どうも、ネイティブの英語なんて信用なんねぇぞ太郎です。
突然ですが、いや突然でもないのですが、今年いっぱいでsickyを引退することに決めました。つまりはブログの更新をやめ、sickyのサイトの更新もやめ、インスタグラムの更新もやめるということです。sickyとしての活動は、すべて終わらせます。通り一遍のご挨拶で恐縮ですが、今まで大変長らくお世話になりました。ご支援くださった方、ご批判くださった方、すべての方々に心よりお礼申し上げます。
引退の理由は、前回の記事でおおむね語っております。
まぁ、僕が引退したところで何てこともないと思うのですが、もしかするとガッカリされる方もいらっしゃるかもしれません。ご期待に添えず申し訳ない。
年内はできるだけブログも更新しようかと思います。鼬の最後っ屁ってやつですか。最後ですからね。もし僕に何か言いたいことや訊きたいことがあれば、今のうちにどうぞ。ふざけた返答しかしないかもしれませんが、年内であればご返答差し上げますので。それ以降はもうありません。
言ってももう10月も終わり。2018年も間もなく終わりますね。終焉間近です。
sickyとしてやってきて、もうかれこれ十数年くらい経つんでしょうか。僕にこの名前を与えてくれたのは、かつてのバンド仲間でした。もうずいぶんと昔のこと。「シッキー」という語感と意味合いが当時の自分にマッチしているようで、とても気に入ったものです。今考えてみれば、俺に「シッキー」なんて名前をつけやがった奴もたいがい失礼ですけどね。とんがっていた当時の自分からすれば、それもどこか心地よかったのでしょう。
sickyならではのご縁もありましたし、音楽を通して誰かに感動を与えたり、喜んでもらえたりしたこともありました。様々な作品に関わらせていただき、ありがたく思っております。
しかしもう間もなく死にますわい。
僕は生きてますよ。シッキーは死ぬということです。というか、実はとっくに死んでいたのではないかということで。延命措置でダラダラやるつもりはございません。改めて語る必要もないと思いますので割愛します。
結局、シッキーってのは何者だったのか。今になって考えております。
僕にとって「シッキー」ってのは、愛すべき二つ目の名前であったと同時に、誰にでもある“いけない部分”の象徴でした。人間、誰しも表の部分と裏の部分があると思います。澄み渡った空を見て美しい気持ちいいと思う反面、死者を冒涜するようなホラームービーを見て喜ぶ。暴力は野蛮!なんて言いながら、格闘技には子宮をキュンキュンさせるヤバイ女もたくさんいますわ。後者の、人として動物としての本質こそ、シッキーだったのだと思うのです。僕からすれば自分よりも、良識ぶった知識人や偉そうに倫理を説く坊主、名士と言われる社長や議員連中の方が遥かにsicky(病的)でした。
しかしどうやら僕も人としてそれなりに成熟してしまったようで、人の心の痛みや苦悩、そういったものに素直に共感し同調するようになってしまった。昔は若さで甘ったるい感情をはねのけていられたんですけどね。
しかしこれは人間としてはいい兆候だと思います。この歳になって、人をバカにしたり安易に批判したりするような言葉は吐けないし、作品に憎しみや怒りを込めることもできなくなってしまった。もともとそんなことをしていたつもりはありませんが、単純に人間のネガティブな側面を「美しさ」として捉えられなくなってしまったのです。
それは、生身の人間というものを身近に、リアルに感じるようになったからでしょう。イメージではなく、現実的な苦悩や悲痛、悲劇というものを目の当たりにするに従い、空想の世界で人間の醜悪さを美しさに転換し、それに恋い焦がれていた自分はいなくなってしまった。担当者不在のヘルプデスクです。
「優しくなった」「丸くなった」といえば聞こえはいいですね。要するに老化だと思います笑。攻撃的であったり、時に無謀であったりするような軽率な物言いができなくなってしまった。心が痛むんだ。
違う美しさに転向するのもいいでしょう。しかしそれはもう既にシッキーではありません。だからけじめをつける必要があります。
ただ、僕の一つの真実として、これまで僕はシッキーを演じたことはありませんでした。常にあるがまま、等身大、率直だったつもりです。それが若さゆえの軽率さや浅薄さ、無謀さを補う唯一の誠意でした。人間誰しも表があれば裏もある。しかし、そう言う本人に実は裏がなかったというオチかもしれません。まぁそんなもんですよ。暗い音楽やってる奴って、大体性格明るいのばっかですからね。
今も僕は誠実さとともに、正直さとともに生きています。だからこそ、シッキーではもういられないのです。
僕は相応に歳をくって見事におっさん化しましたが、あなた方の心の内には必ずシッキーがいるはずです。普段は立派に公務をまっとうしている男が、電車内で痴漢をはたらく。旦那の前では立派な妻を演じて、実はだらしねぇ男と不倫している。教育者ぶっているけど趣味は児童ポルノの収集。会社で部下に尊敬される上司を演じているけど、プライベートではおっパブ三昧。クールを気取りながらスマホにお気に入りのエロ動画をがっつりブックマークしているむっつりスケベもそうだし、私は清純ってツラしながら出会い系アプリをあさっている女もそう。インサイダー取引で末端を血祭りにあげる役員もそうです。俺よかお前らの方がよっぽどシッキーなんですよ。
ですから、シッキーはあなた達にお任せします。自分の中の狂気や病的な側面と対峙するたび、僕がシッキーとして発信したかったメッセージを思い出してみてください。世の中、美しいことばかりじゃない。醜悪の美。それこそが人間の真実なのだと。それでシッキーは生き続けます。
こうやってダラダラ書くのはやっぱり心地いいですけどね、もう未練はありません。2018年、この年で終わりにいたします。残り短い間ですが、引き続きよろしく。