おとといのことになるが、小説原稿を書いていて一段落してホッと一息ついたところで窓の外がなにやら羽音で騒々しいのに気づき、見るとニホンミツバチの大群だ。毎年この季節になるとやってくる。お目当てはツタの花の蜜かとおもっていた。しばし驚きの目をみはり、写真や動画に記録することをやっていた。

 

 

 するとしばらくの後、来訪者があって隣家の人とわかる。妻が対応してくれたが、話し声が気になるから階下に降り外に出て行く。隣家の奥さんは蜂にたいする心配を訴えていた。大丈夫です、心配いりませんよと伝えるも不安そう。こっちはまた枇杷の木がもとで厄介事を引き寄せたとばかりに報せてきたのかと思いきや少々早合点だったようだ。相手の指さすほうを見ると、枇杷の幹から枝分かれした太い部分の下に垂れ下がるように▼の形に蜜蜂の群れが集結しているではないか。

 

 

 あとでネットで調べて「分蜂」というものにともなう「蜂球」だとわかる。全然知らなかった。そこで執筆中の小説とのフシギなシンクロニシティを感じてしまった。主人公の内室(妻)の臨終の場面を描ききったところで、なかなか終らなかった前半がやっと一区切りし、いよいよクライマックスに向けて後半のスタートを切ろうとする重要な節目を乗り越えられたタイミングだった。死は終りであると同時に始まりである。蜜蜂の分蜂も女王蜂の娘の誕生を前に半数の働き蜂を引き連れ新しい宿りのためにいっとき集結する。大自然の驚異と生命の神秘を感じるとともに、やはり流れに乗って行く予兆にも似たある種の予感がして忘れ難き人生の思い出となったことだった。

 

 翌日、お露は父の大野狛之助の到着を待っていたかのように、父がそばに行き、「お露」と呼びかけると目をあけ、父の手を無言で握り返し、かすかに微笑みを泛べてこたえた。そして再び目を閉じた。そのうち息をする間隔がじょじょに短くなっていったので、志道はいつ最後の一息となるだろうと、全神経を集中させてお露の鼻孔に耳を近づけた。やがて息を静かに吐き出すと、それきり息を吸わなくなった。まわりですすり泣く声が聞こえた。志道は目を閉じ、しばらくお露の胸に耳をあてて心臓の鼓動がなおつづいているのに注意を集中した。まだあたたかい細い手首に軽く触れていると、彼の指先をつうじて脈が伝えられてきた。最後の血液が循環し終えたら、本当に終焉を迎えるのだと、彼は思った。脈拍を打たなくなり、心拍が停止したのを確認すると、志道は初めて人間の命を生かしている息の働きの尊さ、ありがたさをつくづく感じた。そして厳粛な心持ちになった。

(短い一生だった。そして八年間、お露とともに暮らせたのだ……)それ以外にはなんの想いも浮かばなかった。

 志道はお露とともに生きた八年の日々を思い返そうとしてともすれば色褪せた花びらのように頼りない記憶が、さまざまな場面やいちばん助けられた彼女のうつくしい笑顔が、今となっては風に透きとおる桜吹雪の流れのごとくに脳裏に去来するばかりとなったことを悟り、ようやく痛切な悲しみに襲われておいおいと泣いた。

 お露の死顔は安らかだった。父の狛之助は声を出さず、忍び泣きをした。(執筆中の小説原稿から 未発表につき作品名は非公開とさせていただきます)

 

 

 

 

 

 

 

分蜂とは・・・春から夏にかけて蜂群が分かれることで、一つの巣に新しい女王バチが生まれたとき、古い女王バチが巣にいる働きバチを連れて集団で引越しをすることを指します。

 

 

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