”無能を装うのも芸の内、ではあるが、さて、この方の場合は如何” | 司法制度改革フルコース人生のブログ

”無能を装うのも芸の内、ではあるが、さて、この方の場合は如何”

山本一太さんの「気分はいつも直滑降」を読みました。
山本一太さんは、伊達議長が参議院選挙制度改正について仕事をしなかったことを批判していますが、
「伊達議長が無能だ」とは一言も書いていません。
問題は、伊達議長が今回の選挙制度改正でどんな仕事をすべきだったかであり、
伊達議長が有能か無能か、爪を隠しているのか爪がないのかではありません。
伊達議長が無能を装っているかどうかなんて、

比例特定枠導入や議員定数増加となんの関係もないし、どうでもいいんです。


早川先生は、
>山本一太氏の書いたものを読めば、この人が如何にも無能なように見えるだろうが、
>政治家の場合は無能を装うことに長けた優れた政治家がいないわけではないから、
>私は山本一太氏の言説を鵜呑みにはしない。
と書いて伊達議長が無能を装っているかどうかに論点をすり替えようとしています。
伊達議長が仕事をしなかったことから問題をそらそうとしています。

そもそもこの文は論理的なように見せかけているけど非論理的です。
>山本一太氏の書いたものを読めば、この人が如何にも無能なように見えるだろうが、
(これは早川先生の感想 早川先生が読むと伊達議長が無能なように見えるというだけ)
>政治家の場合は無能を装うことに長けた優れた政治家がいないわけではないから、
(無能に見える政治家は必ずしも無能とは限らないという事実)
>私は山本一太氏の言説を鵜呑みにはしない
(ここがインチキ 山本一太氏は伊達議長が無能だという言説はしていない
 伊達議長=無能とは限らないということと、山本一太氏の言説の正当不当には何の関係もない)

早川先生得意のごまかしのテクニックです。引っかかる人はいないようで良かったです。