憲法答案の書き方 | 太郎の弁護士ブログ

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大阪の弁護士です(68期)
平成26年度司法試験の再現答案掲載(二桁順位)
受験生のための記事を書いていましたが、途中から日々の雑感ブログになりました。
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憲法答案の書き方について、メールで頂いたご質問にお答えします。

【ご質問】

勉強はそこそこしていると思いますが、答案の型がなかなか身に付きません。問題を見ると、何を論じるのかなんとなくわかっても、どのような順序で、どう書いたらよいのか、現場で考え始めてしまうのです。人権パターンに当てはめるようにもしてみましたが、型に当てはめようと意識するあまり、なんとなく、答案が堅苦しいといいますか、のびのびと書けません。どのようにして、型を身に着けましたか。



1.はじめに
 まず、お断りしておきますが、憲法は僕がもっとも苦手とする科目でした。
 合格を知った時、真っ先に思ったことが「もう・・・憲法の試験勉強しなくていいんだ・・・」でした(笑)
 とくに答案の型については、とても悩みましたし苦しみました。

 「どのようにして型を身に着けたか」というご質問については、上位再現答案をひたすら見ていました。過去問を解いて、上位再現答案を見て、自分の型をより最適化していく作業を繰り返しました。
 これを繰り返すうちに、なんとか自分なりの形を手に入れた気はしていますので、それをご紹介します。あくまでも一例ということですが。

※憲法の勉強法については、後日書こうと思っていますが、とりあえず、伊藤健先生のブログの、【連載】憲法の流儀がとても素晴らしいので、ご紹介しておきます。このブログと、伊藤健先生のUSTREAMでの講義に出会わなければ、司法試験合格はなかったものだと思っているくらいに、とても参考になりました。現在は有料での講師業をなさっているため、連載はストップしていますが、公開済みの分だけでもとても勉強になりますので、未見の方は、是非一度見ることをお勧めします


2.設問形式の扱い方
 憲法は、設問1で原告の主張。設問2で被告の反論および私見という特殊な問題形式です。これには僕もかなり悩まされました。
 以下は、僕の考えです。

以前、法的三段論法についての記事を書きましたが、そのさい、法的三段論法は純粋な三段論法とは異なり、価値判断と評価を含んだものだと言いました。
これは、同じ材料(事実等)からでも異なる結論を導き出すことが可能であるということを意味します。
つまり、純粋な三段論法であれば、同じ材料(事実等)からは必ず同じ結論が導かれるはずです。しかし、法的三段論法では、法解釈と事実の評価という、価値判断・評価が紛れ込みますので、同じ材料からでも異なる結論を導くことができます。そして、異なる結論の優劣を決するのは「どちらの議論がより説得的か」ということです。

より具体的にいうのであれば、条文の文言と、与えられた事実と、既存の判例の文言は、変えることができません。たった一つの真実です。
しかし、条文の文言の解釈と、事実の評価と、判例の文言の解釈と射程は、価値判断・評価によって、幾通りもありえますし、どれも一定の説得力があれば「正解」なのです。
ですので、判例の文言に反するような主張は原則として「間違い」です(原告にあえて判例と違うトンチンカンな主張をさせて、被告や私見でこれを否定するような答案の構成の仕方はダメだということです。もちろん、判例を示したうえで判例批判をして異なる解釈をとることはありえます。しかし、よほど説得的な論証をする必要があるので、難しいと思います)。
そこで、この価値判断と評価の部分こそが、被告の反論と私見で論じる部分になります。

イメージとしては、原告の主張では、まず原告に有利な一本筋を描いてあげるわけです。議論を進める上で、評価・価値判断の分かれ道に出会います。そして、それぞれの分かれ道で、原告に有利な道を選んで進んでいくことになります。
それに対して、被告は、「あそこの分かれ道で原告は右に進んだけれど、本当は左に進むべきなのだ!」と主張することになります。そして、それに対して、私見では、右か左のどちらがよいのか、あるいはまったく別の道を進むのかについて判断するということになります。

※くどいようですが、いくら原告または被告に有利でも、判例の文言に反する道は選ぶべきではありません。また、判例がない場合でも、基本的には通説に乗っかった議論を展開するべきです。憲法は条文の文言が抽象的な分、学説の議論の積み重ねが重要なものとなります。ですので、法解釈の部分で、オリジナルの議論を展開するのではなく、あくまでも通説を前提に議論をするほうがよいと思われます。もっとも、事実の評価は説得的であればオリジナルの議論でも構わないと思います


3.原告の主張の仕方
原告が使う枠組みは、人権処理パターンでもなんでもいいと思います。大切なことは、①問題となっている原告の利益の摘示②その利益が憲法上の権利の保障を受けることの指摘③その利益に対して制約が加えられていることの指摘④制約があっても公共の福祉に基づく合理的な制約は許されることを示す⑤合理的な制約かを判断する基準としていかなる基準(違憲審査基準)を用いるかを論じる⑥基準にあてはめるという一連の流れができていることです。
(もっとも、生存権や政教分離など、これに必ずしもあてはまらないものもあります。僕はそこらへんの枠組みは完成しないままに司法試験に突入したので、よく分かりません)

あと、注意事項としては、空中戦にならないように注意して下さい(これについて詳しくはまたの機会に書きます)

4.被告の反論と私見
 被告の反論では、分かれ道の指摘と、進むべき道の結論を示せば足りると思っています。「なぜ被告がその道に進むのか」という理由については私見の中で論じれば足りると考えています(本当は被告の主張の中で書くべきなのでしょうが、時間と紙面の制約上の戦略です)。
 イメージとしては、被告の反論は議論の見出しの項目立てにすぎないという感じです。被告の反論はちょろっとかいて、あとは私見で頑張っていました。

分かれ道について、代表的なものを挙げれば、次のようになります。

①保護範囲
 →問題となっている利益が、憲法上の権利として保障を受けるか
②制約の有無・程度
 →憲法上の権利として保障される利益が、制約を受けているか。及びその程度。
③正当化
 →違憲審査基準をどのように考えるか
④違憲審査基準へのあてはめ
 →事実の評価が特に問題となる
   ※【注意】事実の評価は、あてはめでだけではなく他の部分(①~③)でも問題となり     えます


そして、これらすべてを挙げる必要はありません。最も重要な争点となり得る部分を挙げるのです(そして、原告の主張の場面でも、最も重要な争点となりそうな部分をあらかじめ厚く論じておくべきです)。そして、被告の反論が私見で否定された場合には、(もしあるのなら)次の段階の反論を持ち出してくることになります。一方で、一度被告の反論が私見で認められれば、ルートが変わっているので、次の段階の反論については私見のなかで論じていけば足りると僕は考えています(これも望ましい姿としては「被告は△△△と反論する」といったふうに項目立てて摘示すべきなのでしょうが、時間・紙幅の制約との関係での戦略です)。


5.具体的な被告の反論・私見の書き方


例えば、原告の主張に対して、③違憲審査基準と④あてはめ部分の事実の評価の点で、被告として争う余地がありそうだと判断したとします。
そして、私見としては③違憲審査基準は被告の反論を認めないという判断をするとします。すると、答案としては以下のようになります。

(1)被告は、本件では、違憲審査基準はより緩やかに、合理的な関連性の基準で足りると反論する。
 私見は以下の通りである。
 確かに、本件では、〇〇〇であり、緩やかな基準が妥当するようにも思える。
 しかし、△△△であることから、原告の主張する基準(あるいは原告と被告の中間の基準)を用いるべきである。 
(2)被告は、本件では、□□□であり、実質的な関連性が認められると反論する。
 私見は以下の通りである。
 ・・・


 ○○○が、被告の反論の理由付の部分ですね。
 △△△の部分については、原告の主張をそのままなぞってはいけないと思います。
私見では、原告の主張と被告の主張の優劣を決する場です(あるいは、全くの別のより説得的な道筋を提示する場です)。ですので、原告と同じ結論だとしても、被告の反論を踏まえたうえで、ダメ押しをしてあげる必要があるのです。



次に、③違憲審査基準について、被告の反論が認められる場合は次のようになります。

(1)被告は、本件では、違憲審査基準はより緩やかに、合理的な関連性の基準で足りると反論する。
 私見は以下のとおりである。
 本件では、確かに△△△であると考えることもできそうだが、〇〇〇であることから、被告の反論が認められる。そこで合理的な関連性の基準を用いて判断するべきである。具体的には目的が正当で、手段との間に合理性があればよい。
 本件では、A事実については、□□□であるようにも考えることができそうである。しかし、×××であることから、合理的な関連性は認められない。


〇〇〇の部分が、被告の反論の理由付です。△△△では原告の主張を考慮しています。
(仮に、私見で、原告・被告と異なる第三の道を進む場合には、〇〇〇と△△△を否定したうえで、新しい道を示すことになります)

そして、④あてはめ部分の事実の評価の反論については、□□□のなかで考慮します。
なぜ、新しく項目立てしないのかというと、被告の反論通りに審査基準が緩やかになったことから、より厳しい基準を前提にした原告の主張に対してそのまま反論をしても、議論がうまくかみ合わないと思ったからです。
 あと、上述のように、時間・紙幅の制約上の戦略でもあります。
 そこで、僕は割り切って、私見のなかで、事実の評価を争わせることにしていました。

以上が、僕の答案の型のベースです。他にも多くのパターンが考えられると思いますが、基本はこんな感じで書いていました。


蛇足ですが、答案の型を作るためには、法令違憲と適用違憲の違いをしっかりと理解しておく必要があります。

6.僕の再現答案を見てみる

(この第6章は、あまり出来がよくない記事だと思う上に、読むのに時間がかかるでしょうから、暇な人だけ読んでくれればいいと思います。)


さらなる具体例として、僕の今年の再現答案を見てみましょう。4条1号の部分についてだけ見てみます。内容は強引でよろしくない答案だと思っていますが、あくまで型の参考というつもりで見てください。



【原告の主張】
1.4条1号が「電気自動車」を許可要件としていることの違憲性
(1)憲法22条1項は、職業選択の自由を保障している。そして、選択した職業を遂行する自由たる営業の自由が保障されなければ、かかる職業選択の自由の保障の意味がなくなることから、22条1項は、営業の自由をも保障しているものと考えられる。
 C社がタクシー運行業務をする自由も、営業の自由として保障される。
(2)本件条例4条1号は、自然保護地域でのタクシー運行業務について、許可条件として電気自動車であることを求めている。これは、上記C社のタクシー運行業務の自由を制約するものである。もっとも、公共の福祉(22条1項)に基づく制約は許される。では、違憲審査基準はどのように考えるべきか。
 経済的自由権は、精神的自由権に比べて、裁判所の審査能力が乏しいこと、及び民主政の過程での回復が可能であることから、より緩やかな基準でよい。しかし、4条1号の規制目的は、自然保護目的と解されるところ、環境破壊は国民の生命・身体に危害を与えるものゆえ防止する必要があり、これはいわゆる消極目的規制である。消極目的規制は、具体的な危害の発生を前提とするため、裁判所の審査になじみやすい。また、本件の許可制は自然保護地域でのタクシー業務の遂行ができなくなるという、厳しい規制である。そこで、目的が重要で、手段が目的と実質的関連性を有する制約のみが許される。
(3)本件では、確かに自然保護という目的自体は重要である。しかし、電気自動車に限定する必要はなく、排出ガスの量が少ないハイブリット車でも自然保護には寄与するのであり、自然保護目的と、電気自動車に限定するという手段との間に実質的関連性は認められない。また、4条1号が電気自動車に限定しているのは、実質的には自然保護に名を借りたD社の利益保持が目的であり、これは重要な目的とは言えない。

【被告の反論及び私見】
1.4条1号の違憲性
被告は、自然保護目的については緩やかな基準が妥当すると反論する。
 私見は、以下のとおりである。
 自然保護目的は、確かに究極的には国民の生命・身体を保護するためのものであるが、環境破壊はその影響が明らかではなく、高度の専門的・技術的判断を要する。そのため、裁判所の審査になじむとは言いがたく、緩やかな基準で判断するべきである。具体的には目的が正当で、手段との間に合理性があればよい。
 本件では、自然保護という目的は正当である。そして、確かにハイブリッド車であっても、自然保護に寄与するのであるが、ガスの排出自体はあり、環境に与える影響は皆無ではない。そのため、自然保護目的のために、ハイブリッド車を認めず、電気自動車に限定することも、目的との間に合理的な関連性があると言える。また、D社の利益保持という目的があったとしても、自然保護目的がある以上、これと合理的関連性が認められれば足りる。
 よって、4条1号は合憲である。




これに赤字で注釈を入れていきます。

【原告の主張】
1.4条1号が「電気自動車」を許可要件としていることの違憲性
(1)憲法22条1項は、職業選択の自由を保障している。そして、選択した職業を遂行する自由たる営業の自由が保障されなければ、かかる職業選択の自由の保障の意味がなくなることから、22条1項は、営業の自由をも保障しているものと考えられる。
 C社がタクシー運行業務をする自由も、営業の自由として保障される。
この項は、第三章で示した①~⑥のうち、①②を書いています。
(2)本件条例4条1号は、自然保護地域でのタクシー運行業務について、許可条件として電気自動車であることを求めている。これは、上記C社のタクシー運行業務の自由を制約するものである。(ここまでの部分は③ですね)もっとも、公共の福祉(22条1項)に基づく制約は許される。(④です)では、違憲審査基準はどのように考えるべきか。
 経済的自由権は、精神的自由権に比べて、裁判所の審査能力が乏しいこと、及び民主政の過程での回復が可能であることから、より緩やかな基準でよい。しかし、4条1号の規制目的は、自然保護目的と解されるところ、環境破壊は国民の生命・身体に危害を与えるものゆえ防止する必要があり、これはいわゆる消極目的規制である。消極目的規制は、具体的な危害の発生を前提とするため、裁判所の審査になじみやすい。また、本件の許可制は自然保護地域でのタクシー業務の遂行ができなくなるという、厳しい規制である。そこで、目的が重要で、手段が目的と実質的関連性を有する制約のみが許される。(ここまでが⑤の部分です)
(3)本件では、確かに自然保護という目的自体は重要である。しかし、電気自動車に限定する必要はなく、排出ガスの量が少ないハイブリット車でも自然保護には寄与するのであり、自然保護目的と、電気自動車に限定するという手段との間に実質的関連性は認められない。また、4条1号が電気自動車に限定しているのは、実質的には自然保護に名を借りたD社の利益保持が目的であり、これは重要な目的とは言えない。(⑥の部分です)


ここでは、僕は違憲審査基準とあてはめ部分の事実の評価で争う余地がありそうだと判断しました。そこで、原告の主張のうち、①~④はあっさり目で書いています。

そして、下線部部分が事実の評価の部分です。

違憲審査基準の部分では、条例の文言から、その目的を評価しています。また、規制態様の厳しさを評価しています。

あてはめ部分でも、事実(条例の文言)を評価して色々書いています。

そして、この評価の部分は争う余地がありそうです。



【被告の反論及び私見】
1.4条1号の違憲性
被告は、自然保護目的については緩やかな基準が妥当すると反論する。
(違憲審査基準はより緩やかでよいという問題提起をさらりとかいているだけです。)
 私見は、以下のとおりである。
 自然保護目的は、確かに究極的には国民の生命・身体を保護するためのものであるが、環境破壊はその影響が明らかではなく、高度の専門的・技術的判断を要する。そのため、裁判所の審査になじむとは言いがたく、緩やかな基準で判断するべきである。具体的には目的が正当で、手段との間に合理性があればよい。
(下線部が、被告の反論の理由付です。下線部の前に、原告の主張も一応は考慮に入れています)
 本件では、自然保護という目的は正当である。そして、確かにハイブリッド車であっても、自然保護に寄与するのであるが、ガスの排出自体はあり、環境に与える影響は皆無ではない。そのため、自然保護目的のために、ハイブリッド車を認めず、電気自動車に限定することも、目的との間に合理的な関連性があると言える。また、D社の利益保持という目的があったとしても、自然保護目的がある以上、これと合理的関連性が認められれば足りる。
 よって、4条1号は合憲である。
あてはめ部分の評価についての争点は、被告の反論として明示せず、私見のなかで争わせています。)


以上、こんな感じです。

長くなってしまいましたが、何かのお役に立てれば幸いです。