つい2、3日前のこと。5年ぶりくらいに蕁麻疹(じんましん)が出てしまいました。食物に含まれる毒素を体外に排外せんとして皮膚に現れる病変なので、排外作用自体が健全な働き。病変は赤信号を送って危険なものを摂取しているよと教えてくれているシグナルだと認識しています。

 

 5年前、生まれて初めて蕁麻疹というものを体験しました。近くの合氣道場に稽古に通いはじめていた時期で、一週間に一度曜日をきめて稽古後に先生と気の合った生徒3人くらいで短い時間で一杯飲む会を楽しんでいました。そのおり、参加者の一人がスーパーでお惣菜(そうざい)を買ってきてくれるんです。透明のパックにはいった天婦羅とかですね。それを食べ、発泡酒の缶を飲む(うちでは飲まない。たまたま道場の冷蔵庫にストック)ことをつづけていたら、蕁麻疹が出てきてしまいました。生まれて初めての体験です。蕁麻疹とはこんなにひどいものなのかということを知りました。(ちなみに、たしか同時期にうちで瓶のハートランドビールを飲んだら蕁麻疹がでたという記憶もあります。名前からして小麦はウクライナの穀倉地帯で収穫されたものじゃなかったかとおもいます。放射能が気になります)

 

 わが家の食生活は米から野菜まで基本が無農薬で、その他調味料はじめだいだいがオーガニック製品ですから、そのときの油でも小麦でもいけなかったとおもわれます。食べると体に蕁麻疹が出てしまう症状は、その後しばらく癖みたいになって、家で食事してさえ、ちょくちょく現れていました。デトックスには一年くらいかかったでしょうか。

 

*ところで、今回の場合は、スーパーで買ったそうめん、うどん(乾麺)、有機ピーナッツ(中国産)の植物性油脂が原因ではないかとおもっています。いつもは油のはいっていないクルミだけを食べていたのに、そのときにかぎってやむなくピーナッツを買ってしまいました。1日の最初に食べるブランチでは、豆乳ヨーグルトに桑の葉やバオバブを混ぜたのやパイナップルを摂り、たまに食べるパンケーキ類でも無農薬の米粉を使用し、無農薬国産でも小麦は使用しなくなっています。

 

 そういう苦い体験があって、今から三年前、以下に再掲するブログ記事が生まれました。日本に輸入される小麦に含有されるグリコホサードなどの農薬量は世界的に見てもたいへん甘い基準で厚労省が認可しています。パン好きな人にも見られるように、小麦には中毒性があるので、小麦断ちをするにはそれなりの理解と決意が必要で、それぞれグルテンフリーの素材(同じパスタでもかなり高価になってしまいます)や米粉を選ぶなどの工夫をこらしているとおもわれます。

3年前にアップしたこちらの記事への反響は予想をはるかに超えてあり(Facebookでのシェア数がすごかった)、沢山の日本人が小麦の問題に関心があるらしいことが判明しました。

 

 少し前にパンにコオロギパウダー(昆虫を粉砕する特許取得済の機械をもつオランダの会社が草分け)を混ぜようという変な発想をもちこんだ日本の製パン会社の製品を避けようという情報が飛び交うなど、昆虫食にはわりと敏感な拒絶反応が見られましたけど、原料である小麦にたいしては、どうなのでしょうか。

 

山間(やまあい)の集落ごとに自給自足できていて、とくに外に出てゆく必要もなく、外からの情報がはいってくることもその必要性も感じることなく、穏やかに自然の恵みと人々の信頼と助け合いのなかで一生を終えてゆくイメージが、最近わたしの脳裏をしきりとかすめるということがありました。

 

 いつから日本人はみんな同じものを食べるようになってしまったんでしょうか。

 買い物といえば、大型スーパーへ。そして全国展開されたスーパーでは遠くの産地の品が簡単に手に入る。反面、からだに良いたべものを買いたいとおもったら、通販に頼らなくてはならない。(かくいう自分も無農薬やオーガニック製品は主として通販で、その他はスーパーでと使い分けざるをえず、都会生活者の限界も感じていますが…)

 それでも、「愛あるべもの」だけをからだに摂り入れようと独自に判断して、よく考えて品選びをしつづけている人はいることとおもいます

 

 ただ残念ながら、そういう人は今のところ少数派でしょう。

 一律化された考え。全国津々浦々の農山村にまで普及してきたテレビCMの影響が強く、コンビニエンスストア、ファストフード、ファミレスなどのチェーン店。知らぬ間に考え方が統一され、型に嵌められてく。

 ワクチンを打つのは当たり前。考える余地なし。

 マスクするのは当たり前。しない人は変な人。

 果してこれでよいのだろうか? とおもいます。(以下、2020年5月24日の記事より)

 

 この頃は、わが家でときどきパンを作ります。まあ実際には自分で作るんじゃなくて、作ってもらうのですが、だいぶ前はよくオーガニックの全粒粉や時には米粉なども混ぜるなどして自分でよくチャパティを作っていた時もありました。こねてまるめてのばして焼くという過程が楽しくて、きれいに出来ると嬉しくて、よく作ってました。あとで書くように幾多の変遷をへて作らなくなっていったのですが。

パンの原料になる小麦は国内産の無農薬の小麦です。ここだけは絶対条件であるというつれあいの影響がわたしにもおよんで最近では自分でも色々と経験をとおして学び、大事なことと思っています。

 

 

 それで昨日は自家製のパンを食べました。三回目になりますが、最初に食べた時の感動は忘れられません。(パンってこんなにおいしかったんだ)これが心のつぶやきでした。でも、これは表現が正確ではありません。なぜなら、パンという言葉自体が既知のイメージにもとづくものだからです。いってみればこれは死んだ概念なんですね。自分の狭い経験に規定された死んだイメージから出来上がった言葉である「パン」というのがまず先にあるから、「パンってこんなに・・・」という言い方になってしまいます。考えてみたら、この言い方は無意味です。いま目の前にあって口にいれているもの。これがすべてですから。もっとぴったりの表現はないか。すると思い浮かんだのが「これはこれである」でした。This is that this is.そうです。このブログでも取り上げました、“I am that I am.”にも通じます。「わたしはわたしであるところのものである」。「わたしははわたしだ」。したがって、「これはこれ」だということです。禅問答のようです。

 

 でも、どうおいしいのかということについては、まだ書いていませんでした。薄型の円盤状のパンのふっくらとした部分を側面から手で裂くようにしてすきまをつくり、具を入れたり、ジャムをはさんで食べると、しっとりとしてなめらかな食感です。このしっとり感やきめ細かさはこれまで味わったことがありません。それだけでなく、風味がいいのです。パンについて、知っているあの感じ。たとえば、ぱさついた舌ざわり、ふわふわしているかと思うと、噛んでいるうち口の中でかたまりはじめ、飲みこむと喉につまるとか。硬くて食いちぎるのが大変とか。ツンとした臭いとか。過去のパンにまつわる様々な記憶がぬぐい去られた今、パンにたいするイメージは一変しました。今までいかに固定イメージしかもっていなかったか、ということに気づかされました。

 

 

 ちなみに、うちで作るパンの材料を訊くと、小麦粉、有機穀物で作った天然酵母(風と光)、塩、オリゴ糖シロップ(アガベシロップの代用)、オリーブオイル(レシピでは菜種油)、水とのことです。いいことには、オーブンを使わないでも、ガスコンロのグリルでじゅうぶんに焼けます。

 

 パンは中毒性があるといわれています。自分がそれに該当するかどうかはわかりませんが、一時はかなりのパン好きで、パン工房があると知ると出かけて行きました。その頃は、住んでいるところが鎌倉にも葉山にも近く(これがいけなかったのかもしれません)、評判のパン屋さんに買いに行ったり、たまたま裏街の路地にひっそりとお店を開いているおしゃれなパン屋さんを見つけると、めずらしいものでも発見した気分になってそこの品を買ってみたりということが日常生活に楽しみをそえていました。

 

 そうこうするうちにいつしか小麦はカラダによくない、できればグルテンフリーがいいという意識にしだいにシフトしてゆきました。いつもそういうのはつれあいのほうが率先してやってゆきます。こっちは啓発されるほうで、だんだんと体感をとおして実感してゆけば、なるほどたしかに…みたいに習慣化して生活に溶けこませてゆく感じでした。一時は冒頭に記したようにもっぱらオーガニックフーヅを扱う近所の自然食品店でパンの代わりに全粒粉を買い、チャパティでもトルティーヤでも家で作ることにしていました。これもわたしが作ると薄くのばしたハードなタイプに、つれあいが作るともっちりとしたパンケーキか、反対にクレープ状になるといった具合で個性が出るので、それも面白かったのでした。

 

 やがて来るべき時がやって来ました。それまで好きだと思いこんでいたパンにようやく飽きがきたのです。その言い方も正確ではありません。少なくても自分の知っていたパンはじつはそんなにおいしいものではないのだ、ということに気づいてしまったのでした。パンにのせる具でいいと思うのがないと選べない、というのはそもそもパン自体がおいしくないから。デザートパンにしてもおなかいっぱいになりそうで、さして魅力ない。なのにパン屋さんにはいって、なにか買わなくてはとかごをもってたたずんでいたとしたら、なんだか馬鹿みたいですね。だけど、パンにかぎらずに食べ物にたいし、多くは幻想を抱き、幻影を介して食べ物にアクセスし、それをゲットして口にいれ、舌を満足させたら、快楽がしぼみ、根本的には渇きは癒されませんから、またしてもあの快楽をもう一度ということで欲望が復活して、行為を繰り返す、というのは、今の消費文化を支える心理の基本パターンですね。ある意味、こうした心理は病んでいるともいえ、病理ともいうべきものが人々の消費行動に横たわっているのは否めないと思います。

 

 パンを買うのが常習化してしまう。パンが切れると、安心して朝が迎えられない。明らかにビョーキです。それも心理的な。人生にたいする欠落感ゆえの不満。そのフラストレーションのはけ口となっているとしたら。なんでもこうした穴の埋め合せになりえます。アルコール、煙草、コーヒー、そしてパン、スウィーツ! 嗜好品の嗜という字は、たしなみと読みます。なにも間違っていないし、問題もないはずです。ところが、ひとたび心理的欠乏(want)の埋め合せとしての「欲する(want)」に変容すると、嗜好は「嗜癖」となり、アディクション(執着、中毒)となります。ちょっと大袈裟かもしれませんが、自分にかぎらず、多くの日本人の陥っている食餌行動の危険な側面に照明をあてると、パンがなくてはいられないというのが中毒である、それも事実無根ではないのではないでしょうか。

 

 買わなくちゃ/控えとこう。そういう反転のサイクルが、何年にいっぺんくらいの幅でやってきました。ところが、震災のあと食のスタイルに大きな見直しが迫られることになります。放射能とかそういう環境の危機の問題もありますが、それだけではなくて、もっと内側からの、というか高次の世界からの霊的な導きもあって、意識とともに食生活そのものに改革がもたらされてゆくことになりました。

 

 

 もう長らくお米は無農薬米しか食べていませんし、パスタでもかならずオーガニックを選ぶのは基本になっています。しかし、パンばかりは天然酵母などにこだわっても、小麦に関してはかならずしも厳格ではない時期がずいぶんありました。そのへんはつれあいは結構よく情報を取っていて、気をつけていたんですが、わたし自身はといえば、いささか舐めていたなと反省せざるをえません。そのため、気づけよ、早く気づけよと、カラダがおしえてくれるのを待たねばならない破目になってしまいました。それは2018年ことでした。つきあいで飲むことが多くなって、家では決して食べないものを食べたりしたことは大きかったと思います。あるいは家では飲まなかった発泡酒をよく飲んでいたこともあるかもしれません。生まれてこのかた知らなかったじんましんがカラダに出てしまい、驚きました。すぐに治ると思っていたら、そんなことはなくて、何回も繰り返すようになってしまったのです。そこまで行ってようやく食品を選ぶことの大切さが身に沁みてわかりました。

 

 きっかけとなったのは、家で飲んだキ○ンのハート×ン×ビール(瓶)でした。それと気づいてすぐに飲むのをやめましたが、一度じんましんが出ると、ほとんど習慣のようにしょっちゅう出るようになっていって、いったいなにがアレルギー反応の原因物質であるのかが特定できなくなりました。

 それでも、つれあいの助力もあって、怪しいとおぼしき食品の洗い出しをしつつ、発熱や腹痛を起したことが契機となって、ふだんはめったにかからない西洋医学のクリニックにも受診し胆嚢の検査も受けたことから、胆石が見つかり、しかも胆嚢炎で痛んだとしてもそれはとうの昔のことで、現在は石灰化していることがわかりました。

 そこで自然療法として、「ふのり」をたくさんいれた味噌汁を毎日飲んだり、ノニジュースを飲むなど、ある種の瞑想も含めてあらゆる方法を試みました。やがて一年もたった頃、地道な努力が功を奏して、じんましんは完全に収束しました。いつもながら、そのことをまったく忘れ、カラダのことも忘れた時には、完全に治り、問題は解決していました。元来が楽天的ですので、慢性化することなく、治るのも早いのでしょう。

 

 

 ともあれ、経験は宝です。経験から学ぶことがないなら、ここにいる理由もなくなります。アレルギーの引き金を引いたことが疑われる食品の一つに小麦がありました。じんましんで苦しんだのは2018年(平成30)です。同年に輸入小麦への規制(安全基準)が大幅緩和されます。ここに時期的な一致が認められます。こうなるとあながち偶然とも思えなくなってきます。

 

 ところで、ご存知の方も少なくないと思いますが、日本で売られている小麦の85パーセントが輸入小麦です。この輸入小麦がなぜ問題かというと、収穫後に倉庫で保管したり、輸送したりする際、カビが生えたり、腐ったりするのを防ぐ目的で農薬が使用されるからです。これらの防かび剤や殺菌剤をポストハーベストと称しています。ハーベストは収穫。ポストは後。パンだけでなく、ケーキやクッキーなどの洋菓子、パスタなどの麺類は小麦を主原料とします。とくにパンに使用される小麦粉の99パ―セントが輸入麦なんですね。

 それらの製品に使われる輸入小麦にたいし、検査をおこなうと、かならず農薬が検出されていますが、安全性の保証はないため、これ以上は使わせないという安全基準を設ける必要性があります。

 

 日本は国内の農家にたいし、ポストハーベストの使用を禁止していますから、この点で国内産小麦は安全といえます。あとは空輸の小麦か、オーガニックが安全とされているようです。

 市場に出回っている小麦の85パーセントが輸入小麦だといいました。原料になる小麦であれば、自然食の店とかネットショップを利用して、国内産でもオーガニックでも手に入れればよいのですが、加工品であるパンやお菓子となると、そうも行きません。

 しかも、市販のパンに使われている小麦の99パーセントが輸入小麦です。

 

 天然酵母パンが健康によいと思われています。自分もそう考えている一人でした。ところが、イーストも自然由来であることには変わりなく、ただとくにパン作りに適した菌のみを抽出した純粋培養であるという違いがあるだけです。

 しかしもっと大事なのは、小麦は国内産を使用しているか、海外のものなのか、海外のものでもオーガニックなのかどうか、という点なのだと、つくづく思えるようになりました。ただ、そこまでわかっていても、希少だったり、高価だったりするので、手が伸びないことはあるでしょうし、わかってはいてもしかたなくパン屋さんのパンやスーパーのパンを買って食べてしまうという人も少なくないことでしょう。

 

 

 ところが、2018年(平成30年)以降に輸入小麦の安全基準が甘くなってからは、もうそんなことは言っていられなくなってきました。収穫の一、二週間前に散布される除草剤のグリホサートの使用量が昔よりも増加しています。

 こともあろうに、残留農薬の安全基準が大幅に緩和され、グリホサートに関しては、今までの6倍という驚くべき数値となっています。今までの5㎎/㎏(5ppm)から、30㎎/㎏(30ppm)と、許される農薬の量が従来の6倍にまで増えているということです。

 それだけ安全基準値が甘くなってしまったのです。食品を口に入れる消費者であるわたしたちが承知したわけでもないのに、いつのまにか勝手に法律が変えられているのです。

 

 それにしても気になるのは、6倍にまで安全基準が緩和された背景になにがあるのかということです。農林水産省が輸入小麦について除草剤(グリホサート)の検査を業者に委託した検査結果(平成30年度前期残留農薬)を表にしたものがあります。ここでわかるのは、ほとんどの検体(検査に出されたサンプル)で農薬が検出されていること(とくにアメリカとカナダ)です。資料中の「2 食糧用麦の船積時検査 (1)小麦(残留農薬)」と見出しのある一覧表は、アメリカ、オーストラリア、カナダ、フランスの四ヵ国(輸入元)について調べた結果が載っていて、グリホサートを見ると、アメリカが66の検査点数のうち、0.02ミリグラムの定量限界未満の点数が2、カナダが37の検査点数のうち0となっているのがわかります。定量限界値未満とは、検査目的の成分が計測できるほどの量ではなかったという意味です。つまり、この数値を超えたというのは、たとえ微量の場合でも残留農薬が検知されたということで、重く見ないといけないと思います。オーストラリアでは、18にたいし、10です。アメリカ、カナダとはずいぶん違います。フランスだけ同じ除草剤でもグリホサートではなく、クロピラリドが検査対象で点数が8、うち定量限界未満が2となっています。ところが、三ヵ国に関しては、全点数とも新しく改正された基準値の30mg/kgは「クリア」しています。(フランスも基準値2mg/kgはクリア)改正前の平成29年度前期残留農薬の統計を見れば、基準値が変わっているのが明らかです。

  この統計からなにが読み取れるか。まことに残念なことですが、人々の健康を守るよりも、製品を売って利潤を増やすために法律が変えられているのではないか。そうした疑いが生じても当然でありましょう。

 

 

 気をつけなくてはいけないのは、ビール(麦酒)です。最近は、缶ビールの表示にかならず麦(小麦麦芽を使っているビールもありますが、ほとんどは大麦でした。これまでここの記述は小麦と書いていましたが、麦に訂正いたします。実際に大麦小麦を栽培している友だちと昨日26日に話してわかりました-5月27日記す)の産地が海外であることが明記されています。正確にいうと、「外国製造又は国内製造」っていう感じです。まず大麦ないし小麦を輸入し、国内で発芽させ麦芽を原材料として用いていると思われます。もしくは、外国で麦の栽培から麦芽づくりまでもおこなっている場合もあるのか。いずれにしても、国内産の麦が混じっているという意味かと今までは考えていましたが、それなら国内産と表記し、国内製造とはしないでしょう。ちなみに大麦の残留農薬調査結果を見ると、検体数が小麦の場合よりだいぶ少ない(アメリカの場合小麦66にたいし大麦は9)のと、小麦の輸入元の四ヵ国にデンマークとニュージーランドの二ヵ国が加わり六か国となっているという違いがあるだけでした。しばらくじんましんが出ていなかったのですが、それがつい最近のこと、まだ1週間にも満たないと思いますが、また出てきてしまいました。

(もしかしたら、ビールなのかもしれない・・・・・・)そんな想念が脳裏をかすめます。

 銘柄はサ〇トリ〇のプレ×アムモ×ツです。これまでまったく問題はありませんでした。ただ、輸入小麦を使用していることで、しかも海外というだけで、いったいどこの国なのか不明な点が甚だ不安材料になっています。

 

 日本のビールメーカーが原料である麦の輸入の相手を乗り換えたら、と仮定してみると、見えてくるものがあります。選択の変更により、使用する原料である輸入麦の残留農薬も増える可能性があることでしょうから、その場合は法律を変えなくてはなりません。

 

 こうなると、センサーとしての唯一の頼りは自分のカラダです。そして直観です。前回の記事でお伝えした「霊視認識」が物を言います。麦が太陽の光のもとで大地の上に育てられているさまを思い浮かべてみてください。

 プレハーベストといわれる収穫1、2週間前に散布する除草剤など、換金作物をたくさん収穫するために用いるものを使わないかぎり、種のなかに眠っていた力と、それを助ける外からの働きは、すべて同じいのちの仲間です。いのちにとって悪いものはいっさいありません。

 ところが、人間の手がはいると、おかしなことになります。アメリカの除草剤にはベトナム戦争で使用した枯葉剤と同じケミカルな物質が使われています。

 

 空輸便は安全といわれています。一方、船便で運ばれてくるとき、ポストハーベストが小麦に大量にかけられます。その光景をありありとイメージする必要があります。そうやって営利目的という意図のもと、カラダによくないもの、いのちを損なうものを含んだ食品が売られるのですが、ここでハッキリと意識しなくてはならないことがあります。

 

 それは、いまだにわたしたちはなにも強制はされていないということなのです。

 買いなさいと強要されたことは一度もないはずです。もし、そう信じているとしたら、催眠術にかけられているのです。

 自由意志を使い、選ばないこともできるのです。

 

 

 市販のパンにはおいしいと思えるものはないし、別にパンがなくても死なない。でも、うちで作ったパンが従来のパンとはまったく別物であるかのような新しい感触、新しいおいしさ、新たなしあわせをもたらしてくれるということを、「知ッテシマッタカラニハ……!」(??)

 これは中毒性のものを危険となかば承知しながら、摂り入れつづけることから、積極的にカラダに無害で、むしろ良いものを選ぶことへと変換することになりえるのかなと、今は思っています。

 

 

 それにしても、なぜここにきて、輸入小麦の安全基準引き下げなのでしょうか。よくよく考えてみなくてはなりません。そして、外側の状況や条件から、肉体的にも精神的にも自由でいつづけることはじゅうぶんに可能です。

 これも前々回の記事の終りにちょっと触れた第三チャクラ(マニプーラチャクラ、太陽神経叢)の自立と完全なる開花に関係してくる問題ではないかと思います。これは社会的承認云々の問題というよりも、もっと直接生命とか、サバイバルとかにも関わる重大な事柄でもあるし、霊的進化の点でもいかにして永遠の自己性、そして自己の内的宇宙と内在する神性とつながるかという最重要テーマでもあるでしょうね。

 

 

しじまの時間 アーカイブス