みなさん、こんばんは🌌(すでにこの記事をアップする時は日付が変わり午前ですので、実際はおはようございます) 今日(昨日)ほど戸外に出てみて、空気っていいなあ、とおもえた日はありませんでした。心地のよいあったかさとカラッと乾いた爽やかさ。吹く風も肌にやさしくて。ああ、生きているって素晴らしい・・・と、はっきりと言葉にして考えたかどうかはともかく、全身の細胞が喜んだのはまちがいないです。昨日は、洗車していたら、自転車で颯爽として通り過ぎて行きながら、こちらを見て声をあげ手を振ってくださった人がおりました。小学校五年生と六年生の時の担任の先生です。不思議なことにハツラツとした、万年青年のような、明るさ、爽やかさは、変っていない。最後は校長先生を務め、退役後もボランティアでスクールゾーンの登校児の安全のために黄色い旗🏳‍🌈を持って立ち、地域貢献をし、母が一人暮らしの時期はゴミのことで手伝ってくれたり、木の伐採のことでも声を掛けてくれたりと、同じ町内会ではないのに親切にしてくださりと、尊敬できる方です。ああ、ずっと見守っていてくださるんだな、有り難い、親も先生も・・・それらの存在の恩愛をとおして感じる神様・・・の恩愛。そして、一昨日(三日前)は買い物に行った近所のスーパーの出入口で声をかけてくれたお婆ちゃん。こうしてバッタリ遇うのは久しぶり。「お母さん、亡くなったの?」「そう」もう一年くらい前に同じ場所で遇って伝えていたので、意識に入ったのでしょう。ここで、「でもね、時々来てくれて、話してるんですよ」と、云うと、「亡くなってないの?いるの?🌸ママ・・・」「??? いや、いないよ。いやね、妻をとおして霊界からの通信が・・・」「いないんでしょ?」「あ、はい!」と、まあこんな感じで、新しい情報のインプットは無理だと悟りました(笑)それでも、一年前遇った時、スーパーの出入口にしゃがみこんでいた婆ちゃんは、「え?お母さん亡くなったの!!ああ、悲しいよ。やんなっちゃった、もぉ!」と、その場でショックを示し、ガクっときて崩れそうになり、嘆き悲しんでたのでしたが、その婆ちゃんも、その時に伝えたことがちゃんと潜在意識に入っていたみたいで、今回はだいじょぶでした!😊手に持っていた花(菊をはじめ仏花だったので、亡くなったお爺さんに捧げるのでしょう)に目をとめ、「花買ったんですか」「そう」「きれいですね」「そうね」「立派だ」と、話すうちにあちらも嬉しそうになり、そこで気持ちよく別れました。

 それにしても、どこで遇っても声をかけてくださる、小学校の恩師と、亡き母と親しく立ち話などして母のことを大好きだった方と、どちらも九十近い年齢とおぼしき人々でありますが、触れ合うたびに何ともフレッシュに嬉々として喜びに満ちていて、それぞれの尊い人生を大切に生きてこられたのだなぁ、余生も感謝して大事に生きておられるのだなぁと感心させられると同時に、(人々に神や天使に)愛されている自分自身を感じて有り難くおもったのでした。それでは、今夜のプレゼントです✨
 大長編小説
『しじまの彼方から』上下巻合せて千三百頁以上・全51章のうち第二十章「アトランティアンからの警告」から。

 

クラシック - ダークアカデミアプレイリストを読み、執筆し、勉強するための音楽Nocturnes

 

 

第二十章 アトランティアンからの警告

 

 

     

 

 九月も終わろうとしていた。秋風が吹いてようやく人影も(まば)らとなる頃、白樹と澪は久しぶりに海を見に出かけることにした。
 少し前に海沿いの国道を走ったときはまだ撤去されぬまま残っている海の家もちらほらと見られたが、今はもうそれも完全に姿を消し、浜辺はいつもの見慣れた風景にもどっていた。
 風の強い日だった。
「ずいぶんうねりがあるな」
 運転席の白樹はちらりと海のほうをながめやった。沖合では三角波が立っている。すぐに前方に向きなおったが、しばらくは彼の脳裏から青よりも鉛色(なまりいろ)のまさった海景の記憶が消えないでいた。
 するとそこでまた暗めのモノトーンに同調して連想されてくるように今朝の出来事の記憶がのぼってきた。目覚めとともに、隣りで寝ている澪に「おはよう」と呼びかけると、まったく聞いたこともないような言語が彼女の口をついて飛びだしてきたのだった。
 平板なアクセントと平坦で抑揚の少ないイントネーション。それは彼にとって奇妙ではあるものの、なじみのないものではなかった。澪が不可解な言語を語るのを聞く経験なら、何度もしていた。いわゆる異言(いげん)であるが、中東の言葉ではないかという気もしたし、古代ヘブライ語であろうかと考えたりもしたが、そのうち地球上のどこにも存在しない言語かもしれないなどと思えてきた。
 今朝はまた印象的な場面を体験した。最初は意味不明の言語を話していた彼女だが、やがて歌を口ずさみ始めたのだった。それは彼にとって聞いたこともないような歌で、あまりにエキゾチックな、そしてたいそう哀調をおびたメロディだった。
 彼の心にあるイメージが浮かんだ。縹緲(ひょうびょう)たる砂漠のまんなかに古代都市の遺構(いこう)がある。風化し、崩れかかった柱や壁に砂嵐が吹きつける。往時の繁栄はしのぶべくもない。砂嵐の音がすすり泣く声のようにも聞こえる。その音に()き消されるようにして、どこからともなく聞こえてくるのは女の歌声だった。なぜか場面は洞窟の中に移る。そこにもやはり女の悲しげな歌声が響いている。荒涼(こうりょう)たる光景と物悲しい歌声。これらはきっと何かを象徴しているはずだが、いったいそれは何だろうと彼は思った。
 興味深いことに、こうしたことが起きる時というのは、例のサイキックアタックが激しさを極める時期と一致しており、決まって澪の調子が()えず、危機的状況にあるときだった。
 そんな時にこそ、かつて彼女と同じ星で暮らした魂の故郷の同胞ともいうべき存在が時空を超えて援助の手をさしのべているのではないかという気がしてならなかった。過ぎてしまえば憶えている様子も本人にはない。だが、白樹にしてみれば、まったくのお手あげで、彼女が遠い存在になってしまったかのような寂しくせつない気持ちにさせられた。
 一方、異言を発しているときの澪はその悲劇的な雰囲気にもかかわらず必ずしも不幸そうではなかったし、かえって安らかな表情すら見せていた。
(やっぱりピンチに際して、仲間の手で癒しの光による修復がほどこされるんだろうか?)
 

 海辺の町を走る国道を半島の突端に向かって走るコースは変化に富んでいた。そこではいくつもの魅力的な風景に出会える。道路沿いにならぶ古い木造平屋のあいだのせまい路地の向こうにきらめく海の姿が一瞬だけのぞくこともあれば、見通しのよくないカーブやゆるやかな坂道を通り過ぎて急に視界がひらけるや波の押し寄せる海岸と低い山々の眺めが眼に飛びこんでくることもあった。そうかと思うと、広大な畑のひろがる開放的な風景が現れたりもした。
 南へ南へと下るにしたがい、だんだんとさびれてゆき、(ひな)びた感じになってくる半島らしい風情(ふぜい)がふたりとも好きだった。
「風は強いけど天気はまずまずだから、夕日が見えるかもしれないよ」
 ハンドルを握りながら、白樹は隣りの席の澪に言った。日没までにはまだ時間があった。彼女は窓の後ろへ飛んでゆく景色を黙って見ていたが、
「あ、龍神(りゅうじん)(ぐも)。きれい!」突然、歓声をあげた。
 白樹は思わずパワーウィンドウを全開にして天をあおいだ。
 さまざまな形の雲が奔放(ほんぽう)に描かれた絵のように空のあちこちを占めていた。
 

 途中、静かな入り江になっている磯に降りた。
 ちょうど引き潮だった。ごつごつした岩の(くぼ)みにできた水たまりをのぞくと、イソギンチャクや小魚(こざかな)が見られた。
「タイド・プールっていうんだよね」言いながら、彼は水のなかに手を突っこんでいた。
「へえ。タイドって、潮流を意味する英語だったわね。プールは……
 彼女が二つの言葉の取り合わせに妙に関心を示したのに気づいて、彼はちょっとうれしそうに「(しお)だまりと訳すんだけどね」と言ってから、「あったかいよ」自分と同じように水に触れてみるよう(うなが)した。
「ほんとだ。お日さまのぬくもりだ」彼女はしゃがんだ姿勢で両手を潮だまりの水につけたまま眼を閉じてじっとしている。
 それからまた車に乗ってしばらく行くと、さびれた海辺の町を走る国道に面して一軒だけぽつんと建つ食堂が見えてきた。深緑色のペンキのはげた木の看板に黄色い文字で「漁師(りょうし)(ふう)地魚(ぢざかな)料理」と書かれてある。駐車場もあるとわかり、彼らはそこで食事をすることにした。
 

 

     2

 

 気取りのない店内にはいると、ふたりはほっとして席に腰をおろした。椅子もテーブルもあかぬけのしない一昔前の造りなのが、妙ななつかしさをおぼえさせた。
 白樹がメニューを手に取って澪にも見えるようにひろげた。
「あれほど食べたいと思っていたのに、今はもうそんなに食べたくない感じになっているのよね」と言った。 
「なんだ……」彼は少しがっかりしたようにつぶやいた。
 ここ最近の彼らの食生活のなかにはまったくといってよいほど魚介(ぎょかい)類は取り入れていなかった。海の汚染問題もあったし、トレーニング中ということもあった。それがめずらしく澪が「お魚が食べたい」と、言いだしたことから、彼はインターネットで店の情報まで調べておいたのだった。
 それでもせっかく来たのだからということで、このへんの名物の(まぐろ)(づけ)(どん)を注文することになった。
 食事が始まってまもなくメッセージが降りてきたと、澪が白樹に知らせた。彼はなにかをメモ帳に書きつけるのに忙しく、すぐに対応できなかった。そのためドカッとかたまりできた情報を澪が保留にしておいた後に、やっと始められることになった。その際、あらかじめダウンロードされていた情報を逐次(ちくじ)、彼女の言葉に翻訳する形がとられた。
 メッセージ内容に白樹はのっけから面食らわせられた。というのも、澪がたくさんの転生のうちのひとつで人魚だったことがあると伝えられたからだった
 それを聞いて、白樹は以前、澪自身が太古の海の記憶を保持していて、その頃は海とひとつに溶け合い、海とともに生きていたことを細胞が憶えているのだと語っていたのを思い出した。しかも当時の海は真水であるということだったけれど、そうなると彼には彼女の話すことは皆目わからなかった。
「今日、彼女が突然、海に行きたくなったり、シーフードが食べたくなったのは、当時のDNAの記憶と接続している状態になったためです、って」
 そのうちに澪による翻訳から、直接スピリットが伝えるメッセージに変わっていった。それも「わたしたちからではないところのソース」から来ている情報であると、断ったうえで開始された。
 

 後に海面上昇により海にのみこまれてしまうことになる大陸に花開いた文化がありました。その黄金期を生きて次元上昇した存在からのメッセージでした。海と陸とがつながる必要がある、ということをお伝えしにきました。

 

 あとで澪がおしえてくれたところによると、中継された情報のソースは、悟りの或るステージに到達して人々の霊性開発を指導するようになったアセンデッド・マスターと呼ばれる存在のようであった。

 

 


2013年4月8日 剣崎にて 筆者撮影
 

 ある時から今日まで人類は海と陸を分断し、別のものとしてあつかってきました。内なるつながりを失ってしまったのです。それがために海は人々にとって恐怖の対象となりました。それにともない、自分たちが放出したものを海に棄てたり、魚を乱獲(らんかく)したり、海を汚したりということにまったく無意識になってしまいました。そうして無意識領域に押しやられてしまった海が汚されることで、あなたがたのからだも心も思考も感情も汚れ、幾層にもわたるこの星全体の精妙な領域に多大な影響がおよぼされるようになったのです。現在の海のさらに奥深くには、太古からずっと存在してきた、海の原型ともいうべき真の海があります。そしてそこにはこの星のあらゆる生命にエネルギーをあたえ、浄化作用をおよぼせる聖なる水が(たた)えられています。わたしたちは、〝ガブリエルの青〟と呼んでいますが。地球と人類に癒しをもたらしてくれる場所でもあります。この領域そしてまた深い層とのつながりを取り戻すことで、いま地球に生きるあなたがたが分断による魂の傷を浄め、癒すことがぜひ必要なのです。
 そしてこれは右脳と左脳、女性性と男性性、国や民族、人種の対立など、あらゆる分断はかならずや統合されてゆくことができるということを象徴してもいます。

 

 メッセージを聞いてまず白樹の脳裏に浮かんだのは、福島の原発施設のことであった。()け落ちた炉心(ろしん)を取り出すこともできず、危険な状態のままとにかく水をかけつづけるしかなく、日量八百トンと、たまる一方の放射能汚染水タンクの増設もいずれ限界がくれば、汚染水を海に棄てることを考えるかもしれない。
 いや、山側から原発施設の建つ土地の下に流れてくる地下水は、汚染水となり、タンクに貯留できない一部はとっくに海に流れこみつづけている。


 アトランティスの人々の間違いの根本原因には、あまりにも左脳優位となってしまったことがあります。そのため、人類はみずからの欲に(めしい)て全体を把握する視野をうしない、先を見通せなくなってしまったのです。このことはつぎのことと関係します。すなわちアトランティスの人々ははじめはエーテル体の頭部が肉体のあたまの外に突き出ていました、そのため、睡眠中にアストラル体が肉体を離れて霊界で体験したことをエーテル体に刻印することができました。それによって、霊界での体験内容が記憶として保持されながら、眠りから覚めてからも、保存されたその記憶を呼び出すことがまだ可能でした。それがアトランティス末期になると事情が変わってきます。というのも、エーテル体の部分が肉体の頭部にすっかり陥入(かんにゅう)してしまうと、霊界でのみ経験できる真理と本質をエーテル体に刻印することができなくなったからです。その結果、霊界生活で得られる真実から切り離されてしまったのです。
 

(抜粋はここまで)

 

 

◆『しじまの彼方から』の購入を希望される方はこちらからどうぞ 
ダイレクトに販売ページに行かれる方はこちら⇒ *『しじまの彼方から』上巻  *『しじまの彼方から』下巻

 

ここからラインナップ紹介と各小説の<試し読みコーナー>に行かれます

 

 

 

 

 本の出版が2020年(Appleとkindleの電子書籍版)、2021年(ペーパーバック版・オンデマンド本)で、原稿を起したのが2013年で6年以上かけて完成していますから、この小説の引用部分を書いたのは、今から10年ほども前なのではないかとおもいます。その時、すべての人に内在する男性性と女性性の統合というテーマは重要なテーマの一つとして描かれました。30年以上も前に体験したマ・サガプリヤのサイキックマッサージでは、私達に流れている男性energyはそれぞれの人の右足から、女性energyは、左足からリーディングできることを学びました。上に抜粋した小説の一場では、左脳と右脳となっていますが。

 

 さて、ここでわたしが取り上げたい問題が、なぜ人々はこの社会で「真実を言う」ことを恐れ、口を閉ざし、言いたいことを控え、発すべき語を呑み込むようになってしまったのか、です。

 

(つづく)