明けましておめでとうございます。年頭にあたり貴重なお時間を費やし当ブログにおつきあいくださる方々のいのちの光がますます輝きますようお祈りいたします。

 

2020年は去年に引き続ききびしい年になると聞いていたところ、さっそくイラクの地でイランの司令官が殺害されたというニュースがはいりました。命令したトランプ大統領は「自衛」のためと正当化しています。世界の人々に希望の光を投げつづけてきた現行の日本国憲法九条がまだ健在とすれば、日本人の意識における「自衛」隊の存在意義と任務は、今回米国大統領の主張する「自衛」と相容れぬはずです。我が九条は、対立を常とする三次元物理次元の相対世界からではない、高次の世界から降りた一条の光だとわたしは信じています。

 

今回のことも一見国と国との対立抗争に見えようと、地球をおおう真っ黒な業(カルマ)が人類の意識進化を遅らせ妨害せんとする画策にほかなりません。  

「挑発」に乗って「報復」が実行され、多くの尊い命が失われるなら、一時的にせよ人類は業(カルマ)に打ち負かされ、闇が世界をおおい尽くそうとするでしょう。

わたしたちが気づき、理解すべきは、人間の本質は肉体ではなく神聖なる魂であるという真理です。真の敵は、一人ひとりの人間の心に忍び寄ろうとし、あるいは心の中にすでに巣食っている「the other side」です。アメリカでもなく、イランやイラクでもない、地球人類の霊的進化を止めようとする霊的抵抗勢力の結集したカルマ的な暗黒想念のエネルギー体だということです。

 

一方、太古の昔より今日にいたるまではるか彼方より地球界に働きかけ、人類の意識進化を助ける光明波動がそこからひろがってゆく中心の受け場となる存在があります。いうまでもなく、それはこの日の本の国(霊の元の国)にあるとわたしは考えています。

あちら側がいちばん困るのは、わたしたち自身が何ものにも依存せずにみずからが光の存在であることに目覚めてしまうことです。理不尽ともいえるほどの目に遭わされ苦境に立たされている理由もそこにあるといえます。

 

今回の「天皇とわたし」は、新年の幕開けにふさわしいテーマとなりました。

以下に、『しじまの彼方から』の第17章「皇尊の哀訴」から、そして 15章「個人魂の苦悩」の文章をとおして、大切と思われるメッセージを皆さんにシェアし、考えるヒントとしてくだされば幸いです。

 

 

 

 

当時の御用邸は関東大震災の折から本殿御座所が損壊し、仮屋の質素なたたずまいであったらしい。松林をわたる松籟(しょうらい)の声を友とし、街の灯もほとんどない夜空にちりばめられた星々の光をながめて毎日を過ごされていたことだろう。そんなイメージが彷彿としてくるにしたがい、白樹の胸にわびしさの心情がひたひたと浸水してくる感じがした。

そんなことを彼は澪に打ち明け、彼女もまた心に浮かんだことを彼とわかちあった。

そうこうするうちに夜も更けていったが、澪が眠気に耐えられなくなってきたので、そろそろ寝る準備をするね、と言ったのとほとんど同時に、異変をうったえた。

彼女のからだに久しぶりに霊がかかってきたのだった。相当に高いバイブレーションが来ているということは、白樹にさえわかった。

澪によると、肉体をもった経験のある、しかも彼女にとってはかつてない高貴な方の御霊であるということだ。

まず先に霊眼にビジョンが映しだされた。彼女が自分の見ている光景をその場で言葉にして彼に伝えてくれた。こういうケースも稀だった。

それは観艦式と射撃演習を物憂い目をしてご覧になっている天皇の御姿であった。しかもその場所はどうも相模湾のようである。つい先日、訪れた場所で見た光景とほとんど変わらないので、おそらくは葉山の御用邸かと思われる。

霊は怨霊のようにあたりの空気を立ち騒がせるでもなく、貴人らしい物静かな波動を流しながら、おごそかな口調で語りはじめたのだった。

白樹は澪の声帯をつうじてはじめて聞く天皇の御言葉を一言一句も聞き漏らすまいと真剣に耳をそばだてた。

 

― 我らが皇国の理想とするところは世界の国々がみな仲良くして、それぞれの国民が毎日の生業にいそしみ平安で豊かな気持ちで暮らせる地球にすることである。武力で脅して領土を侵し、他国の資源を奪い、経済市場を拡大しようとするのは天地の理に反しており、我らの道ではない。 

皇国のお役目は宇宙大生命の親である神明の心を正しく受けて、これを地上にうつしとってゆく手本を示すことを通して、この星を争いのない平和な星にしてゆくことでなくてはならない。……しかるに、少なくともわたしの在位中、いやそれどころかこれまでも日本はその本来の姿を現わしてはこなかった。……その責めは当然ながら天皇という立場上このわたしにもある。そして、いまなおこの国は……。

 

 そこで言葉が途切れた。しばらくは沈黙がつづいたかと思うと、すすり泣く声が漏れてきた。それは磯村が読んでくれた小説に登場する大正天皇とはまた異なる印象だった。

 同じ悲運の天皇というのでも、あちらのほうは日々のお暮らしぶりからうかがえる寂しさや茶目っ気のある、おやさしいお人柄の中にも憂悶がしのばれるといった、どちらかといえば、表面の肉体の意識に現れた部分であるのにたいし、貴人の霊はもっと深い、誰にも話せないで心の奥にしまいこんでいたような深甚な想いを披歴なされている。

それにこう言っては失礼であるが、生前よりも悟って立派な魂になっていらっしゃる感じがした。あちらの世界に行かれてからのご修業の賜物なのだろうか、それとも肉体を脱がれて本住の場所である神界に帰られ、もともとの玉座に御戻りになっただけだろうかと、白樹は思った。

 

― 天皇が天皇本来の役割を果たせていない時代に生を享け、天皇の位に就いたことがどんなにつらいことか。もちろんそれはいまに始まったことではない。欧米列強に開国を余儀なくされる以前から、いや武士の勢力が勃興し公武が分裂する以前から、本来、世界の平和の手本となるべき日の本の国はすでにスメラミコトによる宇宙の理にかなった治世の理想から遠くはずれてしまっていた。しかも、天皇は役割上、神の光を受ける中心であるとともに国民の業を引き受ける器でもある。国民の魂が浄まっていない分、その汚れを天皇がかぶることになるのは宇宙の摂理からして、逃れられない。その結果、魂は内外から光を遮断され、曇らされる。結局、わたしの肉体をとおして病気と現われ消えてゆく運命となったわけである。そして甚だ残念ではあるが、病弱な天皇との印象を当時の人々の胸に刻むことにもなったのだ。この哀しみをわかる者は残念ながら、わが側近にも臣下にもただの一人もおらぬ……そこを御身たち夫婦なら、少しはわかってくれるかと思うたのだ。同じスメラミコトの魂経験をもち、あるいはスメラのみたまをもつ者であれば……。

 

白樹は一瞬、息が止まり、耳を疑いそうになった。向こうの世界に行かれて、なにもかもおわかりであるのか。自分について、そんな尊大な想いをいだいてきたつもりはないのだが、ふしぎと違和感がない。ことにおどろいたことは、「天皇本来の役割」という御言葉を聞いたことだった。空耳ではあるまい。太古の昔に四条為近が信ずるようにミヒカリスメラミコトに降りた宇宙からの高い光が歴史を貫いて代々の天皇に受け継がれているのがもし真実なら、そこに人々の想いが結集し、ますます多くの人々が光を強く思いつづけることをとおして、ついには光輝く世界がこの地球上に完全に姿を現わす日もこよう。今のは、そうした神々の計画のことをよくご存知であるかのような言葉だった。

 

                                                                         (第17章『皇尊の哀訴』より)

 

 

 スメラの「ス」の言霊は「()べる」つまり統一を意味し、宇宙の中心でもあり、 一説に「ラ」は「留天(るあ)」。ミコトは「身固止」。天津親神の神性を体現し、隅々まで残らず澄まし、浄める尊き御方といった意味合いを含むようです。

 皇の字を分解すると、無色透明(私心なし)の「白」と、円満具足つまり調和し、欠如のない完全性を有した「玉(王)」になり、神界の法則自体を三次元界に降ろし顕現した姿となります。

ところで、この怪異な出来事が起きるよりも少し以前に、磯村(とおる)という元エリートのドロップアウト組で、この社会での生きづらさに苦悩する人物がはじめて大狼夫妻の家を訪ね、白樹が話し相手となり磯村の心をよくわかってあげて、本人もほっとして帰ったあとに友人四条為近と電話する場面があります。ここで大事なことが語られます。

 

 富山行きの提案がとりあえず白樹によって受け容れられたと見るや、四条は今度は話題を変えて、こう言った。

「磯村さんは自分の過去生が天皇だと主張しているでしょ。でも、そうでなくてもいいと、わたしは考えてるんですよ。天皇のみたまの可能性があるのでね」

「天皇のみたま……」

人類七十億人に例外なく神の分霊が注ぎ入れられている。その種類は男女三十五ずつの合計七十柱。それぞれに使命がある。なかでも天皇となる人間に入り使命を果たすみたまが天の規則で決まっているというのである。こうしたみたまの由来をまとめた自動書記による書物とともに、この話を伝えてくれたのが、四条為近だった。当時はまだ白樹も三十代前半と若かったから、一生におよぶ影響を受けた。それも彼がみずからのみたましらべをおこなうことなしには、ありえなかったろう。大正年間に始まり、現代を生きる人々にたいし、一人ひとりの依頼に応じて、その人のみたまが何であるのか()(にわ)をおこなうことを使命とする神社があると知って、さっそく自分自身のみたましらべを四条を介して申し込むことになった。わかったことは、彼に注ぎ入れられたみたまは、人類の「象徴みたま」とも呼ばれる天皇に入るみたまに準ずる、「次代の象徴」ともいわれ、万が一の場合に備えて生み出だされたみたまであり、天皇に代わることのできるみたまでもあるということだった。

それが意味するところは、人の鑑となれるよう、立派な人格をあらわし、人としての道を踏みはずさない。他の人々がその人の行いを見てそれを鏡とし、そこに映ってくる自分の心や言葉や行為を正してゆこうという気持ちにさせる。そういう使命である。

白樹はその時、生まれてはじめて天皇の本来のお役目というものが何であるのか、その本質と働きを理解できたと思った。そしてふしぎなことには、なぜかそのことが彼自身の魂を歓喜に打ち震わせ、人生に希望をあたえたばかりか、人類の未来に明るい光明を見た気がしたのだ。

(中略)

「すべての人類はもとは一つで、地球に神霊体で降り立った人類である()(ひかり)スメラミコトの末裔なんですよ」これが四条の持論であり、例の古文書について、彼がかつて天皇家から預けられて土中に秘蔵され、迫害を逃れて伝えられてきたものを何とか現在の皇室にお返ししなくてはと、日頃から熱心に話しているのも、そうした信念からだった。その点、白樹は違った。天皇に大切なものを奉還すること以上に大切なのは、国民の魂の目覚めであると彼が信ずるのは、みたましらべとのご縁をつうじ、天皇の本質とその天命がどんなものなのかを知って、自分事として捉えることができたことが大きかった。

大震災と津波の起きた年に被災地を慰問された天皇皇后両陛下が人々の前に身を低くして声をかけられ、犠牲者のみたまに献花される御姿を目にして感銘を受けたことは、かねてから白樹がいだいていた想いをいっそう深めるきっかけにもなった。

その後、澪と参加した皇居勤労奉仕のお会釈の場面で、生まれてはじめて天皇陛下に直々にお会いする機会にめぐまれる経験をつうじて、彼らは何とも表現しようのないものを受け取ったのだった。

人間はここまで私心をなくし空となれるのか。しかも、そのとき彼らの魂に届いたのは、しきたりや定められた儀式のお勤めの中ではなく、両陛下の自由意志から為される自然な行為をとおして伝わる生き生きとしたものにほかならなかった。まさに個別意識をもつ意識魂が肉体の主人となり、おこなわれたのだ。この得難い経験が、人間が意識魂を発達させてゆけば、やがて自我は太陽ロゴスの愛に浸透された霊我を注ぎこまれて愛そのものとなる……といったイメージをもつ助けとなってくれたのだった。

(こういう人ばかりとなってゆけば、地上は光に満ちてくることになろう!)白樹は彼自身のなかにもあるはずの人間の潜在性である内部神性を完全に外に現わした御姿に触れたと思った。

自分も天皇のように人々のお手本となり、鑑となれる生き方をしたい。

神が天皇の御心、御振舞いをとおして、随神(かんながら)の道に生きる人の手本を示してくださっている以上、塵ひとつない鏡面の心となり、神の御心をそのまま映す自分になるのだ。そんなふうになれるわけがないではないか。そういう否定的な想いもよぎりながら、しかしそれでも、人類全員がそうあらねばならない、と信じ、ならばまず自分自身から、と決意する白樹であった。

                                            

                                          (第15章『個人魂の苦悩』より)

 

 

 

ここでふたたび高貴な霊人との対話のシーンにもどることにいたします。

左翼とか右翼とかといったイデオロギーにとらわれぬ自由な眼で、しかも近現代のみを観るのではなく、何千何万年あるいは何十億年とさかのぼる地球の修理固成の時代まで視野をひろげて観てみたらどうなるか。自明と思っていたことも自明ではなく、その深淵を開示してくれるかもしれません。

 

 

いまだその本質を顕現することのかなわない天子の孤独感と哀しみが澪をつうじてやってきて、たちまちにして白樹をすっぽりとつつんだ。彼は心を神の光のほうに向け、この御霊にどうかたくさんの光が降り注ぎますようにとひたすら祈りながら、相手の話にたいし熱心に耳を傾けていた。

 

 

― だが、天皇の本来の姿と日本の国の天命がいまだ現れてこない時代にたまりにたまった業が国民の運命と現れて阿鼻叫喚の地獄の様相を呈するのを見せられることになるのは、肉体を去ってからのことであった。

かくてわたしは肉体界での尊い経験を通じて、天と地をしっかりとつなぐ役目があることへの自覚を深め、そのために中心軸を絶対にブレさせないことの大切さを再認識させられた。スメラミコトには、宇宙の最高次元にあって法則そのものの宇宙神より地上界に降り注ぐ光を受けてこれをあまねく全人類にひろめる天命がある。この任務はスメラミコト一人の独力でやりおおせられるものではない。国民全員の祈りが必須となる。各人が自分の事ばかりを想っている世を終わりにして、そうした諸々の想いも世界の平和と地球人類、いのちあるものすべての救われを求める大きな祈りのなかに入れ、人々の心を結集してゆくしかないことを向こうの世界で悟らされたのだ。

 

 白樹は澪を依り代として降りた天皇の御霊からのメッセージによって、確信させられたことがあった。たったいま、ここに降りて来られた方が自らの存在の本質と本来のお役目を正しく認識されていることからすれば、この方は地球開闢以来、進化せる他の天体から()の文書に見る(かみ)星人(ほしひと)として降臨し、この星の進化のために働く天命をおびた尊き御方々の末裔の一人として肉宮に入った御霊なのかもしれなかった。

「同じ魂の経験をもつ御身らであれば、この哀しみはわかってもらえるであろう」と、ついさっき霊人から言われたことを白樹は再び思い返していた。

                                                                                

                                                                           (第17章『皇尊の哀訴』より)

 

 

わたしたちは何者なのか。なぜ今の地球の日本に生まれてきているのか。

 

氾濫する情報をよそに、ここに一個の魂たるスメラミコトが生の声により訴えかける言霊をとおして、どんなに数奇に見えようとも、みずから思考し、高い世界に到達した者だけがもてる愛と責任意識が伝わってきませんか。

 

夜の松林を鳴らして吹くかすれ声のような風のまにまにあなたは何を聞くでしょうか。