こんにちは

 

今日は流産の手術のことを振り返って書きたいと思います。

暗い内容ですので、無理そうな方はリターンくださいお願い

 

 

流産宣言を受けてからというもの、私は自暴自棄になり

今まで我慢していたコーヒーや生もの(お寿司とか…)食べ漁っていました。

悪阻中は全く受け付けなかったごはんが美味しくておにぎり

 

 

前回流産と診断されて、掻爬(そうは)手術という胎児を取り除く手術を行うことを先生から提案されました。

調べてみると、流産手術には吸引法と掻爬法があるようです。

吸引法は筒で胎児を吸い取る、掻爬法は器具で胎児を掻き出す、という違いがあり…

掻爬法は医者の技量によりけりで子宮を傷つけやすく、

吸引法の方が母体へのダメージが少なくWHOも推奨している。掻爬法は時代遅れだ、とか書いてあってとても不安でした真顔

吸引法を実施している施設は日本ではとても少ないみたいですね、なぜでしょう…

 

手術しないで自然排出を待つこともあるようですが、出血や感染症などのリスクはあるようです。

なにより仕事をしていていつ出てくるかわからない状況はずっと不安ガーン

 

 

手術でも子宮に穴が開いてしまう、最悪妊娠できなくなってしまう…などリスクはあるようですが(手術の同意書によると)、極めて稀なケースだとは聞きました。

 

「ここのクリニックの先生はスキルがあるし、ほかのクリニックと違って余計に子宮内膜を削らず細心の注意を払って、今後あなたが妊娠できるようにと考えて手術をしてくれるよ。だからまた妊娠できるよ」と看護師さんが不安を取り除いてくれました。

 


手術を受ける日まで、前回の心拍停止の診断が誤診で、実は赤ちゃんが生きているんじゃないかな…という僅かな希望を持って過ごしていました。

今の技術が発展した世の中でそんなことは有り得ないってわかっていたんですけどねショボーン

 

 

 

 

手術当日、病院には朝一で来院し、9時頃に内診を受けました。

赤ちゃんは前回と比べて縮んでいて(19㎜→12㎜かな)、生きていないのがはっきりわかりました。

 

「手術決定です」と電話連絡を先生が入れて、

その瞬間から涙をこらえることができなくなり…

 

 

私が最後に見た赤ちゃんは、へその緒で私と繋がっている、胎嚢の中を漂っているぼんやりとした姿で、

生きたいと思っていただろうに…と、とても不憫に思いました。

 

 

 

内診時には膣を広げる膣錠も入れられましたが、我慢できるレベルの痛さでした…移植時に子宮を消毒されるくらいの痛さかな?

 

 

 

内診後2時間くらいまでベッドで横になり、

手術開始30分前に痛み止めの座薬を自分で入れて、それから手術室に呼ばれました。

 

 

採卵室と同じ部屋で、モニターなどに映す事もなく手術は行われました。

正直何が行われているか見えないのでわからなかったのですが、器具を子宮に入れられてグリグリ搔き出されていたのだと予想します滝汗

 

採卵より痛くない~とか聞いていたのですが、今までの治療で一番に感じるくらい、私にはめちゃくちゃ痛かったです…

「痛い」とずっと叫んでしまいましたオエー

当たり前ですけど「我慢してください」としか言われなかったです…

 

手術自体は10分くらいだったと思います。

 

 

終わった後はベッドまで車椅子で運ばれ、抗生物質と子宮収縮の点滴をされました。

最初の15分くらいは生理痛の酷い時の激痛がして、本当に苦しかったです。

ベッドでうずくまって体制を変えながら何とか痛みが引くのを待ちました。

 

 

お昼過ぎくらいまで休んで、

フラフラになりながら止血に使ったガーゼを自分で抜きましたが、その時もヒリヒリして痛かったです。

 

その後また内診を受けて、

「血が溜まっているので出血がしばらく続くと思われます」と言われました。

2週間くらいは経過を見る必要があると。

 

 

不妊治療を再開するにも、最低でも次の生理が来るまでの1ヵ月は待たないといけない。という話で、急ぐ気持ちにストップがかけられてしまいました…

 

 

 

 

5日間/毎日3回分、抗生物質と広がってしまった子宮を元に戻す薬を処方されます。

 

お会計は手術も含めて¥15,000くらい。

 

流産絨毛染色体検査もお願いすることにしましたが、別途後日支払いになります。

 

 

 

こうして、私の赤ちゃんとの初めての出会いは1ヶ月くらい、あっという間に終わってしまいました。

 

妊娠している間は悪阻で苦しく、出産への不安と早く苦しみから解放されたいな、と思ったことも正直ありましたが、

赤ちゃんに会うことの楽しみと、今まで感じたことのない幸せで毎日が溢れていて、本当にかけがえのない日々でした虹

そういった意味で、そんな非日常を経験させてくれた、いなくなってしまったこの子に感謝しています。