軽井沢バス事故の土屋が納骨された。 | 鑑定士のブログ

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とにかく長いですから、飽きないようにお願いします

昨日、土屋は無縁仏塔に納骨された。
唯一の肉親だったお兄さんは亡くなっていて、その奥さんが、遺体の引き取りを拒否したからだ。
あれだけ大きな事故で、技量未熟が原因として報道されては、それも当然だと思う。
事故の前の映像が2つ公開され、極端は走り方の違いや、ブレーキランプが点灯していたように見える事。
それでもブレーキが効いた痕跡が無い事。
しかしブレーキ系統に異常が無かった事。

初心者でも必ずブレーキを使うはずの下り坂で何故?というミステリーになってしまったのが現状だ。

俺が最初から、未熟故とは考えて居なかったのは、運転とは、やはりその人間が現れるからで、土屋はそんな無謀な運転をする男では無かったからだ。

話しをもどす。

親族の役割を俺が代理で務め、青梅市のお寺の無縁仏塔に納骨された。

ここからは話が入り交じる。

会社は、観光バス事業から撤退して、我々は昨日付けで解雇された。
実質的にはあの日以来半月も仕事はしていないのだが、給料は満額支給で、2月分として7割を支給するという事になった。
我々は、観光バス事業が駄目になると理解していて、現に他社のバスに乗務している人間も居るのだから、これは十分過ぎる保証だと思える。
デタラメな事務処理等をしていた会社とは思えないかも知れないが、本来はごく真っ当な会社なのだ。
デタラメな事務処理をしていたのは、観光バス部門を任されていた所長が原因で、この事は書く機会が有るかも知れない。
会社に情がある。と書いたのは、しっかりした部分が本来だからだ。

土屋は、定年退職するまで、みずほ観光(前身は福知山建材というダンプ屋)に20年務めていた。
俺とはみずほ観光で同僚だった訳だが、厚生年金に入る入ると言われ続け、年金の積み立て年数が不足してしまったから、年金は貰え無い事になってしまった。
約束されていた退職金も無く、定年退職後は生活の為に親和観光で仕事をしていたのだが、口約束の最低保証も無くて、辞めたくてもなかなか仕事は見付からない事もあって、昨年の12月27日まで務めていた。
3年前になるか、金が無くて自家用車の車検が取れずにいた時に、横田基地の米兵にぶつけられ、車検が無い車の使用という事で免停と反則金を科せられた。
土屋には反則金を支払うお金が無く、親和観光でも前借りも出来ず、2ヶ月の免停期間の無収入と反則金の事もあり、俺がアドバイスをして青梅市に生活保護の申請をした。
住まいは生活保護でなんとか確保出来たが、反則金は払う事が出来ずに、結局収監される事で支払った。
その後、俺がバス会社を紹介し、辞めると伝えたのだが、軽四を借りていたから、それを返しに行った時、社長に最低保証の確約もされ、仕事を続けさせて貰った義理もあるからと、親和観光に戻ってしまった。
暫く電話も無く、俺が昨年インバンドの仕事をしていた時に、見掛けたと言って電話を寄越した。
その後が、昨年末の電話で、やはり最低保証を反古にされて、歳が越せないという切羽詰まっての電話だった。
その後、入社して4回目が事故になってしまったのだが、この土屋の人生を、皆さんはどう考えるだろか?

もう少し早く、俺に連絡を寄越していたら……
スキーツアーシーズンの前だから、今回の事故の当事者にならなかったかも知れない。

みずほ観光のやり方に、親和観光の空手形。
生活が困窮し、やっと光が見えたと俺に言った直後の事故。

皆さんにはデタラメな会社という印象しか無い会社だけど、土屋の為にも会社の為にも、連絡が遅かったと悔やまれてならない。

あまつさえ、親和の社長は土屋が未熟だったと、暗に原因は土屋にあるかのような発言をしていた。
みずほ観光も同じで、大型ダンプをほとんど無事故で(大きな物損や人身事故が無かった)過ごした土屋を、庇う発言もしなかった。
人生は、様々な事があり、様々な人間との係わりあいがある。
幸運な人生も、不運な人生もある。
気持ちの持ち方で、幸運だとも不運だとも感じられる。
しかし、せめて昨年の夏に土屋が入社していたら……
こんな繰り言を言いたくなる人生もある。

土屋の今回の事故は、ミステリーのままに処理されて終わるかも知れない。

亡くなったお客様とご遺族の無念。
怪我をしたお客様の痛みと苦しみ。
土屋の不運が皆様に与えたこの無念と苦しみ。

言葉は無力であり、人生もまた、なんと自由にならない事か………

合掌