今日は午前中 郵便ポストまで歩いて 

葉書を出しに行きながら 空を見上げると 雲ひとつなく 

太陽の耀きにも 早くも夏らしさを感じ

空気もさわやかで いい気分になりました

 

 

二年近くも前 店じまいしたはずの 食料品店は その後 

売り物がないのに いつもテーブルひとつデンと真ん中に置き 

店主だったおじさんが座っています

「閉じちゃうんですか」と 閉店当時 哀惜をこめて言うと

「見りゃわかるだろ」と 不機嫌そうに言われました 

「長い間ありがとうございました」と言うつもりだったのに

と 心の中でつぶやき残念な気持ちになりました

 

 

 

それ以来 声かけも控えていました

そのうち 誰が気づかったのか 花瓶と花が飾られ 

壁に景色や花のカレンダーが貼られ 

殺風景だったスペースが ギャラリー風に

長年 働いていた パートのおばさんたちが 

考えたのかもしれません

 

 

ところが 今日はたまたま 

店の戸口まで出てきていたおじさんと目があい

今だと思って 「おはようございます!」とお辞儀すると  

向うも何のこだわりもなく 挨拶を返してくれたのでした

 

それから家の前で やっと数ヵ月かけて

だいぶ伐採できた 枇杷の木を見上げながら 

そろそろ黄色く色づいてきた実もあるのを 眺めていると

通りがかりの 両手に杖を持った 七十代くらいの 

シニアのおじさんと 目があいました 

こっちも 気持ちも 呼吸もくつろいでいたので 

どちらかともなく にこっと微笑んで 

「おはようございます」と言いました

 

 

そこから 木の話になってゆきました 

やはりこの方も この枇杷の巨樹を気にかけてくれ 

通るたびに 目の保養としてくれている一人なのかと 

わかりました

最後に 母が種子一粒から育てた木だと話したことから 

その方のお母さんが 百二歳で「まだぴんぴんしている」

と 話してくれました

 

 

さて前置きが長くなりましたが 

気持ちのよいスタートが切れた今日は 

ブロ友さんとのコメントのやりとりで 

あちらが「バリっ」という 擬音語を用いたことから

ある記憶が浮上したんです それは 

前にもここに書いたと記憶している 俳句です 

自由律や無季語の作も多そうな前衛俳人といってもいい

西東三鬼の作で 好きなのがあります 

有名なので見たことがあるかもしれません

 

 

 

ここからまた30代の頃 全国結社の『香蘭』短歌会の鎌倉支部に属し 

歌を詠み 選ばれた歌が同人誌に載っていた時代に 

作った短歌が 思い出されました

 

 

ひとり来し六月の海夏めきて甲羅干しする人ら見てゐる

 

 

これが なかなか思い出せなくて 五七五七七の出だしが

「梅雨晴れの六月の海ひとり来て」かな と思っていたら

やっと見つかった 昔の短歌を集めたデータで確認してみて

「夏めきて」が 感動の中心だったのか! とわかりました

 

 

今の閉塞的な社会状況にも あてはまりそうな 

ツユの中休み すぐそこまで真夏が来ている 

ということを知った 喜びと希望

 

 

記憶っていうのは 不思議なものです 

潜在意識に 種子のように貯蔵されていて

機縁に触れて 再び活性化して 持ち上がって来る

そうするとまた 他の 短歌を見るにつけ 

あの頃の みずみずしい感性が呼び起こされてきて

 

 上の歌の連作になりますが

 

 

 

夏らしき表情となり光りをるつゆの晴れ間の海に再会す

 

 

梅雨をも海は分かたず夏招き陽たかくして海面を照らす

 

 

雨音に耳そばだてて一日の重み知らされ真昼の入浴(ゆあみ)

 

 

まなかひの壺に挿したる紫陽花とひとつに溶けて神愛を知る

 

 

 

あじさいのただ一輪の淡きあをやさしき色を庭に添へをり

 

 

トマトの実昨日よりは肥へたるを喜び数ふふたつみつよつ

 

 

様々に彩り添へてつゆどきを競演せるごと谷戸のあじさい 

 

 

 

これに先立つ数年前(31歳の頃) 役行者と空海とも縁深い 

大峯本宮天河大弁財天社に  年に九回ほども訪れていた時 

柿坂神酒之助宮司と お会いする機会を得て 

短歌作品のいくつかを お見せすると 

「まさに生魂(イクムスビ)だ.......」

と おっしゃっていただいたことも 思い出されました 

 

 

 

天河神社のご本尊は  五十鈴なんですね つまり言霊です

 

 

いま取り組んでいる 言霊学者を主人公とした 

江戸時代の小説でも  五十音図にちなむ 

フトマニ(布斗麻邇)の御霊が登場するので

もうすでに あの頃から 運命の糸で結ばれていたのかと

不思議な思いがするのと これを掘り起こしてくれる

記憶の神秘を あらためて感じたことでありました

 

(天河神社境内で、弥山で、そして天川村を下市口まで下りてきた時、そして桜井-天理線を走行中にUFOに遭遇した話は以前、このブログに書きました)