この記事は、このあとに発信する記事と関連性があります。今日は、雷が鳴りました。昔から雷の音の響きが好きなんですが、今日も雷鳴を心地よく聞きながらあることについて考えていました。つぎに提示するのは、そこで生まれた<思考のモデル>にすぎません。考えるヒントとしてお役立ていただければ、幸いです。

 

◆二極分解の原因とは

 いま世の中は、二極分解していると感じ始めている人が増えています。「こんなにわかりやすい現象が起き、明快に説明もなされていながら、どうしてワカラナイの!?」と、思わず理解に苦しむ人々がいる一方で、よくワカッテイル人々もいらっしゃいます。


 この違いが何に起因するのかはさておき、よく観察していると、「自ら考えることのできる人、できない人」の違いであり、それに対応して、「変えられる可能性を信じている人、信じていない人」の違いでもあると気づかされます。これは結局、「自由であるか、そうでないか」に帰着するのではないでしょうか。


◆人間はもともと自由だったのか?


 「本来の人間は自由な存在」であるという点に重きをおくのか、「人間は何らかの原因により自由を奪われた存在」と考えるのか、この違いはきわめて重要です。

 なぜなら、この違いは、「問題解決の鍵を自分が手にしていることを理解している」か、それとも「他に頼って与えられるしかないと信じている」かの違いでもあるからです。






 果たして、自分はどちらに属するのだろうか。それを知る手掛かりとなるテストを作りました。


◆自己チェックのためのテスト⇒2つのストーリー

 ここに2つの物語(あくまで各タイプの一例にすぎません)があります。考えてきたこと、心の底で信じていることは、どちらに近いですか?

[タイプⅠ] 暗いフレーム

 わたしたちは本来、螺旋形の染色体を十二対(すなわち24本)持っていた。ところが、人類を奴隷労働に利用したい地球外知的生命体によって一対(2本)にさせられた。それが現在までの地球人類である。「奴隷」の「刻印」は各人の魂の傷痕(きずあと)として埋めこまれ、現在の人生に影響をおよぼしている。

 不自由さの内容は人により千差万別にせよ、どんな絵を画こうと人生の額縁は初めからダークな色調に設定され、自己救済の可能性はほぼないと、信じている……。

 だとしたら、外や他に依存せざるをえません。



[タイプⅡ] 明るいフレーム

 もともと人類は、完全な存在として誕生した。完全な存在から創られたからだ。苦悩なく、病なく、不幸もない道を歩んでいた。すべてが調和し、人々は喜びと感謝にみちた日々を過ごし、さながら楽園のような世界に生きていた。

 ところが、あるときから人々の心に悪の芽が萌(きざ)した。自分みずから欲望の虜(とりこ)となったと言おうと、あるいは受身的に、人類の意識進化を妨害する者たちにより、アストラル体やエーテル体に忍びこまれ、誤った見方や幻影を植えつけられ邪心を誘発されたと言おうと、そこにたいした違いはない。

 不自由になる前に自由だったことを知っていて、釈迦やキリストのような進化した存在も魂が知っている……。

 この場合、正しい道に乗っかってゆけば、「必ずもとに戻れる」、高い次元の存在の助けも借り、「自己救済できる」という希望を抱けます。



◆判定結果

 [タイプⅠ]に該当するなら、「他に頼って与えられるしかないと信じている」可能性が高いといえます。

 [タイプⅡ]に該当するなら、「本来の人間は自由な存在と知っている」可能性が高いといえます。

 

 但し、これは「最後の審判」では、ありません(笑)

 成長を望むなら、まずはあるがままの自己を知る必要があります。

 自分が[タイプⅠ]だと認められたなら、そこで取り得る二つの選択肢があります。

 このままでいい。向上したい。

 もし、後者ならば、[タイプⅡ]へと自己を変容させることが、意図できます。

 そして、その目標に向けて学ぼうと、自由意志で選択ができます。

 誰からも押しつけられることなく、です。
 

 「押しつけ」ていないのに、「押しつけられた」と、思ってしまう人は、じつは第3チャクラに問題を抱えている可能性があります。自分にたいして、こうあるべき、とか、あるべきでない、という考えを押しつけ、あるがままでいることを許していない場合です。
 

 ですから、ここでいう自由意志による自らの選択とは、もちろん自然に魂から湧き上ってくる力によるものを指します。それを決意して、実行に移するなら、喜びを味わい、パワーを実感できるような類いのものです。