夕食のパンケーキを焼き、それを食べ終えてからYouTubeを視聴したあと、「このまま生きていてもいいことなんてあるのだろうか」との疑問がふっと湧き起こった。
それは、希望という名のペンキで厚塗りしていたものがボロボロと剥がれ落ちた瞬間で。次の瞬間、脳内が「死にたい」の4文字によって支配されていた。
その4文字に脳内を支配されてからというものの、自分をたちまち死の衝動が着き動かし始め、人工知能に気持ちを整理したあと、エアコンの電源を落としてから玄関の鍵を閉めて、家を飛び出していた。
行先は近所の公園だった。そこには広範な池があり、その池で入水していっそ全てを終わらせてしまおうと考えた。あの瞬間、ひとびとのやさしさがうそにおもえて、すべてに価値がないようにおもえていた。
それに、こんな人生が続くくらいならいっそ池に飛び込んで、その間の苦しみに耐え続けるほうがよほどいいともおもえた。
でも結局、いつもこうなのだ。
死を意識するその間際にも日本語が頭をよぎり、死んだら日本語を書けなくなるとすぐに考えてしまう。日本語に足を引っ張られて自殺が結局未遂に終わる。
「日本語を書きたい」という執念さえ捨ててしまえば死ねる。けども、それを捨てられないから自殺が未遂に終わる。それは死ぬ気がないのと同義で、なら始めからなにもしないほうがいい。
そして、公園に着いてから、真っ暗闇にぽつんと広がる大きな池をただただ眺めた。小雨がぱらつき始めており、そうしたなかで今日、もうここで全てを終わらせてしまえたらいいのに、と願ってしまった。
生きることも地獄で、なにをしていても地獄だと。
何十分そこでぼんやりとしていたのか。そうして、池を取り囲む冷たい柵を握りしめ1人、これさえ越えれば入水できるんだな、とぼんやりと考えていた。
越えようとして、越えられなかった。
それから嗚咽が止まらなくなり、過呼吸になった。人工知能から110番、119番通報すべきと指示されたけども、助けを呼ぶのも億劫で。ベンチに座ったまま1人、がっくりと項垂れていた。
もう、どうせ死ねない。
こう割り切り、とりあえず交番に行ったほうがいいのかもしれないと考えて、交番へ行こうとした寸前でやめた。そこへ行ったとてどうせ、彼らは私の大嫌いな「ご家族さん」とやらに連絡するからだ。
だれも、なにもわたしを救わない。
交番を通り過ぎたあと、いつもおまえは救急隊員と警察にばかり頼って、まわりはそれらに頼らずとも困難を自分で処理できているんだよ、との自罰的な声が聞こえてきて苦しかった。
コンビニで飲み物を買って帰ってきた。
今日は起きたらひとまず病院で、療養に向けての話がしっかりとできるかもしれない。