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何かを残そうと思ったのはとても久しぶりで、
最近はそんな気力もなく横になっていることが多い。
まだ諦めない、必ず突破口はある。
そう思えていたのはいつまでだったか。
周りの環境のせいにしたり、自分の弱さに嘆いてみたり
不安定でしょうがないよ。と
そう言いながらも実のところは諦めていなかったのだと
振り返るとそう思う。
頭も心もフルに動かしていた。
考えること、悩むことをやめなかった。
今は考えることをやめてしまった。
どうしようかと悩みを持つことはほとんどなくなってしまった。
ただひたすら不安はあるのに、
「こんな私には出来なくても仕方ない」
「現状変えられるものなら変えたいけど・・・無理だろう、諦めよう」
そう思ってばかり。
一年前までは何もなかった腕には刃物でつけた傷があり、
自分を傷つける人の心境はわからないと言っていた自分が嘘のよう。
心が傷付くことに耐えられなくて体を傷つけてしまった。
幸い、傷を見て叱ってくれる母がいるから今は我慢しているけれど・・・
昔より傷付くことに臆病になってしまった。
限界を感じてしまった。
鬱病が酷くなったと言えばそれもそうだけれども、
その一言で終わりにしてしまっていいのか、
自分でもよくわからない。
とにかく今は少しでも心が豊かになれたら嬉しい。
・・・何を書きたいのかよくわからなくなった。
ブログを書くのが物凄く久しぶりです。
このブログとはなんだかんだで数年の付き合いで、愛着たっぷりなので消すことができません。
さて、私も着々と年を重ねています。
小学生の頃なんて一年が長く感じたのに、
今はなぜこんなにもあっという間に一年が過ぎてしまうのだろう。
一時間は昔からそこそこ長く感じる
一日もまだまあまあ長く感じる、かな
一週間は気付いたら過ぎている
一ヶ月は気付かぬうちに過ぎていて
一年は早すぎる
出来事は沢山あったはずなのにね。
今ふと思ったこと。
「先のことを考えるのって本当に無駄。」
改めてこんなことを思ったきっかけは本当にささいなことで。
その前に、
先を想像して意味のあることならば、考えることに大いに意味はある
明日必要であろう持ち物を用意するだとか、
もし突然病気や怪我になってしまった時のために、家計簿をつけて貯金をするだとか
意味のある「先を考える」には、大抵
その想像によって必要な「行動」がうまれる。
例えネガティブな入りで想像し始まっても、
「対処」という「行動」が思いつくことでポジティブな結果になる。
よく私を悩ませてくれる、答えの出ない「先を考える」こと。
これは本当に意味がないことなのだと、
この数年の間に大分学んだ。
ブログに書いておこうと思ったきっかけとなった些細な出来事。
私はエヴァンゲリオンが好きで、新劇場版ももちろん見に行っているのだけれど
続き物の映画なので、次回の映画が放映されるまで考察や想像をするわけで。
考察サイトなども見ながら、今回の映画からのヒントやフラグを拾って
次回はこうなるんじゃないか?とか、これはこういった意味があるのでは?
と、ごちゃごちゃ考える。
でも実際に放映開始され観てみると、まるで想像と違う
あの考察、ただの深読みだったな(笑) って笑ってしまう。
それはそうだ。
誰も他人が考えていることを読み取ることなんて出来ないのだから。
それに人の考えは日々コロコロと変わっていく。
それを読もうとするなんて、当然できない。
あんなに長々と考えていたのに、
なーんだ、やられた(笑)
って力が抜けてしまう。
でもこれは良いんだ。
ネガティブじゃないから。
考察、想像している時間を楽しんでいるから。
例え予想がはずれても笑って済むこと。
だけど私が悩まされる「先を考える」は
時間を無駄に裂いて、酷く気疲れしてしまう。
そして当然想像と違う未来が待っている。
その時笑って済むのではなく、また気疲れしてしまう。
なんであんなに自分を不安にさせたのだろう、と
悩まされるネガティブな「先を考える」も、
次回に興味を持って行う「先を考える」も、
どちらも「答えは出ない」
ただの深読みでしかない。
他人の頭の中は見えない。
明日のことなんて当然わからない。
これがわかっただけでも、数年前よりは生きやすくなったはずなんだ。
無駄なことはなるべく考えない。
先のことも過去のことも。
だからと言って、根っからネガティブな私は
そう簡単に変われるわけではないのだろうけど、
学んだことは無駄ではない。
ただ、最近思うこと。
今生きている私が、明日のこの時間に生きているかはわからない。
とても極端な考えだけど
ずっとこの苦しみが続くのかと嘆くけど
あとどのくらい生きられるのかはわからないんだ。
それなら苦しみ悲しむことはやめよう。
毎日が楽しいと思える程は望まないけど、
悲しむくらいなら「無」になろうと。
好きな音楽を聴いて、好きな本を読んで、ゴロゴロと布団の上で転がってみたり
充実しているとは言えないし、言われないけれど
こうして「無」でいることが最近の私の特効薬。
