今夜、紹介するのは、前回の記事のつづきで、包丁を買いに行ったのがきっかけで知った中央アジア今昔映画祭の作品を観に行ったときの映画評になります。2年前にこれを書いたとき、映画の終りに来る象徴的な大地震のシーンが圧巻でした。では、お楽しみください。

 

 

 こんな映画を観たのは初めてだ・・・・・・! そう感じられたいちばんの理由はストーリーの後半に来る大地震のシーンだった。完膚なきまでに壊され、容赦なくメチャメチャになり、激しい揺れと同時に内壁も天井も外壁も崩落し、深夜のこととてあたりが真っ暗なうえ粉塵が舞い上がり視界がさえぎられるなか、人々はただただ逃げまどい、叫ぶ。建物の瓦礫の下敷きになって死ぬひとは後を絶たない。

 しかもそのおそろしく救いのないシーンがしばらくつづいたのだ。場面を変え、異なる光景に取り替えることもできようものを、なんの救いの手立てもなく、神も仏もないような無慈悲な状況をいつまでも目の当たりにさせられて、スクリーン上の被災者ばかりか観客席にいるこちらまで阿鼻叫喚のなかに投げこまれたような気分になった。

 

 

 

 

 スクリーンに映し出される大地震の光景と同時に人々の想念エネルギーが自然と心に映じてくるようだった。パニックでなにも考えられなくなり、周囲で起きていることの滅茶苦茶さとおなじくらい混沌とした状態が内部に起こっているだろうことは容易に想像された。言語のほとんど途絶えた場面がもたらしたのは、視覚をつうじて伝わるすさまじい破壊の様子ばかりではなかった。人々の混沌とした想念がダムの決壊時のように洪水となって溢れだし、氾濫している。映画を観た直後、なんとか感想を言葉にしようとおもってかろうじて出たのが、「圧倒的なリアリティ」の一言だった。つづいて湧いてきた想いがある。

(じゃあ、今まで観てきた映画はなんだったんだろう?)いや、もともと映画にたいし、一方では好きな作品がありながら、あまり期待しないという醒めた一面はあったとおもう。感情移入し、一時的に映画の世界に酔えたとしても、まもなく「映画は映画だ」というようにあっさりとした捉え方により、どんな印象もフェイドアウトしていってしまう運命にあった。

 

 それが澄んだ瞳をみはった表情が印象的な少年を主人公とした今回の映画作品では違った。そこに描きだされた不幸に比べ、自分がなんと恵まれているのだろうとおもわれることが、今まであったろうか。世界にはこうした不幸に苦しむ人々がいると実感できてはじめて祈る必要性が内側から感じられてくるのではないかとおもった。この映画のラストシーンで、親兄弟を亡くして一人だけ命が助かった主人公の少年が、生き残った祖父とともに仲間と別れて小さな町を出てゆき、荒野で老人がアラーの神に祈りを捧げる場面がある。それはこのストーリーの帰結として当然の行為であり、これこそは唯一人間にできることであると素直に共感もできた。人間存在が非力で哀しげに見えても、そこから立ち上がってくる祈りという行為によって、人はうつくしく輝きはじめる。そのおかげで映画を観るひとは、一縷の希望に自分の心をつなぐことができる。

 そこが抜けてしまうなら、人生とはこんなもんさといったあきらめで幕となる。いかにも世俗的な描き方ではないかという気がする。いつしか映画とはこんなものさみたいな固定観念と先入観が、人々の心に植えつけられるのだとしたら。自分はこれまでそんな風潮を、心のどこかで、まあ映画にかぎらずどの分野でもそうかもしれないけれど、それを映画にも感じていたのではないだろうか。

 

 

 もちろん、ここで書きたいのは、自分の好みでもなければ、見たい世界でもない。ただ、どこか映画に違和感をおぼえながらも、感じないふりをしてきたであろうことは事実だし、かといって本来の映画のあるべき姿とはなにかなどと真面目に追求することもなかった。そんなことに今回は気づかされたということを記しておきたかっただけだ。物足りなさはどこからくるのか。そう考えると、商業主義的な風潮と無関係ではないかもしれない。エンターテイメントの要素があっていはいけないというのではない。薄っぺらさというのだろうか。とにかく物足りないものを感じることがよくあった。そしてどこかであきらめていた。それが、西洋文明に毒された文化圏を出ていない自分の認識の偏りに気づかず生きてきたということなのか。これは映画にかぎった話ではない。

 

 いずれにしても、(もうこれは映画なんかではない!)と、心のなかで驚嘆し、喜びの心とともに叫ぶことができたのは、よかった。すぐれた作品に出会うと、その作品が帰属するジャンルの概念やイメージそのものが刷新されてしまう。三年ほど前の正月を過ぎた頃に前衛舞踏の笠井叡(かさいあきら)さんの『高丘親王航海記』を観て、身体藝術とか舞踏そのものにたいする見直しが起きて以来の体験だった。

 

 ところで、なぜ『黄色い雄牛の夜』を観て、あれほどまでに大地震のシーンの衝撃が強烈だったのだろう。すると、それにはちゃんと必然性があることに気づく。そこに至るまでに登場人物の心によぎる一抹の不安。貧しさ。不幸。涙。疑惑。心の動揺。恐れ(おのの)く心情。人生の光の部分よりも影の部分のほうに照明をあてつづけてきて、いたたまれない気持ちになる。最後には大地震ですべてが破壊され、人が死ぬ。それは解決ではないが、ここまでの不調和の結果としてはなぜかそうなってもおかしくはないと妙に納得しながらも、しかし悲しみと絶望感はピークに達している。

 

 1996年に作られたこの作品の舞台となるのは、トルクメニスタンの都市アシガバート(愛の街という意味)。1948年10月8日にアシガバートを襲った大震災では人口の3分の2の人命が失われる。人類史上有数の被害規模の地震でありながら、その実態は公式に発表されることがなかったといわれている。作品ではスターリン政権下の全体主義の体制が暗い影を落としている。平和な雰囲気のなか助け合って暮らしている庶民の住む町にある日いきなり騒音を立てて車がはいってきて、調べのために仲間の一人をものものしい態度で引っ捕らえ連行し去る。といったことが、日常の暮らしをおびやかす。

 主人公セルダル少年の父は消息不明とされ、友だちにめぐまれ、愛情深い母や暖かい校長に守られながら過ごしていた。心をよぎる寂しさと疑問にこたえて、チャパイ校長は父親を待つように、ただし、つぎのことを行いなさいとおしえる。それは還ってきた父親が成長ぶりをみて安心するように、母を大切にし、兄弟を大切にすること。「それが本当の人間というものだよ」と。

 やがて、不穏分子としてにらまれていた祖父が当局に連行され、不当に供述を強いられ、また皆から敬われるペルマノフまでも目をつけられるようになって、それまでは沈着で立派に振舞っていたペルマノフ本人は近所の友達の前で酒を飲み胸中をさらし大いに心を掻き乱す……。そして10月8日午前1時10分をまわったところ運命の瞬間が訪れる。

 

 社会の腐敗や人の悪心が昂じてきて、天罰が下ったのだというふうに、大地震は作中では捉えられている向きがあり、おそらくは監督もそのつもりはあったろうが、これも色々な見方はできるかとおもう。人間の心が軌道から大きく外れてしまったときに働く宇宙の摂理としてのリセットがある、ということも、わたしの心に浮かんだ一つの考えだった。そういえば、この記事に手をつけてからのちの今日、また新たにカザフスタンの映画を観た(『海を待ちながら』2012年)が、そこでも人間の業が描かれ、もうどうしようもないというくらいにクレイジーな面が強調されている主人公の心理と行動の繰り返しの果てに、地震が来たとときは、(またか……)と感じるとともに、これは決してこの中央アジアの地域に特有の天変地異であるだけでなく、一種の調整みたいな波動の法則の現れでもあるのかといったことを、瞬時に直観した。

 

 

 不幸が積み重なり、最後に破局ともいえる天災による惨事により、打ちのめされる。作り物とはとてもおもえぬ徹底ぶりと執拗なまでの物理的破壊性と絶望的な気分。これでもうラストシーンかとおもいきや仕舞いとはならず、まだまだつづく。不幸な事態に遭遇した人々の悲しみ。そこから立ち直ってゆこうとする人間の強さやけなげさ。そういうものを描こうとしていた。わずかに開く希望の小窓から光が射しこむ。

 父は戦争に行ったきり帰らず、母を震災で亡くした少年のともするとなぜ僕だけが残されるのと疑問をいだき落ちこみそうになる心を励まして、われわれで再建してゆくしかないだろう、そのためにこそ生き残ったのではないかと、親しい大人が語りかける。それから、彼は祖父ととともに旅立つ。

 

 

 館を出てしばらく興奮の余韻がさめやらず、打ちのめされるようなショック感をまぎらすかのように、眼に飛びこんでくる猥雑なイルミネーションの光が出入するのにまかせ伊勢佐木町の年の瀬押しせまる繁華街をさまよい歩いた。それが先週の土曜、12月18日の夜のことである。発見の喜びと己の住んでいる世界の小ささを痛感する気持ちと、複雑な感情を味わうことになった。

 考えてみれば、今回こうして『中央アジア今昔映画祭』の九作品のうちの一つ『黄色い雄牛の夜』(*註)を観られたのも、先日包丁を買い求めに菊秀に行ったことがきっかけとなって、近くの横浜シネマリンでこの貴重な映画祭をやっていることを知ったおかげだった。

 そこでまた貴重な気づきが得られたこの幸運を喜ばないわけにはゆかない。

 ふしぎな導きも感じる。最近ずっと心を占めていたジョージ・オーウェルの描くディストピアを髣髴とさせる全体主義の暗黒の影を落としている点でもやはり偶然とはおもえないものがある。

 

 この映画は、トルクメニスタンの初代大統領であるサバルムラト・ニヤゾフという人が嫌ったためにお蔵入りとなって、官邸でおこなわれた上映会以降は、同国では観られなくなっただけでなく、ニヤゾフがオペラやバレエなど西洋芸術を排除し、この映画についてもソ連的とされて、同国での映画製作自体ができなくなったそうだ。ソ連が嫌いなのも、その全体主義国家の体質ゆえではなさそうだ。というのも、二代目大統領の代になっても、今もって個人崇拝を廃止せずに相変わらず独裁政治をつづけ、全体主義体制を踏襲しているからだ。(ロシア文学・映画 梶山祐次氏「トルクメニスタンの禁じられた『愛の街』の物語」中央アジア今昔映画祭パンフレットに所収を参照のこと)

 

 昨日は、同じ映画館で正午から一日一回のみ上映される『クナシリ』を観て、夕方はやはり同映画祭出品の一作であるカザフスタン映画『テュベティカをかぶった天使』を観た。今日は、『海を待ちながら』を観に行ってきた。いずれも日本初公開の作品。順次、紹介しながら、所感を書いてゆこうとおもう。

 個人の思考や感情が尊重され、思想と行動の自由が守られることを願う人間の心は、国境や文化や時代の違いを超えて普遍的なものであるということをつくづく感じるし、いよいよ確信に変わりつつある。


*註…『黄色い雄牛の夜』このタイトルは、主人公の少年の祖父が歌う18世紀の詩人マフトゥムクリにちなむ。ここでの雄牛とは、地球を角に乗せ、蹄をもつという伝説上の動物。伝統的な生き方にしたがうトルクメン人には夢や生きものの行動から天変地異を予知する習わしがあり、科学を信奉するソビエト連邦国家はこれを理解しなかった。

 

(再掲記事はここまでです)

 

 

 ところで、最近、地球上のあちこちで火山噴火が同時に起きているようです。

 

 ☆山口ミュージックさんから拝借しました

 

 地震というと、昔は天災としか考えられていませんでした。

 

 安政東南海地震から90年後に起きた昭和東南海地震(昭和19年12月7日)

 その時、愛知県知多半島は半田市にある中島飛行機製作所(陸海軍の数々の名機を製作)の工場が倒壊。

 100名近くもの学徒動員された若き工員が命を落としました。

 

 311(東日本大震災)のあった年の夏、NHKの番組で【封印された大震災 ~愛知・半田~】が放映されました。すぐに録画を観て初めてこの事実を知りました。この番組のプロデューサー(だったかディレクターだったか)は、まもなく亡くなっているんですね。幸いなことに動画のほうは、削除されることもなく、残っています。全部観ていただきたいのですが、以下の動画の18分くらいのところから、とくに重要な証言があります。

 

 

 

 そしてこの時、わたしは或ることを直観して国会図書館に足を運びました。そして、当時の新聞を調べてみたのですが……。

 

 そこでわかったのは、当時のわが国は敵国であるアメリカが「地震兵器」を使用したことを知っていたと見られ、それが証拠には、記事の「見出し」にちゃんとその「地震兵器」の4文字が書かれてあったということでした。さらに、笑止千万の「笑止」(非常に馬鹿々々しいこと、気の毒なこと)という表現を用いて(あざけ)り笑うことでバシッと一矢(いっし)報いて(敵の攻撃に対して、矢を射返す。転じて、自分に向けられた攻撃・非難などに対して、大勢は変えられないまでも、反撃・反論する)いるのが印象的でした。

 

 

 311の数ヵ月前に福島原発にイスラエルの警備会社が入り、コンピュータを撹乱した形跡あることがわかっています。

 

 一方、原子力安全基盤機構のOBの方は、核爆発の証拠をあげて、あれが津波のもたらした自然災害に起因する「原発事故」とは本質的に異なることを示してくれたのでした。

 

 

この動画は何回でも観るに値する貴重なものです。広島・長崎の原爆と同じくらい。日本人にとって銘記すべき事。魂の覚醒のためにもー

 

 いくつもの状況証拠により、「地震兵器」が使用された疑いが強いということについて話題となり、一部の人々のあいだでは、もはやこれは自明のことになっています

 

 また、当時の首相であった菅直人氏が、イスラエルの首相に脅迫されて巨額のお金を支払うこととなったともいわれています。彼は首相退任後にどんな心境でお遍路の旅に出たことでしょうね。

 

 つまり、裏政治の脅迫の道具でもある【偽天災】製造機に用いられることとなってしまうのが、テクノロジー(地震兵器だけでなく、気象兵器も、そして医薬製品に偽装された生物兵器も然りです)の、そして科学の悲しい運命(なにかが間違ってしまった結果の、報いとしての)だったのだ、ということです。今後、医学も科学もですが、悪の手先となってしまう運命をどう転換させてゆけるか、ここが勘所でしょう。

 

 火器だとかミサイルだとか、誰の目にもそれとわかるものならいいのですが、戦争を起さずして、人を殺せるのが厄介な点です。

 宮沢孝幸京都大学准教授(ウィルス研究 2024年5月京大を退職予定)が、ハッキリと「生物兵器」と明言されたように、コロナだって人工的に組換えられ邪悪な目的に使われていることを見れば、軍事だとか医療だとかジャンルにとらわれていると大変なことになることを知らなくてはなりません。人間の「意図」にいつも注意を向けてないとダメです。

 

 「虚偽を虚偽として見る」(真実を真実として見るだけでなく)それこそが真理なのだ、というようなことを、昔、クリシュナムルティという人が書いているのを見て、この言葉が好きになりました。

 「悪を悪として見る」ことが、普通にできないといけません。

 

 悪は巧妙かつ狡猾ですからね。見抜けるだけの曇りなき知性、欲心なき清浄な心にしておくことが必要です。

 

 でも、大丈夫です。ジョン・ウィックがいますから(笑)主演男優のキアヌ・リーブスがますます好きになりました。

 

 ゆうべは、まさに悪を完膚なきまでにやっつけ、退治するジョン・ウィックの勇姿をスクリーンで観て、感動しました。もともとレイトショー好きですが、これほど感動した夜はありません。いよいよこれから大浄めにはいってゆく、そこに人々の意識も向きはじめるという予兆を感じます。また、ジョン・ウィック4作目のシネマ評を書きますので、お楽しみに。