ツイッターで、千葉県内の災害地でもある木更津で行われる音楽フェスティヴァルの今週末の開催を支持し、応援するようなツイートをしたことに対する、細かい気持ちを書こうと思います。
まずは、この文章を書いた元にある自分のツイートの中で、「それでも色々言う人もいるだろうし」という言葉を使い、それに対して不快感を持った方々がいらっしゃいます。そのことにお詫びを申し上げます。
幾つかのご意見を頂いたことも、逆説的な意味ではまったくなく、心から感謝致します。色々と学ばせて頂きました。
そもそも災害に遭われた方に対する物言いではなかったのですが、そうとられても仕方がないですし、そうとられるのが当たり前なものだったと思います。自分は文章で食べている人間なので、そこで自分がどう思っていたかよりも、受け取ってくれた側がどう感じるかがすべてなことを重々承知しております。そのこと踏まえ、多分に乱暴な言葉遣いでした。
重ね重ね、お詫びを申し上げます。
その上で話を戻します。
実際、自分は電力が戻る、戻ったというシミュレーションのもとでフェスが開催されることに対して賛同しています。勿論、「車で来場する人は、ガソリンを千葉県外で入れてから向かうこと」とか「フェスの会場内では全力で楽しみ、会場外、つまり未だ災害と向かい合っている街では秩序ある行動をとること」など、参加者に求めることは複数ありますが、それはフェスの主催サイドが言うべきことだし、きっとそういうアナウンスはあると思うし、場合によっては電力の使い方などに対しても話があるかもしれません。その上で、自分はフェスが開催されること、そう決断されたことをを応援したいと思っています。
理由は幾つかあります。
一つ目は、今回のフェスが地元に根ざしたローカリズムを強く持っているフェスであることです。自分は以前、そのフェスの主催アーティストと単行本を作るにあたり、木更津ですべての撮影をし、街に対する想いをたくさん聞きました。そこで思うのは、このフェスはたまたまフェスにいい場所があったからそこで開催するのではなく、とにかく木更津で開催し、木更津を活性化したいという思いがすべての根っこにあることです。
自分もフェスをプロデュースしているのですが、その主催フェスもローカリズムを根っこに持っているものです。そういうフェスは年がら年中、その街やその市やその県のことばかりを考えています。何かあると一番最初に思うのは、「それは街にとって、市にとって、県にとってどうなのだろう?」ということです。
きっと今回のフェスも絶えずそれを考えながら続いているフェスで、今回の災害を受けてまず考えたのもそれだと思います。その上で開催するというのは、そこにフェスなりの、音楽を提供する者なりの思いや決意や覚悟や願いがあるからだと自分は確信しています。だからこそやるべきだと思っています。
フェス自体が千葉や木更津に対する思いを当初から発しているフェスなので、きっと地元の方々も多く参加されることと思います。そういう方々の束の間の喜びになればとも思います。そして地元以外の方々、それこそ遠方から参加される方々が、その地における色々なことを観たり感じたりして、その気持ちや観たことを語ったり、語らずともその気持ちを街に向けることだけでも、災害地に対しての何らかの力や空気になると思います。多様性を持った方々が一堂に集まる音楽フェスは、そういう力をそもそも持っていると思います。
次の理由は、音楽やフェスなどエンターテイメントの根本的な在り方です。
特に、2011年の東日本大震災以降、この国の災害時の対処方法はとても迅速かつ賢明なものになったと思います。それはあまりにも大きな災害が何度も訪れていることと、それによって失われたものの大きさがそうさせたのだと思うし、それによって我々はとても多くのものを学びました。そこにはSNSやネットがもたらす大きな力もあると思います。
熊本、広島、岡山、今回の千葉など、様々な場所で災害という言葉を使わざるを得ない地震や台風が来襲しています。その中でライヴやフェスなどは、より迅速に、より多くのものが延期や中止をする動きが広まりました。
交通の問題、街の受け入れ態勢の問題、様々な理由があって、そのライヴやフェスは延期になったり中止になることも、以前よりも遥かに多くの方々が理解するようになったと思います。その上で、まずは延期や中止にすることが前提のような考え方、そして開催側にとってのマニュアルが生まれたと思います。
それぞれの意見、特に災害地の方々だと思われる方々の意見には納得を超えて胸が痛んだり動きます。しかしそういった様々なご意見を見た上でも、近年、特に去年と今年に多く感じていることなのですが、今回のことも含めて、「災害時にエンターテイメントが果たせることも場合によってはあるんじゃないか?」、「何かの時に敢えて開催するエンターテイメント自体の思いや覚悟もあるんじゃないか?」とも思うのです。
こういう場合、多くの方々がお金のためにライヴやイベントを敢行すると思い、あたかもそれが絶対的な真実のように拡散してゆきます。確かにそれがまったく関係ないとまでは言いません。しかし、それだけではない、エンターテイメントとしての想いや覚悟がそこには大抵の場合はあるのです。そしてその想いや覚悟や力が、災害時にもたらすものもあるんじゃないか? そうやって、それこそ戦後からのエンターテイメントは影響力を大きくして行ったし、存在価値を確かなものにしたんじゃないか? その力は今も健在だし、もっと必要な場合もあるんじゃないか? と思うのです。
音楽フェスやライヴの根幹にある音楽というのは、衣食住の中に含まれるものではありません。そのことは音楽業界側、そして多くの音楽アーティスト自身が誰よりも本質的に理解しています。だからこそ「今は、音を鳴らしたり歌を歌っている場合じゃない。別の形で支援を」という動きや考え方が特に2010年代以降は大きなものになっています。
それはそれでいいと思いますし、世代観や時代感がもたらしたものは、それがその時の正論だとも思います。影響力を持った人たちがその考えのもとで様々な活動をし、災害時に何をすべきかという感覚が多くの人にとってとても生身になったというか、身近になりました。
ただ。災害が起こると、あまりにも多くの音楽や音楽イベントが「まず延期、中止」という決断を下して、そして世の中の静まりとシンクロしてゆく。それだけで音楽やエンターテイメントは本当にいいのかな? とも自分は思うようになりました。実際にやるやらないというより、「今、この中で音楽が、イベントやフェスやライヴが、やれること、もたらせることってなにかあるのかな?」——そういうことを塾考して、時にはコンプライアンス的な壁を超えて、音楽の力で災害や街に何かをもたらそうとするものが出てきた場合、僕はそれが確かなものであれば支持したいし応援したいと思います。そのことを今回、あらためて再確認させてもらいました。
多くの方々は、「べつに音楽がいらないという話ではなく、今じゃなくていいんじゃないか? という話をしているんだ」と仰ると思います。それもわかります。というか、その考え方の方が明らかに正論です。しかし、敢えて今なんじゃないか? と思い動き発される音楽の力もあると思います。そういう力が果たしてきたものは、前述した通り、戦後からの長い間にたくさんあります。それはつまり、音楽が衣食住に含まれない価値を持っているからこそ持ち得た力であり、その力だからこそなし得た喜びや希望だったのだと思います。
自分は今回木更津で開催されるであろうフェスは、そのような力を持っている可能性がフェスとしても主催アーティストとしても極めて強いと思っています。なので、開催に対して期待を込めました。
この思いや意見が正しいとか、理解して欲しいとか、そういう意識は一切ありません。そもそも自分を知ってらっしゃる方々がこれを読めば、「お前もフェス屋だからそういうんだろう」、「フェスをやっている人が何故このようなことを」と思われる可能性は強いだろうし、その言葉に対して自分は無力だとも思います。ただ、自分は音楽ジャーナリストだし、その上でフェスも手掛けているからこそ、こういう考え方もあるときちんと綴りたいと思い、このようなことを書きました。
最後の最後に。1日も早く様々な問題が解決したり、日常の日々が戻ることを願うと共に、
そのために復興支援の力がより集まることを願い、自分も出来ることをしようと思います。
https://www.furusato-tax.jp/saigai/filter?category_id%5B%5D=1098&state_id=3&prefecture_id=12
読んで頂き、ありがとうございました。