ワールド・アイ・ブレッド
まず、初めに私の文章がつたない事をお詫び申し上げよう。その上で今から記述する史実をごらん頂きたい。
私は、特に教育というものを一切、受けてこなかった者だ。無知で、鈍感で、好奇心のない者だ。
しかし、これからする史実は多少、稀かもしれない。
私は、約150年前に生まれた。今でいう、新潟県の小さな漁村だった。
とても、小さく生まれたため、私は生涯、背が低かった。だが、そんな私にも両親の愛情をたっぷり受け
元気に育った。自分で言うのはなんだが、とても明るく良い子だったと思う。
両親が漁の生業をしていたおかげで、食事だけは困る事はなかった。むしろ、自分の食べたい物は海に行き
釣りや貝などを採っていた。そうして、すくすく育った。
20才の頃、両親が二人で漁に生業をしに海に行ったまま、戻らなかった。私は、安否を気遣い2週間海を見張っていたが、帰ってこなかった。
その後、私は、両親の死を自覚した。
この時代の船は、簡単な潮風で転覆しやすい事も知っていた。
私は珍しく一子だったため、一人身になった。両親の死はとても悲しく、辛いものだったが私はこの場所に残る事にした。
この頃は日本がやけに、忙しかったのを覚えている。明治維新である。
田舎の漁師でも外国人の存在をやっと理解してきた頃だ。
両親が死んで1年経ったある日だった。私は夜、海を眺めに行った。両親が帰ってくるのを期待していたわけではない。追悼だ。
眩しい程の星空に眩暈をしながら、父と母の事を思い出していた。
私は、長男でありその後なかなか子供を授からなかったため、たいそう大切に育てられた。父は、私に漁師の生業を継がせたったらしくいつも「漁師はいいぞ。海の中にはたくさん宝が眠っているからな。生涯、食い物に困る事はない。」と、いつも言っていた。子供でも、自分の将来は漁師しかないと理解していたのに、いつも父は言っていた。私は、父の日焼けした肌と大きな背中に、多少、恥ずかしがりながら尊敬していた。
母は、父にべったりといった感じだった。私は、母の料理が大好きだった。それよりも、母を愛していた。
一番の思い出は、朝起きると味噌汁の匂いと母が菜っ葉を切っている後姿だ。
不思議なもので、旅なども行ったがいつも思いだすのは、そんな光景だ。
思えばあの頃が一番幸せだった。
そんな風に目を滲ませながら、海をみていたら黒い物体が流されてきた。私は、それを船ではないと承知の上急いで浜まで取り上げた。
それは私の人生で見た事もない黒さの箱だった。箱の大きさはかなり大きく2m近くあった。箱の上部には何か押すようなものがあり、とても不吉な感じがした。
私は、浜辺に上げたにも関わらずそれをどうしたらようか、全くわからなかった。
