いじめとは? | しかまち心療内科のブログ

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精神科の記事は一応専門として書いていますが、政治経済は素人ですので趣味で書いています。

2021.11.9

学校や教育委員会はいじめはあってはならないものであるように反応しているように見える。いじめと認めたときは謝罪会見のようだ。私は少数例では学校に責任があるケースもあると思うが、多くのケースでは責任は問えないように思う。学生にスマホはいらないと思うが学校がSNSまで把握するなんて考えられない。中国ならありうるが。情報を管理しないと無理だろう。いじめは自然と起こるものだろう。学校は対応可能な範囲内で対応すれば十分だと思う。いじめはあってはならないものと考えると実際あったであろういじめに対して認めることができにくくなる。先生たちはスーパーマンじゃない。学校は自分たちの応力の限界を示して、その範囲内で対応すればいい。父兄が気になるというなら父兄がいじめを調べたり、黒ならば学校が対応するとか。スクールカウンセラーもいじめの聞き取りとかすればお役に立つのでは。

 

2022.3.28

旭川凍死事件。第3者委員会がいじめはあったと判断。ここまで3年間学校と教育委員会は一貫してなかったと主張してきた。

 

新聞の情報しかないですけど普通に考えたらどう見てもいじめとしか見れない。いじめととれる明確な事実が認められなかったとかいうのかな。学校も役所同様無謬性があるということか。間違いはない、間違いがあったら許されない。許されないのはいじめを行っていた子供らだ。学校に大きな責任はない。でもなかったことにすると被害者は報われない。加害者はやり得か。加害者の今後の人生を考えるとここで修正を行わないとまた後で同じようなことを繰り返すかもしれない。それが教育ではないだろうか。これは大きな事件だけど、小さな事件で泣き寝入りする被害者、素知らぬ顔で卒業していく加害者は多数いると思う。学校、教育委員会はいじめは常時起こっているという考えに改めるべきだと思う。

学校の監督責任を縮小して被害者と加害者は刑事、民事で争ってもらったらどうだろうか。学校の外で。子供なので少し形は変わると思うけど。学校は情報提供だけすればいい。先生が明らかに知っていたのに見て見ぬふりを下とかなると学校の責任も出てくるかもしれないけど。それも主にはその先生の責任だと思う。学校は監督責任程度。多少のいじめは人生必要だとかいう教育をやっていたら学校にも責任出てくると思うけど。事実を知らなかったらさして責任はないでしょう。何でもかんでも組織の責任にするのは日本の悪い慣習だと思う。