地元の里山の風景を愛し、そこに暮らしながら何十年も「素朴画」を自称する絵画を描きつづけている画家の友人(拙著『サラベポポと魔法のコイン』の表紙の絵を画いてくれた)と二三ヵ月前に電話で話したおり、昔から親しんだ山を眺められる場所に久しぶりに行ったら山肌にびっしりと敷かれた太陽光パネルにより往時の面影はなくすっかり景観を損ねてしまっていたことに愕然とした、という話をしてくれました。

 

 

この画像は、山口ミュージック 新時代サバイバルさんの記事からお借りした記事から作りました(以下同様)

 

 

 

 

 たいそう嘆いていて、彼の話から無残な光景が目に浮かぶようでわたしも心が痛むのをおぼえました。画家という人種は視覚機能が普通人よりも発達しているのだとおもいます。とりわけ彼が日本の田園風景をはじめとして自然と人間が共生する風景を愛し、時代の波とともに年々歳々変貌してゆくありさまを見て哀惜の情を感じる気持ちには相当なものがあるのを知っていましたから、ここ数年のあいだに急速に日本各地でメガソーラーパネルが敷設されてゆくことで国土の七割が木の生える山々という水と緑にめぐまれたこの国の自然環境が壊されてゆくことに我慢がならないだろうな、どんなにか辛く嘆かわしいことだろう、とおもうと同時に、その気持ちは絵を画かない自分もまったくいっしょだとおもいました。

 

 なぜなら、若いときに『言霊秘書』(水穂伝→水火傳を含む)との運命的ともいえる邂逅にめぐまれることをとおして、木も山も海も川も人もすべてこれ〇の真中の凝りである一点〖火であり、霊であり、キであり、凝りであり、ホチである〗が水と火とに割き別れ、その水火(いき)が與(く)み合い、からみ合って、万象万物を生じ、森羅万象の生成消滅と循環が起き、この水と火とからわたしたちが考えたり、感じたことを表現したり、伝達したりするのに用いている「言葉(言玉・言霊)一式(五十音と七十五声)」も授かっているのだということを日々実感しているわたしにとって……外では蝉が鳴いています。(しばし入力の手を止め耳を澄ます)これも命でした、わたしと同じ命でした……大宇宙のなかに生かされている小宇宙である自分のなかにまた大宇宙があるという感覚が育まれてきたからでしょう。

 

 きのうは、有料化初の第2巻1号がいよいよ明日16日に発刊(通巻8号となります)されるにあたって編集作業をしていて、新たにスタートを切る連載もの〖日月神示を読む― 水火伝の言玉を今に活かす〗の原稿を書くために、ちょうど2年前に復刻出版されると早速に買い求めていた同書にじっくりと目を通していました。すると、新たな発見が! 

 

 

 それは昭和19年6月10日から昭和22年8月23日までにおよぶ日月神示のメッセージの内容が古くなっているどころかむしろ現在の日本の窮地を乗り切るために用意されてあったかのように感じられたということなんですが、この「神仕組み」ともいうべきシンクロニシティに改めて驚嘆させられました。

 
 そして先述の、若い頃に縁をいただいた江戸時代の言霊の書『水穂伝』(杉庵志道著)の現代語訳を岡本天明氏が、ご神示の降る二年前の昭和17年に成し遂げていることからも非常に深いつながりを感じてきた(目下その志道を主人公とした時代小説の長編もあと少しで完成というところまで来ています)日月神示をいよいよ取り上げなくてはいけないという気になったしだいです。

 

 

 

 ところで、本記事冒頭に示した痛々しい写真ですが、メガソーラーパネルのメーカーは中国です。つまり、他国の風光明媚な山水を破壊してまでも利益をあげようとする海外企業にビジネスの機会を提供しているのがこの国の政府であるという、国民からすれば、とうてい納得がゆきかねる、あからさまな裏切り行為なわけで、「開いた口が塞がらない」とはまさにこのことですね。80年前に降った日月神示にもつぎのようなメッセージが見られます。

 

 

 

 

 今の経済は悪の経済と申してあろがな、もの殺すのぞ。神の国の経済はもの生む経済ぞ。今の政治はもの毀す政治ぞ、神の政治は与へる政治と申してあろが。(下略)十月の二十二日、ひつ九かみ。

 

 日月の巻 第六巻 第六帖(一七九)

 

 「もの殺す」だけではないですね。人殺しをしています。経済でも政治でも。そして国土の山河というのは、単なる「もの」じゃありませんね。「もの毀す」でなく、生命破壊をやっているのです。それを知って黙って手をこまねいている国民とは?

 

 日本の人民の身魂が九分九分九厘まで悪になりてゐるから、外国を日本の地に致さねばならんから、日本の地には置かれんから、どんなことあっても神はもう知らんぞよ。八月十六日、ひつ九の神

 

 まつりの巻 第十九巻 

 

 これ今まで見てきた日月神示でも、かなり辛辣で手厳しいお言葉だとおもうんですが、降りた時期を見ると、昭和二十一年ですね。八月八日から同月三十一日まで。マッカーサーを司令長官とするGHQによる占領支配が行われていた頃で日本の上層部が戦後処理に奔走し、苦労していたさなかであり、納得ですね。これを見ると、神の国にふさわしくない人民(大日本帝国憲法から新憲法になって、もはや臣民とは呼んでいないのが注目されます)は、日本の土地には置けないとまでおっしゃっている。烈しいですね。苛烈ですね。それだけこの国には三次元の地上世界と地球の命運を左右するほどの大きな天命があり、神々から期待され、信任が厚いことがうかがえます。なにしろ、戦地に赴いた人々はもちろんのこと、沖縄戦で犠牲となり、広島長崎の原爆で犠牲となり、空襲や食糧難に耐えてきた辛抱強い身魂たちですのでね。神のご慈愛もひととおりではなかったとおもわれます。

 

 それにしても、上のメッセージ中の「悪になりてゐる」という部分は、今も変らないどころか、ずっと悪化しているではありませんか。幽界からの膿み出しが、極まったということか。

 そもそもこうした悪魔の所業の代理人達が、自分たちは売国的な悪政をやっていると自覚するには、「国」という公的な概念や「仁政(善政)」といった道徳観をもっていなくてはなりませんから、もうとうにそのようなものは持ち合せていない、つまり悪魔に魂を売り渡した人々であることは明白だということになります。これは日月神示で指摘するところの「われよし」すなわち自己中心的な態度の極致です。本来ならば、民のためにあたえ尽くしてゆく、神のみこころにかなった「まつりごと(政事・祭事)」を行なうのが、わが皇国(みくに)の学校の歴史で教えない、古史古伝に記録された、一万年つづいた縄文などよりも遥か以前の何十万、何百万年という上古から天神七代の神代までさかのぼる伝統的なスタイルであったはずです。そしてこれを世界の雛形として、復活させて示してゆくのが日本の天命であるはず。

 でも、そうした重要なお役目を担うわが国がまたどうしてこうした過酷な「運命」に見舞われなくてはならないのでしょうか? この疑問にも日月神示は答えています。

 

 神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に、出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より廣い肥えた国いくらでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の国、力の元の国、光の国、真中の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。(下略)七月二十一日、あめのひつくのかみ。(太字強調は引用者による)

 

 夜明けの巻 第十二巻 第二帖 (三二二)より

 

 つまり、向うは「欲しい」のです。宝が。それは究極的には「物質」ではないのです。「霊」の「光」を、「神」の「光」が欲しいからそれを求めてくるのです。誘蛾灯に吸い寄せられてくる蛾のように……。

 

 宝の山に攻め寄せて来るとくどう申してくどう気付けておいたでないか。神の国にはどんな宝でもあるのざぞ。(下略)十一月二十八日、ひつ九のか三

 

 日月の巻 第六巻 第三十三帖 (二〇六)より

 

 そうですか。だったら、あげちゃえば? では済まないのですよね。

 

 世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。(下略)八月三十日

 

 

 富士の巻 第三巻 第二十三帖(一〇三)

 

 結局は、受けて立つ! これしかないでしょ。それも、口で言うほど簡単なことじゃありません、もちろん。深ーい理解があったればこそ、出来る態度であり、選択だとおもいます。

 

「世界は一つになった」……意味深ではありませんか。このご神示は終戦の前年ですから、地上ではまだ<彼の悪名高き国際連合>もできていない段階ですよ。いや、高次元世界からはお見通しでしょうから、当たり前ですね。もしかしたら、今日起きていることまでも。もちろん、日本が崖っぷちに立たされていることです。

 

 深い理解と書きましたけれど、それはひとつには、あちら側が非常に「幼き魂」であるということですね。問題は、このことを日本人がどこまで理解できているのか、です。

 「幼き魂」と書きましたが、これにも二つの解釈、またはケースがあり、転生経験は多いが、精神的成長において未熟な魂である場合、もうひとつは、転生経験が少ない場合です。

 

 しかし、この日本で戦後生まれの人が「新しい魂」であると言っている人もあります。(生長の家の創始者・谷口雅春氏)この話を伝えてくれた友人によると、おそらく戦後生まれの全部というわけではなくそのうち7割くらいが該当するのではないかと彼は見ているとのことでした。ここが最大の問題なんですね。つまり、古い魂と新しい魂とは協力できないよ、というんじゃ困るんです。

 

 この場合、その「新しい」の意味するものも、うっかりすると波紋を招きかねない面がありますよ。そしてこれはあまりにも重大な問題ですので、稿を改めることにして、いったいわれわれヤマト民族は、この先どうしたらよいのか。今の絶体絶命ともいえる国難をどうやって乗り切っていったらよいのか、神智に触れながら考察を進めてまいりたいとおもいますが、これはメルマガや今後出してゆく書籍で展開することにします。興味のある方はぜひご購読ください。

 

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