本日昼過ぎに初回のupをしてから、今新たにまた青色の文字の部分を加筆修正しましたので、更新版を再度upいたします!

 自分のことを正確に見るのはなかなか難しいですね。過小評価しても、また過大評価しても、あるがままの自分は見えてこない。といっても、そのあるがままとしてとらえているのも自分のイメージにすぎない部分はあるのでしょう。自己の存在と自己イメージつまり自己像はまったく異なります。「自己イメージ=ワタシ」では、ない。「自分はこういう人間だ」と、自分で認識している自分には、かならず自己評価という「色」がついています。これは自分が「見たい」ように見、「見たくない」ように見る結果です。つまり、なんらかの「色眼鏡」をとおして見てしまい、その結果、あるがままに近い自分像を歪めてしまうということです。その色づけや歪みの種類は大別して二つあり、劣等感や罪悪感などの感情が主導すると、過小評価という歪みのレンズをとおして見ることになるし、優越感や高慢さやこうありたい、こうなりたいといった幻想、欲望が主導する場合は、過大評価、誇大評価という歪みのレンズをとおして見ることになります。だいたい最初から、「自己像」をもつということ自体が迷妄といえば迷妄なのです。なぜかというと、「自分はこういう人間」という、自己イメージは、日々変化する私、相手や状況しだいで様々な面が現れてくる多面体の私のうちのある断面や一面だけをクローズアップし、固定化し、「これこそが私だ」という自己同一化を行うことにより、そもそも規定もできない、小さな枠に収まらない、標本のように採集瓶の中に入れるとか、虫ピンで固定することもできない私という、本来は直接把握することができないはずの∞(無限)存在を、この三次元の肉体に押しこめられた意識レベルにあって把握できると錯覚し、わかったつもりになる誤りをおかしがちだからです。おそらくもっと高次の物質の体に囚われていない拡大した意識になればなるほど、そうやって「自分はこういう人間だ」と、やっていることが、いかに変なことであるのか、ということがわかってきて、笑ってしまうことでしょう。だから、冒頭にもどりますが、「自分のことを正確に見るのはなかなか難しいですね」となるのですが、しかしこうしたことをじゅうぶんに踏まえたうえで、「じゃあ、この人生で自分自身のことを知ろうとするのは無意味なことなのか?」といったら、そんなことはありません。逆に、「少しでも自分の欲や歪んだ見方に気づいて心の自由を縛るもの、柔軟性を損ね、固まらせ、硬化させる想いを浄めながら、できるだけ真実あるがままの己自身を知ってゆこうとする(むしろ思い知らされることが多いといったほうが正確か)そういう努力の過程こそが尊い」といえそうです。

 

観音様の門前町の商店街入口の花屋🌸さんの店先にて 昨日の5月27日 夕刻 筆者撮影

 

 そういう方針で行くとき、頼りになるものの一つに自分以外の他の方からの愛ある助言や忠告というものがあります。あるいは偏りのない深い理解と洞察にもとづく指摘や批評、評価。褒め言葉。そういったものが、自分にたいする誤った認識を正すのに役に立ってくれることがあるとおもいます。もちろん、それが耳ざわりのよい言葉とはかぎらずに、厳しい指摘である場合もあるでしょう。しかしたとえそうであったとしても、謙虚に耳を傾け、自分を見直す材料とするのは難しいでしょうけれど、もしそれができたら、そこにかならず成長があるとおもいます。自分で自分のことを振り返り、反省することを基本にしつつ、それを補ってくれるに余りあるということはごくごく稀ではありますが、起ります。2週間以上前のことですが、それが起きました。

 

選曲: 言海 調 & 六羽

 

 

 わたしは自分の本にたいして過小評価をしていると以前から気づいているつもりでしたが、このたび読者の中からプレアディアン・ミオさんという方が現れて、感想文を書いてくださいましたしかし、その前の段階で本を買って読んでくださっている最中に、今はこのへんを読んでいますと、ページ数を教えてくれて、そこを読んでみるという体験ができました。あらためて自分が書いた作品の一部を読み返してみて、(こんな素晴らしいものを自分が書いたのか!)とびっくりしました。そして、そのあとにまた感想文に書かれてあることがいくつもの大事な気づきと励ましをあたえてくれました。それによって、鏡を見せられたように、自分自身の価値と役割について今まで以上に深く知り、理解する助けとなったのでした。以下にその記事を紹介します。読者であるミオさんの求めているものは、まさにわたしが提供しているものと一致していることがわかります。「モヤモヤしたものが残らずに、これまで謎だったことへの答えが全部書かれてあった!」と、言われたことは、今までになかったことでしたが、これぞまさしくわたしが重要視していることだった、なぜならば、自分自身が常に探究し、問いかけ、答えを見つけながら、さらにまた問を発して考えてゆく……というスタンスで書き(ジャンルを問わず)、物語もそのスタンスでつむいできたとおもえたからです。 「受け取ってもらえた!」というズッシリとした手ごたえ。これも初めてのことでした。(5,27 16:38更新)
 宇宙では「送り手」がいれば、「受け手」がいます(それが法則だという意味で)、と当たり前のことですが、ずいぶんむかしに宇宙(意識)存在バシャールからのメッセージをつうじて認識させられたことが本当だったんだとつくづくおもったことでした。幸福な一致、調和したマッチングともいえます。それはもちろん戦争で儲けようと兵器を供給する人間の思惑と、その兵器を使って自己の欲望を遂げんとする人間のニーズが一致するのとは、全然わけがちがいます。こうした調和的な需給の関係、というと資本主義社会の市場原理みたいに聞こえるので、幸福な一致と調和した出会いと言い換えましょう、そうしたイベント(出来事)が私達において起きる条件は、「自分自身の魂に忠実に生きている」こと、その条件を満たす者どうしが、出会わされて素晴らしいことが起るのだと、いえるとおもいます。長年のあいだ追求してきた理想の作者と読者の関係性と作家としてのありかたを教えてもらった気がしたのです。ですので、ここに紹介する文章は、決して自画自賛のつもりはなく、もっと多くの皆さんにとってもあてはまるべき可能性をもった普遍的法則にもとづく事例の一つとして見てもらってかまいません。これまで書いてきた本シリーズは、たまたま物語の作者であるわたしが本を出したことにより、この世の中にまき起こした波ないし旋風が多くの人々を巻き込んで、心温まるドラマの数々を生んでいったというお話でしたが、いよいよ話は佳境に入ってまいります。わたしたちはこの世に生を授かったときから、埋もれてしまい忘れ去っている真の自己を見つけ、それと出逢うための魂の旅をしています。それも向こうの世界にいるとき、どんな境遇や出来事や学びの材料をとおして気づき、いつぐらいの時期に目覚めることになるのか、あらかじめシナリオを設定してきています。きのう書いた三好さんとの出会いもきっと意識はしていなくとも、例外ではないとおもっています。政治家と作家。二回りほども年齢の差はありながら、魂の求めるものは一つ。それぞれの人間は神の分けみたまですから、余計なものをそぎ落とし、禊祓いをし、清まってゆくと、かならず魂同士わかりあえる、共感しあえるところに来ます。これはスピリチュアル用語でいうワンネスです。でも、それは決して観念的な語ではなくて、それだけの時間をかけ、色んな事が展開していって、経験が深まり理解が熟成し、余計なものが削ぎ落とされていって初めて洋上に浮上してくる大陸のように出現してくるものであるはずです。(5,27 16:23更新)そういう願いをこめて、このハッキリと自己の目的を自覚され、間違わずに見つけだし、それとわかったなら、まっしぐらに進める素直さ、自己確信のすばらしさを表して見せてくださっているミオさんのブログ作品を、わたしから感謝と愛をこめてすべての皆さんに贈ります。(ミオさん、あらためてありがとうございます💖 )表面的なことを見るのでなく、奥にあるもの、あなた自身の内側を見てくださるようにお願いします。

 

(リブログさせていただき、その内容を以下に貼り付けましたが、リンク先に行っていただくと、沢山のコメントのやりとりが見られます)
 

 私がその方と出逢ったのは、このアメブロでした。たまたまある共通の問題に対して、その方からメッセージをもらったのがきっかけでした。その方とは、作家の、言海 調さんです。言海さんとのブログを通してのお付き合いは、日に日に、だんだんと濃密になってゆきました。お互いにメッセージとコメント欄を使い、色々な話題をシェアしてきました。そして、言海さんの作品、小説に興味が湧き、言海さんが、「粂 潤一」の名前で書いた小説、『サラベポポと魔法のコイン』を購入し、よんでみました。結果、スピリチュアルに関して、私の知りたかった答えが、ハッキリと明確に書かれていて、私の魂は震えました!!私は20代に、本の虫で、沢山のスピリチュアルなほんも読んで来ましたが、いつもどこか、モヤッとしたものが残り、満足のいく答えは書いてありませんでした。しかし、言海 調さんの本には、今まで知りたいと思っていた答えが、全て書いてあったのです!!私は驚嘆しました!!『サラベポポと魔法のコイン』は、「ホントに、これ、人間が書いたの?!」と思うほどに、スピリチュアルに関しての答えが、紛れもない真実が、見事に書かれていました。私は、その本に自分の全てを委ねて、完全なる信頼感を持って、むさぼり読みました。飢えていたのです。20年間以上、スピリチュアルに興味を持ち、体験し、学んできた20年間以上、私の中の答えを、ずっと探していたのです。そして、やっと巡り逢えた!!世界中探しても、スピリチュアルにおいて、言海さんの本以上の作品は、無いと思いました。そして、今現在は、言海さんの超大作、『しじまの彼方から上下巻』を読んでいる最中です。これはまた、『サラベポポと魔法のコイン』にも、より優って、内容が壮大で、深くて、読んでいると次々に気付きと学びがあり、また、私は自分の全てを委ねて信頼して読むことができるのです。読んでいるとインスピレーションの連続で、実際にこの本に書かれていることを実生活に取り入れていて、とても助かっているし、とにかく、素晴らしいスピリットで、魂も身体の細胞も全部が、喜びと光に震えるのです。この本のバイブレーションは、波動は、眩しいくらいに崇高で、読み手に、惜しみない光を与えてくれます!!正に、私のバイブルになっています。そして、もう一人ご紹介したいのが、言海 六羽さん、言海 調さんの奥様であり、とんでもなく素晴らしい、スピリット能力者なのです!!いままで、六羽さんは、言海 調さんの、影になり日向になり、スピリチュアルに関して、また健康維持の面に関しても、ずっと支えてこられた方で、今生は今までは、前へ出ることは無く、ひたすら裏方というか、縁の下の力持ち的な役割を果たしてきた方で、六羽さんのスピリットはズバ抜けており、その感受性とガイアと宇宙との共鳴性において、繋がることができる方で、言海 調さんの作品に大きな素晴らしい影響を与えている存在でもあります。こんなステキな夫妻には、今まで遭ったことは無く、お二人とも唯一無二の存在同士だと思っています。メールでの交流も濃密にさせて頂いております🙏😆💖とにかく、言海 調さんの作品、小説は、私の生涯で、ダントツで一押しの小説です!!スピリチュアルについて、よくよく知りたいという方がいたら、言海さんのブログ、『しじまの時間』で検索してみてください😊🙏💫または、言海 調、と検索すれば、ヒットすると思います。私はリブログの仕方がわからない機械が苦手なので、そこは申し訳ないです。このお二人とのオープンな高次のコミニケーションは、今となっては、私の人生に欠かせない大切なお付き合いになっています😆🙏🙏🙏🪷自分のボキャブラリーで、お二人を上手くご紹介できるか、少し不安でしたが、なんとかご紹介できたと思っております。言海 調さんの小説、『サラベポポと魔法のコイン』と、『しじまの彼方から上下巻』は、スピリチュアル界の頂点だと私は思っています。必見であります!!スピリチュアルの答えを求めている方や、もっと学びたい、魂の成長をしたい、という方に、一押しの本です!!要チェックですよ~!!

間違いなく、グレイト・スピリットな小説です!!やっとご紹介することが出来て、とても清々しく爽やかな気分になれました。とにかく、ダントツでピカ1!!です😆🙏🙏🙏🌈💖

#スピリチュアル#唯一無二#作家さんとスピリット能力者のお二人#小説#崇高なバイブレーション#魂の成長#オープンなコミニケーション#波動#宇宙#ガイア

 

(抜粋紹介は以上)

 

 こちらの記事を読んでから、数日たって自分のメモ帳に記した気づきが以下のとおりです。

「自分がこの物語を書いたことに真に驚嘆し、リスペクトできた。それによって初めてこの作品の価値を知り、自分の存在への尊敬と深い感謝とともにこの世界に僕を送りこんでくれた神なる存在に途方もない愛と感謝をおぼえた。やっと魔解きができ、封印が解けたとおもった。」

 さらに今回は、深い気づきがありました。真のスピリチュアルな探究とは何か、それと小説を書く行為の位相がどう位置づけられるか、自分の役割についてなど。それはまた次回、今度はもう一人の読者の方からの感想文をシェアしながら、その記事の中で書くことにします。

 

(次回につづく)

 

◇関連記事

 

☆こちらは、プレアディアンミオさんのより新しいもう一つのブログ作品になります