「現実」と「やりたいこと」は、

本当に反対なのだろうか




最近、Instagramでこんな言葉を見かけた。

「内面が嫌がっていることをやめて、内面が喜ぶことをしてあげると人生は変わる。」


妙に心に残った。

でも、その言葉を自分に当てはめてみると、

少し考え込んでしまった。


今の私は、本業とは別に仕事をしている。


理由はとても現実的だ。

子どもの将来のため。

これからの生活のため。

少しでも長く働ける自分でいるため。


頭では、

その選択は間違っていないと思っている。


それでも、時々思う。

「忙しいのに、どうしてまた仕事を増やしているんだろう。」

本当は、写真を撮りたい。

季節の花を眺めたり、工芸に触れたり、静かな場所で本を読んだりしたい。


そんな時間のほうが、心は落ち着く。


だから最初は、

「内面は仕事を嫌がっているのかな」と思った。


でも、

考えているうちに、それも違う気がしてきた。


仕事をしていると、書類を見ながら、その向こうにある人の様子や、全体の雰囲気が気になることがある。


写真を撮るときも、花そのものより、光の入り方や、その場に流れる空気に惹かれる。


見ているものは違うのに、自分の目が探しているものは、どこか似ている。

そう思った。


だから、仕事そのものを嫌がっているわけではないのかもしれない。


私が苦しくなるのは、現実のためだけに毎日が過ぎて、「きれいだな」と思うものに触れる時間がなくなること。


写真でも、花でも、工芸でも、本でもいい。


そういう時間がなくなると、自分の中の何かが少しずつ乾いていく気がする。


Instagramのあの言葉は、「嫌なことはやめよう」という意味ではなかったのかもしれない。


「心が喜ぶ時間を、ちゃんと残していますか。」


そんな問いだったのかもしれない。

私には、今のところ、それがいちばんしっくりくる答えだ。



現実を支えるために働く。

でも、

自分の感性まで後回しにはしない。


その両方があって、ようやく私は前を向いて歩ける気がする。




まだまだ

紫陽花が頑張って

塀から顔出してた!

そんな風に見えた