からないビジネスの現場に呼ばれてビビッたもんです。物書きとしてはすごく光栄な経験だったと思います。僕の作品に対して「電車内とか百貨店とか全面的に広告を打つからGOを出してくれ」と、担当者から懇願されたものでした。しかし当時の僕は素行が最悪でして、たとえペンネームだとしても公になりたくないという事情があり、度々お断りしました。本当に申し訳ない気持ちでしたよ。「どうしてそんなに拒絶するんですか!?今売れば絶対売れるのに!」ってキレられましたけども、「いや、僕素行が悪くて色々事情があって」なんて言えるはずもなく。
ガキだったんですわ。あの時、もし本を出していたら人生また違っていたかもしれませんね。でも、それも結局は運命です。
さて、ここにきていよいよ、ブログを書くという行為に目的が伴わなくなってきたと感じています。
その理由は色々ありますが、一つは「ブログの時代じゃない」というのを実感しているから。個人のブログなんて先細りで、いつか消えると思います。ではその先に何があるかというとSNSですね。SNSのサービスは今後、発信者のあらゆるニーズに応える形にさらに変容していくでしょう。当然ビジネス主体で活用できるツールとして、短期間ある程度までは発展すると思います。
もう一つの理由として、僕自身発信したいものが変わってきたということがあります。もう駄文なんていいかなって。これには色々な事情があるのですが、立場的に過激なことを書けなくなってしまったということもありますし、僕自身、「意味のない文章を発信する気力がない」というのもあるかもしれません。
もともとブログを通して主張したいことなんてありませんし、メッセージもありませんし、本当に気の向くまま書いてきました。しかし、今は「ブログにまで気をつかうのに疲れた」という気持ちがどこかにあります。これは僕自身の問題なのか、あるいは時代の変遷に起因するものなのか、よく分かりません。おそらくその両方でしょう。
単にギャラや原稿料が発生するもんしか書きたくないというわけではなく、ブログがストレス解消にならなくなったということです。そりゃもともと好きなことを書くのが目的だったわけですから、こんな“言葉を選ばなきゃならない”なんて状態になったら、本末転倒ですよ。ここで書く意味がない。
こういう理由で、そろそろブログをやめようかなと思っております。
やめたらやめたで「また駄文を書きたい」なんて思いに駆られるかもしれません。しかし、しっかりけじめはつけたい。
思えば、所詮日記やブログとはいえ、今まで色々なことがありました。昔は過激なことも平気で書いていましたから、お叱りをいただくこともあったのですよ。わざわざクレームくださる方も、勇気が必要だったと思います。キチガイじみたことを公衆の場で発信する奴に文句を言うのも楽な作業ではないでしょうから。ですから僕は、すべてのクレームに真摯に対応してきました。先方からすりゃ「あれ?」って拍子抜けだったかもしれません。謝罪だってします。過激なことを言うってのは、謝る覚悟がなければできないものですから。
しかしそういうことも色々あって、次第に色が薄れ、それでもできるだけ書きたいことをそのまま書き、極力誰も傷つけない文章ってのを心掛けて今に至ります。
昔は誰かを傷つけるくらいインパクトのある文章を書くところに意味を見出していたところがありました。PVを稼ぐとか炎上を狙うというのとはまた別のベクトルで、単に率直だったのです。若さゆえとんがっていたのでしょう。
しかし僕も歳をとりまして、なんだか性格的にもずいぶんと丸くなったように思います。戦意を失ったわけではなくてね、長いものに巻かれない気概はまだあります。ただ、どうせ何かを発信するのなら、誰かの、実質的な利益につながるような価値ある情報を発信したいと思うようになったのです。とうの昔からそうでした。
ブログが終焉を迎えるだろうと予測するのも、こういうところに理由があります。
実質本位が求められている。社会的な価値観の推移もある。多様性もある。
そのセオリーに乗っかって、無難で危うさを感じさせないスタイルに転向しようとは思いません。まあ、sickyとしてはある意味既に転向しているのですが、挑発のスタイルってのは変えていかないと。昔は僕も嫌いなもんがたくさんありましたが、その多くが今では嫌いではありません。それは人生経験を積むことで得た理解や寛容さによるんでしょう。
いまだ挑発的でありたいと思うものの、それは「好き勝手に書く」というのとは少し違うのです。逆に言えば、また過激に戻るというのも一つの選択でしょうし、自分が好きなものをとことん追究するというのも一つの選択だと思います。
このブログなんて、個人的に僕のことを知っている人や、ネットを通して興味を持ってくださった方、音楽あるいはVape経由の方もいらっしゃるかと思います。往年のsickyファンがもしかするとまだ見てくれているかもしれません。
あなた達にどれだけ価値のある情報を提供しているかというと、今となってこのブログには何の価値もないと思うのです。ごめんなさいね、これはもしかすると失礼な表現かもしれないのですけど、そもそも今の僕のブログには「近況報告」以外の価値はないと僕自身は思っています。昔から読んでくださっている方からすれば、「シッキーいつの間にこんなに退屈になったの」ってなことで。それは僕自身ももう数年前から思っていることなのですよ。
sickyはとっくに死んでいたのではないか。
今のこのブログに僕自身、価値を見い出せなくなりました。
過激なことも書けないし、かといってフラフラととりとめもないことを書く気分でもない。
ましてアメブロというメディア媒体に依存しているわけですから、それだったらワードプレスなんかを使って自分でコンテンツを作りたいというのは、クリエイターとしては自然な流れだと思います。遅過ぎるくらいですね。まぁ、商売でやるわけではないですから、タイミングなんてどうでもいいとは思います。単純にブログサービスに飽きたってことです。
そんなわけで、sicky引退をどういうタイミングでするか、考えております。
多くの方にはどうでもいいことだと思いますが、それでも中にはsickyを気にかけてくださる方などがいらっしゃると思います。数年前からsickyに幻滅している人もいるでしょうね。分かっているんですよ僕も。自覚があります。
ですから、けじめをつけたいのです。
これについてはまた追々書こうと思いますが、取り急ぎ今の気持ちを書かせていただきました。
ネットを通してお叱りを受けることはたくさんありましたが、同時に応援のメッセージや共感の言葉をいただくこともたくさんございました。どちらも励みになり、楽しく豊かな経験でした。
こんな当たり障りのない言葉にsickyとしてどんな価値があるのか僕にもよく分かりませんけども、色々な形で関わってくださった方々に心から感謝しているというのが僕の偽らざる本音です。実際に学ばされることや勉強させられること、支えられることが多かったのですよ。
まぁ、また別の機会に改めて色々書こうと思いますけども。取り急ぎね。
えー、素行の悪い旦那と掛けまして、わがままな妻と解きます。
その心は──
どちらもケンキョになりなさい。
おあとがよろしいようで。CU