富岡製糸工場に行きました。
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草津温泉の帰りに富岡の製糸工場の見学に行きました。
市の駐車場から、歩いて200メートル。
段々近づいてくると、その建物の大きさがわかります。
ちょうど後から団体さんが着きました。
団体さんには、説明の係りの方が付きます。
団体さんに混じって説明を受けながら工場見学をすることに
しました。
工場といっても、今は操業してはいません。
その説明をうろ覚えに、書き留めると、
明治政府は、開国したものの、世界に輸出する商品が生糸や、絹織物
で大半をしめたそうです。
ところが、その商品は、個人の内職のような
製品しかなかったため、どうしても官製の工場が必要になったらしい
のです。
設計は明治3年、明治4年に建て始め、明治5年竣工。
フランスから、設計,技師、専門の女工さんを呼んだとのことです。
女工さんの写真がありました、19歳から23歳までの4人の女性達で
す。
工場の規模に驚きです。
倉庫が2棟。いずれも横幅20m、長さ100mです。
生糸を繭玉から取る工場は、同じ位の横幅に長さが140mです。
当時は、電気がなかったため、ガラス窓が、多く使われています。
杉の柱にレンガが組み込まれています。1891年竣工ですから、
117年も経っています。内部は、いまでもがっしりです。
昭和64年まで操業していたそうです。
フランスから来た女工さんたちは、1年足らずでみんなストレス性の
病気になって帰国したようです。
その後、日本全国の県から集められた
女性達が全国に散らばり、各地の製糸工場の女工さんたちの草分けに
なったようです。
野麦峠の女工哀史は、はるかあとの大正
の時代の話だそうです。
建物を見ると、明治の人達の気骨をみるようです。