NISAを始めたとき、私は「これで安心できる」と思っていました。
口座をつくり、少額を積み立て、
SNSで「やらないと損」と言われていた言葉をそのまま信じて──
私は、その通りに動いた。
でも、ある夜、ふと目が覚めたんです。
理由もないのに、胸の奥がざわついていました。
それは、始めたばかりのはずの投資に、なぜか不安を感じている自分。
「あれ? 安心したはずなのに、なんでこんなに不安なんだろう」
そのとき、私は思い出しました。
NISAをやると決めたきっかけは、全部「誰かの言葉」だったということ。
「安心」
「将来のため」
「みんなやってる」
どれも、私の中から出た言葉じゃなかった。
そして、ある問いが頭をよぎりました。
私は、“考えること”から逃げていたんじゃないか?
投資を調べるのは、正直しんどかった。
制度の比較、リスクの違い、将来の設計──
全部、ちゃんと考えようとしたら、ものすごくエネルギーがいる。
その「めんどくささ」を、私は「安心」という言葉でフタをしていたんです。
「安心したい」
それは本当の願いだった。
でもその安心が、“思考を手放す理由”になっていたと気づいたとき、
私は少し怖くなりました。
誰かの言葉をそのまま信じる。
やることだけ真似して、背景は見ようとしない。
それってつまり、
“私に責任を持たせていない”ということだったんです。
私はそこから、少しずつ問いを立て直しました。
・私はなぜ、それをやっているのか?
・本当に、今の私に必要なのか?
・この行動に、私自身の意志はあるか?
そして出てきたのが、「私育(し・いく)」という考え方。
投資より先に、私を育てる。
思考よりも数字を優先するのではなく、
数字に向き合うための“思考する体力”を、まず自分に取り戻す。
「安心したい」という願いそのものは、悪くない。
でも、“誰かの言葉で安心させてもらう”のではなく、
“自分で問い、考え、納得する”という道を選ぶ。
これが、今の私にとっての「本当の安心」です。
あなたが今、やっていること。
それは、自分の言葉で選んだことですか?
▶︎「制度より意思。投資より、私を育てる。」
そんな選択肢に、私は救われました。