「大丈夫」
「これさえやっておけば安心」
「何も心配いらない」

 

──そんな言葉、耳にしたことありませんか?

私はあります。
そして、どこかでいつも違和感を抱えていました。

 

「本当に“何も考えなくていい”なんて、あるのかな?」と。

 

 

人は、考えることから逃げたくなる生き物です。

迷いたくない。
失敗したくない。
責任を負いたくない。

だから、“答えをくれる人”の言葉にすがりたくなる。
“正解っぽい空気”に身を預けたくなる。

 

 

でも私は思うんです。

安心とは、「考えなくていい状態」ではなく、
「自分で考え抜いたうえで、納得して選べる状態」のことだと。

 

 

どんなに「安心」と言われても、
どんなに「これが正解」と言われても──

それを自分の頭で問えないうちは、誰かの人形でしかない。

 

 

私自身、かつてはそうでした。

「みんなやってるから」
「有名な人が言ってたから」
「失敗したくないから、言われた通りにやる」

でも、それじゃ物足りなくなるんです。

やがて心のどこかでこう叫び出す。

「それ、本当に私の人生なの?」って。

 

 

思考停止は、確かにラクです。
でも、“ラク”の先には、空虚しかなかった。

だから私は選び直しました。

「自分で問い、自分で選ぶ人生を生きる」
それが、“私育(し・いく)”という選択です。

 

 

安心という言葉に隠れて、思考を手放すのではなく。

意思を持って感じ、意図を持って情報に向き合う。

それが、ほんとうの意味で「自分を育てる」ということだと思うんです。

 

 

あなたの中にも、きっともう、違和感はあるはず。
誰かの言葉を“信じたい”自分と、
“疑いたい”自分が、静かに葛藤しているはず。

その違和感こそが、あなたの意志です。

 

 

▶︎「制度より意思。投資より、私を育てる。」
そんな問い直しのきっかけになるかもしれません。